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I'm sad…  作者: 尼崎楓
1/1

哀しみの始まり

次第にグロテスクな表現が入ってきます。御注意下さい。

ガタッ


突然、近くで物音がした。

「奴ら」だ。


奴らが自分の臭いをかぎつけてやって来たのだ。


背中に冷たい汗が伝い、心臓が異常な早さで脈打つ。


すでに壊死した右足が、視界に入った。


多分、このまま自分は死んでしまうのだろう。

出来ることならば、「奴ら」に捕まる前にこの心臓が止まれば、と、願った。

もう自ら命を絶つ力さえ残っていない。


自分にできるのは、この狭いロッカーの中で身を潜め、「奴ら」をやり過ごす事くらいだ。


ついに、ロッカーの前で足音が止まった。


終りだ。


絶望が全身を包んだ。


次の瞬間、みしみしという音と共に、ロッカーのドアがこじ開けられた。











「学校、行きたくない」

シュウは自分のベッドの上で、唯一の友達である俺に、ぽつりとそう漏らした。

「なんで」

理由は知っていたが、俺は聞き返した。

「学校に行っても、いじめられるだけだし」

そう言うシュウの、顔色の悪さが事の深刻さを窺わせる。


「ごめんな。俺、何もしてあげらんなくて」

シュウをかばえば、俺も標的になる。そんな気持ちから、そう言う事しかできなかった。

「…いいんだ。トシアキも俺なんかに構ってると、いじめられるよ」

心の中を見透かしたようなシュウの言葉が、胸に突き刺さる。

俺は何も言えないまま、ただうつ向いていた。

「本当に、気にすんなって。そうそう、俺な、夏休み入ったらアメリカに行くんだ」


「え?」

俺はシュウを凝視した。

その顔を見て、シュウは俺の気持ちを察したらしく、首を振った。

「父親が製薬会社の本部に戻って一週間滞在するから、旅行がてら一緒に付いて行くことになったんだよ」

シュウが笑っていたせいで、俺は少しホッとした。

「―で、今日も学校行かないのか」

俺は確かめるように、シュウの目を見つめながら聞いた。


「…うん。ごめんな」

「そうか」

次第に暗くなる気持ちを抑えて、俺は立ち上がった。

「俺、そろそろ行くな。」

「うん。じゃあ、また。」

そういうシュウの顔が少し哀しげだったのを、俺は気付かないまま部屋を後にした。








「大倉、ちょっと」


担任の原田が、登校して来て早々の俺を職員室の窓から呼んでいる。

「何ですか」

「まぁいいから、ちょっと来い」

原田は手招きして、早く来るよう促した。


「またか」

俺は小さく呟いた。



職員室に入ってすぐ右手にある湯沸かし室は、四畳半程の和室になっている。


そこは別名「説教部屋」とも言われ、呼び出された生徒は恐怖におののくのだった。


しかし、俺は例外だった。

「益城の事なんだが」

原田は和室の扉を閉め、声のトーンを、まるでヒソヒソ話でもしているかのように落として喋り始めた。


「様子はどうだ?」

毎回同じ質問で、最近では苛立ちさえ覚えるようになっていた。


「シュウは変わり無いですよ」


「そうか…」

原田は眉間に皺を寄せて、低く唸った。

「どうしたら学校に来てくれるんだろうなあ…」


俺がかばってやれば少しはシュウの現状を打破できるのではないかと考える反面、自らもいじめの標的になる事を強く恐れていた。


(友達…か。)


(これじゃあ、友達という肩書きだけの、ただのクラスメイトじゃないか)

そう思うと、むしょうに悲しくなった。


「先生」


「何だ?」


「俺、明日からシュウの家に迎えに行くのやめます」


「え、どうして?」


「毎回来られるのも嫌だろうし、何の進展も無いなら、行っても行かなくても同じだと思います」


原田は目を丸くして、その瞳は「これからどうすれば良いんだ」と言っているかのようだった。


でも、このまま友達面してシュウの家に通うのも、正直辛い。


これが一番の選択だ。

あいつにとって俺は別段、重要性のある人間では無いのだから。


そう、自分に言い聞かせた。


「本気なのか?あいつはお前にまで見捨てられたら、どうなるんだ!?」


原田がさっきのものとは全く異なる表情で、俺をまくしたてた。


(見捨てるだなんて、人聞きの悪い…)


