第0話:幼少期編:祖父の本
------世界の事を私は知らない。この世界には複数神が存在し12の国を守護しているといわれているがそれを語るのは聖国に住まう教祖や巫女たちだけだ。
普通の人間は神々を目にする事などできはしない。許されはしない。しかし国の王は神は存在するとし平和をもたらすという。
ならば何故戦争が起こる、何故人は人を殺し、奪い 悲しみが生まれる。神が存在するのならばそんな悲劇は起こらないはずだ。
彼らは全知全能なのだから……
-------ロイド・クライス作・悲しみの代償
その日、ロイド・アルクライスは夕陽に照らされた平原を馬車に揺られながら進んでいた。日差しが馬車の窓から僅かに漏れる中、灰色の髪をした男は足を組み片手に古びた本を広げる。
古い本にはロイドクライスと著者の名前が刻まれていた。刻まれた名前に指先を添えながら静かに男は呟いた。
「叔父上は何を探していたのですか?」
屋敷で見た叔父はいつも楽しそうに笑っていた。物書きを趣味とし生きていた叔父、そんな叔父がある日何かに取り付かれたようにこの本を作った。
同時に国々を回って何かを探すようなことをしていたり叔父の行動を理解できる人間は誰もいなかった。周囲の人間は叔父は息子夫婦をなくし気がふれたのだと
言って冷めた眼差しを送り哀れみの目を孫であるアルクライスに向けた。父と母が屋敷で何者かに殺されて十数年、叔父は狂ったように本を書きそして母国の土を踏むことなく
他国で命を落とした。最後は野盗に襲われ胸を貫かれて絶命したのだという。そんな叔父が最後に書いたこの一冊は夜盗によって奪われ行方がわからなくなっていた。
16歳になった頃からその本を探し始めようやく7年の月日を経て本の所在を突き止め本を手にする事ができた。本は叔父が殺された国ゲルムノール王国の第3都市エルムの古い本屋で埃に埋もれた
状態で保存されていた。銀貨の価値も無い古びた本。神への恨みごとをつづり存在を探るような内容。叔父は本当に気がふれていたのかもしれない。虚ろな眼でアルクライスは馬車の窓から外をじっと眺めた。
赤色の日差しが徐々に山向こうへ消えていく中、馬車を引く男が気の弱い声を彼に向ける。
「旦那、やっぱり街へ戻りませんか?このままじゃ夜が来ちまう。さっきも言ったようにこの辺りは夜になると魔物が出るんだよ。この前だって仲間が数人やられて死んじまった。
だから悪いことは言わない。引き返そう」
馬車を引く男がそういって手綱を緩めると馬の足取りが遅くなる。
「だからその分金貨も渡した。それに魔物などに襲われても私は平気だ」
「いや、旦那が平気でも私が……」
「君の事も守ってやる心配するな。だから早く進んでくれ」
「守るたって見るからにあんた、なんというかあれだよ……」
「弱そう……か」
僅かに笑いながら彼は言った。灰色の髪に黒色のローブその下に隠された細い腕と足、人を威圧するような顔つきでもなく弱弱しそうな細い男。
誰が見ても強そうには見えない。そんな男に守るといわれても信用性は無いに等しい。しかし武は魔法は外見だけでは図れない。
彼もまた外見とはかけ離れた力を持つ者だった。しかしそれを知らぬ男は彼を疑いそして魔物に怯える。
「俺よりも弱そうなあんたにどうやって俺を守るっていうんだ?」
前にある馬車の扉からそういって彼を見据える。
「そんなに魔物に襲われるのが怖いなら引き返すといい。だが条件がある」
「条件?」
アルクライスはそういって胸元からふくらみのある袋を取り出し中身を見せる。
男は中身を見た途端に眼を見開きごくりと息を飲む。
「この馬車を、いや、馬車を引いている馬を私に譲れ」
男は袋を受け取り馬を譲り渡すと街の方向へ去って行った。
「無駄な金を使ってしまったな」
そういってアルクライスは馬にまたがりゆっくりと馬を走らせた。
エルムの街を離れて数時間、男の言っていたように空は暗闇が広がり月明かりが周囲を照らし始めていた。
目視では既に進むことすら困難なほどに暗闇はその闇を広げ周囲には静けさが広がっていた。
虫の声、獣の声、川のせせらぎ音、風の流れる音、静けさに包まれた森はそんな音で溢れている。
「確かこの辺りか? 街の人間がいっていた古い遺跡があるのは……叔父上が最後に訪れたとされる遺跡か」
世界に存在する複数ある遺跡の中で叔父が最後に出向いた遺跡。エルム古代遺跡。そこは深い森に囲まれ今では街を追放された人間たちが住んでいるとされる古い遺跡。
「立ち寄ってみるか」
森の中をさらに進むと火の独特の灯りが彼の眼に入った。同時に人の気配をアルクライス感じる。気配のするほうに進むと森は切り開かれそこだけ石で作られた足場が広がる。
その先には火の灯りと石造建築の建物が複数存在していた。その中の一つに多くの人だかりができているのがわかった。
馬を下り、近場にあった木へと馬の手綱を結びつける。馬の毛並みをなでながらアルクライスはその人だかりのできた場所へと向かった。
「おいマオの奴が魔物に襲われたってのはほんとか?」
「そうららしい。森で狩りをしてるときに獲物を横取りされて取り返そうとしたら逆に襲われて首を噛み切られたって……」
二人の男がそういって話しているのが聞こえた。さらに近づいていくと老人や子供たちが悲しそうな表情で建物中を覗き込んでいた。
よく見れば足元にはその傷を負った人間の血痕らしきものがべっとりとこびりついている。
「これじゃーもうたすからん……運がなかった」
「そ、そんな……マオの奴がなんでこんなめに……」
若い青年と初老の男の声が建物の先から聞こえ、僅かにその姿が彼の視界にも入る。
大量の血が無造作に引かれた布に染み渡り赤く染めあげ、行き絶え絶えに僅かな呼吸をする少年。
歳からして5~7歳というところのまだ幼い少年が浅い呼吸で寝かされていた。誰の眼にも明らかな深い噛み傷。
どんな優れた医師でもこれほどの傷を治すことはできないだろう。
「まだ幼いな……」
そう小さく彼は呟いた。そしてその声と共に少年は息をしなくなった。
開かれた眼はじっと天上を見据えそして涙を浮かべていた。
何を思い何を感じて少年は死を実感したのだろうか。やりたい事もかなえたい夢もあっただろう。
しかし神は残酷にも彼の人生をこの時この瞬間に奪ったのだ。本当に神が優しく全知全能ならばこの少年も死ぬ事は無かったのかもしれない。
アルクライスは知っていた。神など存在しない。己を守れるのは己だけ、今も昔もそれは変わらない。
「神などいない」
そう呟きアルクライスは人ごみから離れ遺跡の入り口へと向かった。