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月夜の奇跡

作者: 小宮山香里

天才ピアニストゆうき。


その名は世界中誰もが知っていた。


ただ名が知れているだけのピアニストなら珍しくもない。才能のある音楽家というだけなら、実力の差はあれどそれこそ腐る程いるのだ。だがゆうきのそれは一味も二味も違った。まさに他に比類なき真の天才。その演奏を聴いた人間は、ある者は興奮に震え、ある者はその場に崩れ落ち、またある者は神に祈るかのように跪いた。


だが、その演奏の知名度に反してゆうきのプライベートを知る者は少なかった。いや、いなかったと言っても過言ではないだろう。家族はいるのか、恋人はいるのか、どこに住んでいるのか、何歳なのか。


わかっているのはただ一つ。


毎月満月の夜、月の光に照らし出される野外ステージで1時間だけ演奏するということ。

これはゆうきがこの世界へ足を踏み入れた時からずっと続けていることだった。他の場所では、他の時では何があっても弾かなかった。

まるで、月の光の下でしか自身の演奏は意味をなさないというかのように。



そんな謎の多い彼であったが、実際はごく普通の青年だった。だが、人付き合いは得意ではなかったので、極力人と関わるのを避けていたのだ。生来の性格もあるが、幼い頃に両親を亡くした事も原因の一つなのかもしれない。

そう、彼には身寄りがいなかった。両親は彼がまだ幼い時に自動車事故で亡くなった。母親が彼を命と引き換えに守ったために彼だけが奇跡的に助かった。その後は父方の祖父母に育てられたが、その祖父母も数年前に病気で亡くなった。


そんな重たい過去ゆえに、別れを避けるかのように人から距離をとることが癖のようになってしまったゆうきだが、ただ一人、家族がいた。黒猫の「かばやん」だ。祖父母がなくなり途方に暮れていた時期に拾った子猫だが、すっかり成長して今では立派に大きくなった。ゆうきが唯一心を開ける相手だった。






「ただいまかばやん、遅くなってごめんよ。すぐにご飯にするからね。」

「ニャ〜ン。」

「今日もいい演奏ができた。また次の満月までもっと練習しないとな。月の光が、きっと天国のお父さんとお母さんに届けてくれているから。」


満月の夜、月の光がこの世とあの世を結び、こちらの音を光にのせてあちらへ届けてくれる。これはおじいさんが教えてくれたことだった。

だからゆんたは満月の夜演奏するのだ。両親に無事を知らせるように。自分の成長が伝わるように。






次の満月の日、朝起きたゆうきは愕然とした。身体に力が入らない。頭が痛くて熱も高い。食欲はなく、腹痛も酷かった。このままではとても演奏などできない。

慌てて医者へ行き薬をもらって寝ていたが、夕方になっても体調は戻らなかった。

この日だけは、この満月の日だけは何としてもピアノを弾かなければならないのに…!

だが身体は動かない。悔しさに涙が溢れて頬を濡らす。熱でぼんやりした頭で、ゆうきはかばやんに呼びかけた。

「ああ…かばやん。僕は今日演奏できそうにない。お願いだ、どうか僕の代わりにピアノを弾いておくれ。天国のお父さんとお母さんに僕の無事を知らせておくれ…。」

そのまま、ゆうきの意識は暗闇へ落ちていった。


次に目が覚めた時、月はすっかり昇っていた。窓から差し込む光はゆうきを優しく包んでいた。

悔しさはまだあったが、不思議と心は落ち着いていた。眠ったのが効いたのだろうか。

「かばやん。」

呼びかけるが返事はない。散歩にでも出たのだろう。もう一眠りしようとしたその時、まどろみかけたゆうきの耳に静かな音色が届いた。

「…!」

星を散りばめているかのような音たち。今日演奏するはずの曲だった。一体誰が弾いているのだろう。とても美しい。ゆうきそのままベッドの中で静かに演奏を聴いた。


どれほどたったのだろうか。

気がつくとピアノの音は止んでいた。なんだかとても満ち足りた気持ちだ。

「ニャ〜。」

いつ戻ってきたのか、かばやんがベットの横まで来ていた。そのままベッドの上に乗ってくる。猫の顔は、心なしか誇らしげにだった。

「お前が弾いていたのかい。」

ゆんたは猫を撫でながらつぶやいた。本気で言ったわけではない。だが猫は誇らしげに喉を鳴らした。

「ありがとう。かばやん。」

微笑んで、ゆんたは再び、今度はかばやんと共に眠りについた。



おしまい

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