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ある日、会社のマッサージ室に行きました。私が勤務する会社には、マッサージ室があって、私は業務に疲れるとそこに行く事にしているのです。そこの按摩師は三木さんと言って、全く目が見えない、全盲の人でした。しかし、性格はとても明るく気さくな人で、マッサージをしながら、色々な話をしてくれます。特に私達は共にビートルズが好きで、その話題が私達をつなぎ止めていたと言ってもいいでしょう。よく、ポール・マッカートニーのベースラインがどうだとか、あれを弾きながら歌えるのはすごいとか、あの曲のどこのコーラスを誰が歌っているとか、そんな話をしました。
その日、三木さんから唐突にこんな事を言われました。
「市川さん、近くにビートルズのコピーをやっているバンドが演奏するライブハウスがあるんです。よかったら今度ご一緒にどうですか?」
私は、正直な所、三木さんとそこまで親密な付き合いをするつもりはありませんでした。というより、私は人間関係構築能力が壊滅的に低い人間ですから、こうやって少しでも親しみを込めた態度を取られるととても恐ろしいのです。自分に自信がないために、少しでも親密になると見捨てられはしまいかという不安で頭が一杯になります。
勿論、三木さんとはマッサージのときは楽しくしゃべっているし、私は言うまでもなく三木さんの人柄が好きであったけれども、どうもプライベートでの付き合いとなると何だか重荷に感じてしまったのです。これは私の人付き合いが苦手なせいもあるでしょうが、正直な話三木さんが障害者である事の重荷が大きかったように思います。正直、障害者という人種とプライベートで親しくした経験は、私には皆無でした。そんな私が障害者と共に遊びにいくなんていうのは、なかなか気が重い話でした。いいえ、もっと正直に言えば、障害者と一緒にされたくなかった。何となく交友関係という物は自分と同じような境遇の人たちの集まりであるような気がして、それを考えれば障害者の三木さんと交友関係を結ぶというのは、何となく自分が障害者と同じグループに入れられたようで、気の進む物ではありませんでした。しかし、よく考えてみれば私だって発達障害者であるのだし、そんな私に折角こうしてお誘いをくれているのだからと思い、その誘いを受けました。
とは言え、私にも友人ができた。そういう喜びもありました。それは何物にも代え難い喜びでした。私が少年の頃から抱いていた、誰からも必要とされないというそこはかとない孤独感から少しだけ解放された気がしました。それでも三木さんが障害者であること、それをどうしても意識してしまう自分がいたのも事実で、そういう自分に罪悪感を覚えて止みませんでした。それを気にしないようにすればするほど、健常者と変わらずに接しようとすればするほど、三木さんを障害者として差別する気持ちが心の中で湧き上がるのを防ぎきる事ができませんでした。
そういう葛藤があったにしろ、それを振り切るようにして、私は三木さんが好きなのだ。だから一緒に出かけるのだ。そう自分に言い聞かせて、私は三木さんと、ビートルズのコピーバンドのライブに行く約束をしました。しかしまあ有り体に言ってしまえば、断りきれなかったというのが六割、自分が今まで怠ってきた人間関係を構築する努力を、これを機会にしてみようというのが四割でした。
当日、残暑の九月、夕方の五時前。待ち合わせ場所のラーメン屋で、私は待ち合わせ時間の三十分以上も前に来て待っていました。ラーメン屋はまだ開いていませんでしたので、私は外の自動販売機で缶コーヒーを買って、立ったままそれを飲み、待ちぼうけを食っていました。何故こんなに早く来たのか?それは、三木さんが障害者だから、私が三木さんを軽んじている事を悟られたくなかったからなのでしょう。ここでもし私が遅刻でもしようものなら、私が三木さんを軽んじていると思われてしまうかもしれません。それでつい、無意識に早く来てしまったのです。
待ち合わせ時間ぴったりに、彼らは現れました。「彼ら」というのは、三木さんは一人ではなかったからです。三木さんと、もう一人の盲人、そして二人を先導する頭の禿げ上がった中年の男。この三人がラーメン屋の入口付近で待つ私の目の前に突如現れたのです。
「どうも始めまして、鱒沢といいます」
先導役の男は何とも爽やかにそう挨拶しました。そう言いながら撫でた頭には撫で付ける程の髪の毛は残されていませんでした。私は彼の気取らない笑顔に好感を持ちました。
「市川さん、彼は僕の友達で加藤さんっていいます」
三木さんが杖で指すようにして、もう一人の盲人を紹介しました。
「そうですか、それはよろしくお願いします」
私が慌てて挨拶をしても、加藤さんという人は目も合わせず(これは当たり前ですが)にこりともせず、ただこくりと頭を下げただけでした。これは所謂、谷崎潤一郎の『春琴抄』に出てきたような、盲人特有の狷介さなのかも知れません。あるいはただの人見知りというだけかもしれません。
