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さて、ここからは今年に入ってからの話です。ある日の午後の診察室にて。
「ADHD、それに広汎性発達障害が合併している様ですね」と先生がおっしゃいました。
「ADHDとは注意欠陥・多動性障害のことです。多動性・衝動性・不注意・先延ばしを主な症状とした発達障害です。意識を集中させるということができない。意識が新しい刺激を求めて次から次へと飛び移ってしまう。多動性とは身体の多動だけではなく、意識の多動のことも含んでいます。目に映る事に片っ端から、手を付けてしまうから、衝動的に行動してしまう。だから目の前の仕事に集中して取り組むことができないし、人の話を聞く事もできない。他の事に気を取られて目の前の事を放り出し、先延ばしにしてしまう。意識が飛び移ったらもう寸刻前の事も忘れているから、物忘れが激しい。片付けられない。ミスが多い。それがADHDの主な症状です。ADHDの原因はよく分かっていませんが、脳の前頭前野、所謂ワーキングメモリーという部分が正常に機能していないことに原因があるとされています。つまり短期記憶が未発達なために、次から次へと意識が飛び移ってしまい、それが抑制されるという事がない。あなたの場合、今起こった事を今忘れてしまっている状態です。現在起こっている事をその場で理解できないというのはそのせいでしょう。そして一方で長期記憶の方は正常に発達しているために、後から思い出して、やっと意味が分かる。
しかしあなたの場合はそればかりでは説明しきれないところがあります。例えば、記憶のフラッシュバック、それに対する突発的な激しい怒り、人の言葉の真意が分からないところ、そのためにその場で即座に適切な意思表示ができないことなど、これは広汎性発達障害の典型的な症状です。もちろんこうした事は誰にでもある兆候ではあります。しかし子供の事から、生活が困難になるくらいに著しくその兆候が現れている場合には、それは発達障害と言っていいと思います。障害と言っても、それは脳の使い方の癖なのです。個性と言い換えてもいいでしょう。本来的にはね。しかしそれであまりにも社会生活が困難になるようだと障害と言わざるを得ませんね」
私はそろそろ何か言わなければいけないと思って、意を決して口を挟みました。こうした決心の一つ一つが私にしてみると決死の覚悟なのでした。
「物事に注意したり、人の話を聞いたり、自己表現をしたりする、誰にでもできる事ができず、それがまた少なからず誰にでもある兆候なだけに本人の努力不足と思われる。それはある意味はっきりと障害と分かる障害よりも不幸なのではないでしょうか。だから、私はそれが個性だとは思いませんし、障害と呼ばれることに何の抵抗もありません」
私は、右の通りに理路整然と自分の意見を述べたわけではない事を断っておきます。ここに記すのに、便宜上右のように纏めただけです。
「理解されない。それは人間の苦しみの中で第一級のものだと、私もつくづく思います。しかしこれは、君の場合は不幸ではありません。逆境です。不幸と逆境は似て非なるものです。不幸はどうにもなりませんが、逆境は人間の心がけと努力次第で乗り越えることができます。これまでは、確かに不幸でした。我が国に君のような人たちを助ける手立てがなかったのです。そればかりか障害の存在自体が認められてこなかったのです。これは何も一般の人たちの間だけではなく、医学界においても同様でした。ろくに研究もせずに、ある医者は甘えだと言い、ある医者はどこにでもある話だと言い、またある医者は「それが子供というものだ」と暴論を叩き付けて、真実から目を背けてきたのです。しかし、そういう時代は終わりました。医療や関連業界はおろか、今や一般にもこの発達障害、特に成人の発達障害という概念が広く膾炙してきています。それはそもそも精神医学という分野自体が宗教的なものでなく、科学的根拠を持ったものだという認識が一般に広まってきたことが土台にあります。心の病気とはすなわち脳の病気なのだという認識です。それと共に発達障害にも科学的根拠があるという見方が根付き、精神論ではなく、あくまで科学的な治療法を試みようと考えられ、薬物療法が我が国でも認可されるようになりました。そしてちょうど今年、我が国でもやっとその薬を処方する認可が下りました。我が国はそういうところの動きが実に鈍いですね。まあ省庁の仕事だから、問題が起こったときの責任の所在やら何やらが色々と大変なのでしょう。それに障害の存在すら長らく認められてこなかった国なのですから、無理もないでしょう。前例のない事はやりたがらない国民性というのも一因かもしれません。しかしともかく、夜は明けたのです。理解不足から生じるあらゆるいわれのない偏見に、もう発達障害者は苦しまなくて良いのです」
この時、私の中で三十年近くもどす黒く渦巻いていた靄が、少しずつ晴れていくのを感じました。それは自分が感じてきた違和感、言わば世間から疎外された場所に生まれ落ちた感覚に名前が与えられた事の安堵とでもいいましょうか。痛いも痒いも、名前が与えられなければただの不快感でしかありません。名前が与えられて初めて、存在が認められるのです。私はこの自分の抱えてきた匿名の違和感の正体が突き止められ、それに名前が与えられた事で、また私自身の存在の意味も認められた気がしたのです。考えてみれば、私はそれまで生ける亡霊でした。人間のようで、人間とは異質なものだったのです。しかし私は亡霊じゃない、私は人間なのだと自分を認めてやれるような気がその時初めてしたのです。
「それで、その薬は処方して頂けるのですか?それを飲めば良くなるのでしょうか?」
私は先生に飛びつくようにそう言いました。しかし本音を言えばそれすら半信半疑でした。ただそうやってあたかも純粋に医者を信じる患者を演じる事で、先生に不快な思いをさせずに済むと思ったのです。この期に及んで、私はまだそうやって自分を偽り続け、人の期待に応えようとしていたのでした。
「処方はしますが、良くなるかどうかは人それぞれだから、やってみないと分かりませんね」
私は半信半疑ではあったにせよ、生まれて初めて私の人生を覆っていた黒い皮膜に針で穴をあけられた気がしました。そうだ、それだったのだ。それさえあれば私は救われるのだ。そんな直感が脳裡にひらめいて、興奮が体中の血管を駆け巡りました。理解されたのだ。その初めての、かつ私にとって必要不可欠の経験がただ嬉しくて、駆け出したい気分でした。




