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こんなことがありました。小学生の頃、国語の時間に、私は黒板に向かってでかでかとある漢字を書いたのですが、私はその漢字の書き順を間違えてしまったのです。ある児童がそれを責めました。
「書き順ちがくね〜?」
私は、その児童の「書き直せ」という真意が分かりませんでしたし、従って真意の分からない主張に対してどう対応していいのかも分かりませんでしたから、ずっと黙っていました。すると今度はもっと沢山の児童達が同じような非難を私の背中にぶつけました。
「書き順が全然違うだろ!」
「ちゃんと習った通りやんないとダメだぞ!」
しかし私はそんな主張が何を意味するのか分かっていなかったので、茫然とその場に立ち尽くしていました。私には、彼らの押し付けてくる主張が理解できない事の恐怖心しかありませんでした。書き順を正しくして書き直すこと自体が嫌だったわけではありません。しかし「書き直せ」と誰も言ってくれないので自分が何をしていいのか分からなかった。私はただ俯き、その場でうなだれて、間違った書き順で書いた字を訂正しませんでした。すると今度は中年の女教師がでてきて、私にこう言いました。
「市川くん、そうやって意固地にならないの」
私はちっとも意固地になどなっていませんでした。むしろそこまでして主張を押し付けようとしてくる彼らの真意が分からなくて、恐怖を覚えて、どうすればいいのか分からなかったのです。しかし恐怖に背中を這い回られながらも、それに対してなす術もありませんでした。それは意固地になっているからではなく、自分が何をするべきなのかが分からなかったからです。すると女教師は私の手を取って、語りかけるように言いました。
「市川くん、そうやって意固地になっていると辛いでしょう?」
私は意固地ではない、分からないのだ。辛いのではない、怖いのだ。しかし教師にそう言われると、私の中で次第にある悪癖がむくむくと頭をもたげてきました。
「はあ、はあ、はあ」
私は息を切らし始めたのです。あたかも意固地に自分の主張を貫き、周りからの轟々たる非難に耐え抜いた後のような、命からがらの喘ぎでした。勿論演技です。この方が理解されるのだ。そう思ったら、この方がいいように思ったのです。私はつまり、今考えれば、その演技によって、自分の異常性から逃れようとしていたのです。そうだ、俺は意固地なんだ、皆の批判に傷つきそれでも満身創痍でそこから守り抜いた主張がある!その証拠に、この息の喘ぎを見よ!実のところ私に主張などなにもなく、ただ何も分からないだけだったのです。その悲しい嘘を、私はただ全身で振りまいていたのです。結局私は分かりあえない事を前提には生きていても、自分が相手を理解できないと察知されることに耐えられず、そうやって最後にはその場の文脈に沿うようにして、自分を偽るのでした。
そんな風に自分を偽って表現し続けてきたからか、私は幼少の頃からすでに自分が間違いであるという一種の疾しさを抱えて日々を明け暮らしていました。そんな人間に正当な自己表現ができるはずがありません。自己を正直に表現することは、私の中で犯罪よりも犯罪的であり、それをやったらおしまい、世間から見捨てられて日陰者となり、二度と日の目を見る事が無くなるという気がしていました。そしてそうした意識を持ってしまった人間の末路というものは決まって、他人に絶えず感謝する、感動する事を要求する鈍感な人間の餌食になることなのです。
小学六年生のときに、乱暴なクラスメイトたちから何の理由か忘れましたが執拗に冷やかされ、からかわれ、身体的暴力を受けた事がありました。その頃の私は、頻繁になくし物や忘れ物をするし、先生の話は上の空で聞いているし、提出物は出さないし、テストは試験時間中に集中する事ができずに殆ど白紙で出すしで、クラスでも薄のろとか、ピンボケとか、そんなあだ名をつけられているくらい弱い立場だったのです。だから常日頃からいじめられてはいたのです。しかし私もその時はあまりに執拗な仕打ちに、流石に一時の激情に駆られ、彼らに歯向かっていきました。しかし結果的には返り討ちにあって終わりました。私は完膚なきまでに殴り倒されました。私はその日の夜、家で母親に理由を話し、翌日学校へ行かない事を決めました。母親も、そんなに乱暴な児童が居る学校へ私を行かせられない、教師は一体何をしているんだと、私の不登校に賛同してくれました。しかし翌日、そのクラスの担任の女教師は、気が動転したのか、私を自宅から連れ戻そうと、十数人のクラスメイトをどやどやと引き連れて、私の自宅前までやってきました。私は家の中からその姿に気付くと、驚き、恐怖に駆られ、咄嗟に二階に駆け上がり、トイレに鍵をかけて閉じこもりました。教師はずかずかと私の自宅に上がり込んできました。しかもその後ろに前日私を殴った当時者たちを引き連れていました。昨夜はあれだけ私に賛同してくれた母親はその瞬間にころっと教師の側に寝返り、
「先生!まあこんな所までおいでなすって!さあどうぞどうぞ、お二階におりますから!」とあっさり彼らを家の中にまで通してしまったのです。私は恐怖し、鍵をかけたトイレの中で震えていました。これは今考えても当たり前の話だと思います。教師は階下で私の母親に、