私達は古めかしいラーメン屋に入って席につき、色々と食べ物や飲み物を注文し、ぎこちない会話に徹しました。ぎこちないとは言っても、皆ビートルズファンなので、話題には事欠きませんでした。
話しているうちに、鱒沢さんというこの男は、別に障害者施設の係員でも何でもなく、ただ三木さんたちの友達であること、これから行く予定であるライブハウスで三木さん達と知り合ったこと、そして四十七歳になる今もって独身であることなどが分かりました。そして月に一度催されるこのコピーバンドのライブがあるたびに、彼ら障害者を迎えにわざわざ遠くの駅まで歩いて行き、ライブハウスまで連れてきているのだそうでした。
暫くすると、頼んだ料理が一斉に運ばれてきました。ただでさえ、この店は安くて大盛りのメニューで有名な店なのに、沢山頼んだせいで、食卓はラーメン、サラダ、ビール、その他酒の肴で埋め尽くされました。すると鱒沢さんが、甲斐甲斐しく一人一人に料理を小分けにし、小皿にとりわけ始めたではありませんか。
「三木さん、いかのゲソ焼きもあるよ。取り分けておいたからね」
「加藤さん、目の前に醤油もあるからね、これだよこれ」
そう言って彼らが何不自由なく食事が頂けるように、まめまめしく実に機敏に働いているのでした。私は単純に、何と無私な、優しい人なのだと微笑ましく思いましたが、一方でこの優しさの陰にある何物かを勘ぐることを早くもしていました。ああ私はこうして警戒心を解く事を止められずに、何と多くの人間関係をふいにしてきた事でしょう。私の矛先は障害者二人にも向けられました。いくら障害者だとは言ったって、ここまで世話を焼かれたら窮屈なのではあるまいか、と私が懸念する矢先から、彼らは次々ととりわけられた食べ物を口に放り込み、それらをビールで(加藤さんは下戸なので烏龍茶で)流し込み、申し訳なさそうに、しかし豪快に笑ってみせるのでした。そして私は殆どそれらの料理の残りかすみたいな物を細々と食って、大盛りの店の割には大して腹も一杯にならずに食事を終えたのでした。私は、そこに一縷の羨望の念を覚えもしましたが、しかし私は障害者扱いされるくらいなら、却ってこの方が自分も納得できるくらいに思っていました。私は勿論発達障害者とは言え、見た目は健常者ですから、三木さんや加藤さんなどのように料理をよそってもらえることも、駅まで迎えにきてもらえる事もありません。しかしそんなことをしてもらってまで私には望むべき便益などありませんでした。そんなものは窮屈で、どうしても耐えられそうにないからです。障害者としてハンディキャップを負いながら、一方で健常者と同じように振る舞わなければならない苦しみを、今まで自分や他人に強調しすぎる程強調してきましたが、それでは障害者として扱われるのがそれほど望むべき姿であるのかといえば、そうでもないのだと、そのときに分かったのでした。
ともあれ、私達は一時間半ほど飯を食い、酒を飲み、私達はライブハウスに向かいました。三木さんは鱒沢さんに、加藤さんは私にそれぞれつかまって、杖をつきながら歩き出しました。
途中、通り過ぎる公園の公衆便所に差し掛かると、鱒沢さんは言いました。
「三木さん、加藤さん、トイレに行く?」
三木さんはまた申し訳なさそうに笑い、
「はい、すいません」
加藤さんは無言で便所に向かいました。私と鱒沢さんは、その間、外で待っていました。鱒沢さんは何故か隣にいる私ではなく、便所の中にいる三木さんと会話しています。私はそろそろ苛々していました。これはどう考えても鱒沢さんの自惚れから来る行為ではあるまいか。独身の四十七男が自らの淋しさを埋めようと、こうした慈善事業に励んでいるのではあるまいか。私にはどうしても、この光景が不自然に、ともすると不愉快に見えてしょうがなかったのです。
その後ライブハウスに行って、演奏を聞きました。ザ・プルーデンスというバンドで、ちょうど『サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の曲を特集して演奏していたと記憶しています。彼らは本物さながらのカラフルな衣装に身を包み、演奏もかなり上手でした。流石にその時は私もお酒を飲み、楽しみました。しかしその時の鱒沢さんのはしゃぎっぷりと言ったら忘れられません。チンパンジーのように曲に合わせて手を叩き、わずかに残った髪の毛を振り乱し、演奏が終わるとセンキュー!と叫ぶ。周りからの失笑を買う程の乱痴気ぶりでした。日頃の憂さを晴らしているのでしょうが、悲しげな後ろ姿でした。
その日はそれでお開きとなりました。その日は鱒沢さんと私が障害者二人の手を引き、駅まで見送って、それから各々の家に帰りました。確かに二人を見送った後、私の心も少し満たされたような、いいことをしたような気になり、鱒沢さんの気持ちが少し分かったのでした。




