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スナック、バンド、お互いをつなぎ止めていたものを、次々に失い、私達は遂に、殆ど会わなくなってしまいました。会うときと言えば、三木さんにマッサージをしてもらっている30分間話をするだけで、それも義務的な世間話で、私的な交歓は皆無でした。要するに、私はまた、一人になってしまったということです。
また一人になった私は、もはや後ろを振り返るという事をしませんでした。人間関係というものの面倒臭さが分かってしまったからです。個人の思惑やその間の差異を飲み込んで、同調を強いようとするあの強引さがどうにもやりきれなかった。人間関係などというものは、同調なしには成立しないのですから、どんな人間関係でもそんななところがあるのでしょう。私はやはり一人でいることが性にあっているのだと思いました。しかしそれでは一人でいる事で満たされているのかといえば、そうでもありませんでした。
たまにふと、鱒沢さんは今頃どうしているだろうと思う事があります。スナックという憩いの場を失い、バンドの演奏という楽しみを失い、また障害者の世話をするという生き甲斐まで失ってしまった鱒沢さん。四十七にもなって一人でアパートに暮らしている彼の淋しさはいかばかりか。それを思うと、自分もこんな発達障害者ではあるけれども、せめて結婚くらいはしなければならないかな、と思いもしました。しかし私に子供などできてしまったら、子供は私と同じ発達障害者になる可能性が高い。発達障害とは遺伝的要因が強いのです。それを考えれば、不幸な命をこれ以上増やしてはいけない。だから自分はやはり家族などもつべきではないと思い直したりもしました。結局私は鱒沢さんと同じ穴の狢ということになります。
しかし鱒沢さんの場合、他人の都合を顧みない自分勝手な性格が災いして結婚できなかったのか、それとも結婚していないからそんな性格になってしまったのかよく分かりません。いずれにしても自業自得です。対して私は持って生まれた形質によって結婚できないのだとすれば、それは不可抗力であり、鱒沢さんと私とでは全く違うという事になります。
そもそも私の淋しさというのは、何も人と一緒にいられない事から生じているのではなく、人と違う事から生じている訳でもなく、また人と違うという事を理解してもらえない事から生じているのでもありませんでした。私の淋しさとは、淋しさも感じられない鈍感さによる淋しさであると、自分では思います。何がしたいとか、誰かと一緒にいたいとか、私は思った事がないのです。鈍感なのです。その方面の神経が麻痺しているのです。これは長年に渡って発達障害であった辛く苦しい経験によって、すっかり私が人間嫌いになっているからであると思いますが、限りなく健常者に近づいた今でさえも、その傾向が残っているのです。何も感じない、何も成すべき事がない、何も考えられない、これは淋しいという以前の、言わば虚無と言うべきもので、自分にはこれからも何もない、どんな意欲も湧かない事を、骨の髄まで察知してしまっている。これが私の所謂淋しさなのです。だから、こんな淋しさが結婚したからと言って解消されるなどとは思いません。むしろこんな人間が一人の人間の一生を台無しにしてしまったという、罪悪感に苛まれる事でしょう。私一人の不幸に他人を巻き添えにすることは、許されざる罪業のように思えます。
私は鱒沢さんとは違う。これくらいの自己愛なら持っていても許されるでしょう。そんな気がします。
人間は所詮一人なのですが、一人で死ぬのは恐い。だから、伴侶を見つけ出す。しかしそこに愛はあるでしょうか。そこにあるのはエゴなのです。愛とは理解の別名であると、インドの詩人タゴールが言っていましたっけ。しかし何をどう言っても、その理解とは自分を理解する事に他ならないのです。自分の理解を超えた存在を、人間は認められるものでしょうか。理解できない他者ではなく、理解可能な自分を理解するための努力が愛であれば、結局それはエゴという他ありません。
私には、エゴがない。と言えば嘘になりますが、しかし最初から最後まで一人なのですから、そこに迂回がありません。余分なエゴに追い立てられて生きる必要がないのです。素晴らしい事ではありませんか。私には合理的、理性的に生きる権利が与えられているのです。これは自己愛でしょうか?自己愛です。しかしそれは純粋な。私の自己愛は時に、エゴとは対極に位置するものです。ああ、しかし、それにしても虚しい。人生の本質とはこの虚しさに他ならないでしょう。そこから目を離さずに生きられればと思います。