「お母さんこの辺でいいですから」と横柄に言い放ち、ずんずん二階に上がってきます。勿論私に乱暴をした彼らも一緒です。そして教師は私がトイレに鍵をかけて閉じこもっている事を知ると、
「市川くん、心を開きましょう。一緒にお話をしましょう」などと扉の外から臭いお説教を垂れていました。階下では母親が、
「出てきなさい!先生がおいでなすってるのに!」とがなりたてています。母親も昔気質の人間ですから、先生とか国家公務員などという権威に弱かったのでしょう。私は扉一枚隔てたトイレの中で頭を抱え、もう自分には逃げ場がない事を悟り、うずくまっていました。そうしながら、頭を働かせ、どうしたらこの状況を突破できるかを必至で考えました。
私は暫くして、トイレの鍵を開け中から出てきました。私は、感動の涙を流していました。私は女教師の言う通り、「心を開いた」のです。そして、その場に居る教師、悪ガキどもと一人ずつ握手を交わし、ただ「ありがとう」と「ごめんなさい」を繰り返し、そして馬鹿なことには、自分を見捨てて寝返った母親にまで同じ事をしました。お陰でその場は丸く治まり、間抜けな母親などは感涙にむせび泣く始末でした。この経験が私に、いよいよ自分を偽る事の重要さを証明しました。自分さえ隠し通す事ができれば、感謝し、感動さえしていれば、誰も私を責めずに、万事うまくいくのだ。これで自分はどんなに他人と関わっても、他人と気持ちの上で触れ合う必要がないのだ!私はこのような非常事態でさえ、いや非常事態だからこそ、自分を偽る事を躊躇しませんでした。自分を殺す事によって自分は生き延びられる。そうした自己否定と自己肯定という相反する感情を、私は何の矛盾もなく受け入れることができたのです。
そんなわけで幼少から学生時代までの私は、ずっと自分を偽り続け、そうしていくうちに、いつしか偽っている自分が本当の自分に取って代わってしまいました。本物の自分が分からなくなってしまったのです。感謝する事、感動する事、それが私の生き抜く術でした。そうしていれば、何も理解できなくとも大抵は世の中に受け入れられるのです。「〜には感謝しています」「〜には感動しました!」と言っていれば、確かにそれは波風が立たずに人々に受け入れられるのです。しかしそれで表面的にはうまくいっても、臨機応変の対応ができるわけではありません。そうした硬直的な対応というのは、時に大きなほころびを生む事があります。例えば公衆の面前で馬鹿にされ嘲笑されているのに、自分が人気者になったと解釈して心の底から感謝したり、何かに傷つき落ち込んでいる人に感傷的な言葉をかけて感動を誘い、逆に疎まれたり、集団において権力を持つ者に間違って礼儀を失した発言をして、周りから白い目で見られているのを、権力に媚びない英雄を見る尊敬の眼差しだと勘違いして感謝してみたり。とにかく全てを自分が感謝すべきもの、感動すべきものに置き換えてその場を凌いでいたのですが、この道化じみた努力は自然な感情表現でないために、臨機応変でなく、複雑な人間関係の中では失敗する事も多いのです。それでも他人を理解できないという事を知られたくないばかりに、他人に自分の無能力を見破られないように、そうした狂態を演じていたというのが一番真相に近い気がします。お陰で、私はどういう場合にどういう対応をしたらいいのか、成人なっても理解する事ができませんでした。
それでも、学生時代までは人間関係に多少の問題はあれ、まだそれは一人でいれば問題にはなりません。だからまだ良かったのです。しかし就職してからは、いよいよそれが問題となっていき、上司や先輩や顧客と悉く対立する事になりました。それはやはり自分がどう振る舞うべきかを心得ていないために、衝動的な振る舞いをしてしまう事が原因でした。どう振る舞うべきか分からない人間は、時に常人の想像を絶する程に攻撃的な態度に出ます。自分に対して理不尽な事を言った上司を怒鳴りつけたり、あるいは嫌いな同僚に挑発的なメールを送ったり、金をもらっている以上の仕事をする必要はないからと、顧客からの宴席の誘いを断ったり、一度先輩から「顧客を獲得するためには、とにかく嫌味なくらいに相手をおだてる事だ。遠慮は要らない」と指導されて、本当に顧客に遠慮のない厭味を言ったりして顰蹙を買った事もありました。どう振る舞うべきか分からない人間は、あまりにも理屈で物を考えるがあまり、言葉や契約関係を額面通りに受け取ってしまい、融通が一歩も利かないのです。冗談やたとえ話、言葉のあやなんて通じないわけです。あくまで自分の理屈に則って行動します。そういう訳で、人がおおよそ考えられないようなことを平気でやってしまうわけですが、その後やってしまって暫く経ってから振り返ってみて初めて、自分がとんでもない勘違いをし、そのせいで取り返しのつかないほどの失態を演じたことがありありとわかるのです。そんな私が次第に居場所を失い、会社の中はおろか、プライベートの交友関係、恋愛関係(これは片思いに限ります)など、基本的な人間関係を含んだありとあらゆる場面において行く先々で失敗を犯し、孤独な生活を余儀なくされていた事はもはや想像に難くはないと思います。




