特別メニュー 聖夜の奇跡(後編)
長い、長いため息を吐く実彩の姿に、実来はそれだけ答えがわかってしまう。わかってしまった。
「悪い、実来。私はこちらに帰ることが出来ない………すまない」
背中合わせで良かった。姉の顔を見ることが出来なくて良かった。今、実彩の顔を見てしまったらきっと怒鳴り散らしてしまうだろう。
「セフィロト曰わく、今のこの状況はあくまでも一時的なものでそう何度もあるものじゃあないんだと。んで、お前の言った通りそのままそっち側に来ちまえばいいように思えるが………駄目なんだ。私の身体と魂は元の世界に戻れない。一度こちらの世界に染まった私がそちらに戻ったら身体も魂も耐えられないんだと。元々こちらの世界と私のいる世界は世界樹によって離されている。重なっている部分があるから私はこっち側にいるわけなんだが、重なるにしても色々種類があって行ったり来たりしても大丈夫なのもあるらしいんだが……。私の方のは駄目なタイプなんだ。どんなに還りたくても……還れない」
「……っ」
実来の頭を撫でる、優しい手。
八年前までは当たり前だったその行為が、今ではこんなに苦しい。
「すまないな、実来。お前にも、きっと母さんや父さん。実留は、私のこと憶えてないかもしれないが。……それでも思うことはあっただろう。それに本家の人達も……きっと」
「私は……!!」
震えている声に、私は万感の思いを込める。
「私はファンタジーやオカルトや、異世界なんて大嫌いっ!!」
撫でる手から困惑している雰囲気が伝わってくるが実彩は何も言わずに黙っている。
「だって私から、私達家族からお姉ちゃんを奪った! お姉ちゃんが自分の意識で居なくなったのなら納得は出来た! 許せなくても、きっと納得は出来だの゛!! でも実際はお姉ちゃんの意識とは関係なくお姉ちゃんは居なくなっちゃったぁ! 何にもしてあげられないままお姉ちゃん居なくなっちゃっだのぉ! お母さんもお父さんも実留もみんな、み゛ん゛な゛悲じんでぇ………」
とうとう泣き出した実来に実彩は何も言わなかった。───言えなかった。
「……本当に、すまなかったな、実来」
「う゛~……。グスッん゛~~」
よしよしと、妹の頭を撫でることしか出来なかった。撫でてみれば嫌でもわかる妹の成長。自分が居なくなった時と同じ歳に、自分の居ない年月を、嫌でも感じる。
「……………」
「落ち着いたか?」
コクンと頷く。
………でも顔が上げられない。十六歳になったのに脇目も振らずに泣くなんて……しかも外で!!!
「なぁ実来。今日はクリスマスなんだよな。こんな日に泣くだけなんてもったいなくないか?」
「だっで……」
ひどい声だな。と実彩は笑う。実来は少しムカッとして残りのココアをグイッと飲み干した。
「ほら」
実来の手の平にチャリと何かが乗せられた。
見てみるとそれは、何かの花の紋様が刻まれた細工の美しい腕輪だった。よく見ると所々に宝石の様なものが散りばめられているではないか!?
「白黎樹って呼ばれる木の花を形どった細工物だ。綺麗だろ? お前に似合うだろうと思ってついつい買っちゃたんだよ」
照れているように笑う実彩に実来は内心ドン引きした。いやいや姉さん!? これ素人目から見ても随時と高価な品物に見えるんですが!!?
「魂飛んでるぞ実来。安心しろって、そこまで高価なもんじゃないよ。…………イチヨウ」
今小さく何て言ったんですか? お姉ちゃん。
「……母さん達の分もあるんだ。実来から渡してくれないか」
「そんなの、お姉ちゃんから渡してあげればいいじゃない。なんで……」
ここでようやく私は姉の顔を真っ直ぐに見ることが出来た。
姉の顔は実来の記憶の中にあった頃よりもずっと大人びていた。いや違う。八年間で姉は大人になったのだ。
「いや、実来から渡してくれ。……もう時間のようだ」
え? お姉ちゃん??
「頼むな、実来」
そう言って実彩は寄りかかっていたベンチから離れて歩き出した。
「お姉ちゃん!?」
急いでベンチから立ち上がり大声を出しだ。僅かな間しか目を離していないのに、姉は随分と遠くにいた。実来の声に実彩は立ち止まった。
実彩は振り向きそして───、
「メリークリスマス! そして誕生日おめでとう実来!!」
そこにいたのは優しい暖かな眼差しを向けてくれる一人の姉の姿だった。
その姉の姿が薄れ始める。
「お姉ちゃん!!」
待って、待ってよお姉ちゃん!!
容赦なく薄れていく姉の姿にまた涙が頬を伝っていく。
『………、…………………。……、………………』
最後に聞こえた姉の言葉が聞こえた瞬間。姉の姿はどこにも消えてなくなっていた。
●○●○●○●○
十分か、あるいは一時間か。実彩が目の前で消えてしまってからどれぐらいの時間が経ったのであろうか。
実来は未だに公園に佇んでいた。
こうしていれば、また実彩が姿を現すのではないかと期待しているのだ。
………でも、何時まで経っても実彩はやって来なかった。
「………………」
実彩から渡された腕輪を瞬間的に振り上げる。しかし振り下ろすことが出来ない。
歯を食いしばっている実来に、そっと暖かい手が腕輪を握りしめている手に重ねられた。
「そんなに握りしめていると、手を痛めてしまいますよ実来さん」
「宮部さん……」
そこにいたのは喫茶店 彩の店主、宮部ヨシトだった。何故彼がここに。
「やはり一人で帰らせるのはどうかと思いまして」
ヨシトは微笑みながら実来の疑問に答える。
「お姉ちゃんが、今までここに居たんです。すぐ近くに」
「………」
「でも、また居なくなっちゃった。いきなり現れて、いきなり居なくなっちゃった」
「………」
「お姉ちゃんいなくなっちゃった!!」
悲痛な叫び声に、ヨシトは黙って実来の話しを聞いた。
「どうしてよ。どうしてまた私の前に現れたのよ! ようやく、ようやくお姉ちゃんが居ない日常に慣れてきたところなのに!! お姉ちゃんがいないことが受け入れられてきたところだったのに!! 何で今更、今更なんでよぉ」
止まらない涙に、実来は叫び出したかった。吐き出したかった。苦しくて仕方がないこの思いごと。
「きっと。きっと貴女のお姉さんは祝いたかったんですよ。たとえ僅かな時間でも。実来さんを祝いたかったんですよ」
もっとも、私は対先ほど思い出したんですけどね。すみません。
フワリと首もとに暖かいマフラーが掛けられる。
「お誕生日、おめでとうございます。実来さん」
「ヒック、う゛~~」
わかっているのだ。実彩にも、どうしようとないものだったのだと。本当なら他の家族にも会いたかったはずなのだ。でも実彩は、その全ての時間を実来にくれた。実来だけに。
その意味にだって、本当は気付いている。
「お姉ちゃん……お姉ちゃん!」
『お誕生日おめでとう実来!!』
伝えたかったんだと思う。この言葉を。
今年は家族で過ごすことの出来ない誕生日を。姉は一緒にいてくれたんだと。
だって、お姉ちゃんは最後に言っていたもの。
『大事だよ、私は家族が大事だ。ずっと、幸せを願う』
お姉ちゃん。
「帰りましょう実来さん。これ以上遅くなると実来さんのご家族も心配なさいます。……帰りましょう」
「……はい!!」
私は活きよいよく返事をした。あっ、でもその前に。
実来は腰掛けていたベンチに駆け寄った。
そこには赤いリボンの付いた白い大きな袋が置いてあった。それを両手で包むように持つと、待っているヨシトの元へと戻った。
「お待たせしました」
「………それでは、行きましょうか」
二人はゆっくりと歩き出す。
ヨシトは袋について何も言わなかった。実来も何も言わない。でも実来の心はとても軽やかだった。
今日のことは絶対に忘れないよ、お姉ちゃん。本当はまた会えて嬉しかったの。
さようなら、お姉ちゃん。私は、私達家族は幸せになる。だからお姉ちゃんも幸せになってね。
この日ようやく。実来は実彩に別れを告げることが出来たのであった。
クリスマスの奇跡。
それとも家族の愛だったのか。
メリークリスマス!!!