生徒を心配するような言動は、この教師のたてまえだ。


結局は、(俺にこんな面倒臭いことを押し付けるのか)と思っているに違いないのだ。


(このクソ教師…)


握った拳が弧を描いて、原田の顔面にめり込むのを想像した。

何とも爽快な光景だ。

しかし、常識という概念が邪魔をして、拳は腰の辺りで震えるだけだった。


俺はいつも冷静になってしまう。

気持ちの赴くままに怒ったり、喜んだりする前に、“こうしたらこうなる”という過程を、冷静に考えてしまう。シュウの事だってそうだ。

自分の事だが落胆する。


「じゃあ俺、教室に行きますね」


呆然とした原田を尻目に、俺は職員室を出て行った。






教室の中はいつにも増して賑やかだった。


その片隅に置かれた机は、他の物と比べると所々色が剥げ落ち、くすんでいた。おまけに彫刻刀で、「死ね」とか「ウザイ」などと彫られていた。

何がウザイんだ?

シュウが何をしたんだ?

ましてや、こんな形で制裁を加えてはいけない筈なのに。


なのに俺は、何をやっているんだろう。

「大倉、次の休み時間サッカーやるけど、来んだろ?」

シュウをいじめている集団とつるんで、ヘラヘラ笑ってる。

自分を守るので精一杯だった。


「ああ、行く」


自分の言葉が、胸にのしかかる。


間も無く、始業のベルが鳴った。

タイミングでも見計らっていたかのように、原田が教室に入って来た。さっきの話に気を悪くしたのか、表情が雲って見える。

「きりーつ」

学級委員が声をあげる。

「れーい、ちゃくせーき」


ガタガタと音を立てながら、生徒全員が席に着いた。


「ホームルームの前に、一つ報告がある」

原田が暗い表情のまま、口を開いた。

「益城シュウが転校することになった」


突然の報告に、俺は言葉が出なかった。


それとは対称的に、生徒達の顔には「やっぱりな」という納得の色が見て取れた。


「父親の転勤で、アメリカに引っ越す事になったらしい。…仲間が減るのは寂しいが、笑顔で送ってやってくれ」


俺は毎日シュウの家に通っていたことの無意味さを痛感した。

シュウにとって、俺は何の救いにもなっていなかった。

だからあいつは、俺に嘘までついてアメリカに行ってしまうんだ。

でも。


今朝、俺が原田に言った事を、反芻する。


神様は、俺がもうシュウの家に行かないと言ったから天罰を下したのかも知れない。


彼を救えない代わりに、毎日シュウを気遣うことを戒めとしていたのに、俺がそれをやめるって言ったから…。

俺は席を立ち、走り出した。


気持ちより先に行動するのは、この瞬間が初めてだった。









昇降口まで来ると、脳が冷静になれと警告しているかのように頭痛を起こした。

ふらついて下駄箱に手をつき呼吸を調えていると、後ろから俺を呼ぶ声がした。


「トシアキ」


聞き慣れた声だった。「シュウ?」


そこには、キョトンと目を丸くして、不思議そうな顔をしたシュウが立っていた。

「お前、アメリカに行くんじゃ…」

「ああ、それ?変更になったよ。ほら、俺、やり残した事あるし」

にっこりと笑うその少年には、違和感があった。

シュウなのに、シュウじゃないみたいだ。


「だって原田はお前がもう日本を発ったって…それに、突然どうしたんだよ?学校来るのあんなに嫌がってたのに…そもそもやりたい事ってなんだよ?」

そう言ってシュウの腕を掴んだ瞬間、背中を戦慄が走った。


腕が肩からずるりと抜け落ちたのだ。


肩の断面から血が吹き出し、もげた骨がそこから突出している。

「うわぁああぁあ!!」

廊下に俺の叫び声が響き渡る。

「トシアキ、痛いよ」

そういうシュウの顔は笑っていた。


「お、お前、その腕―っ!?」


次の瞬間、耳をつんざくような銃声と共に、武装した男達が数十人、なだれ込んできた。俺はまたも悲鳴を上げ、その場に蹲った。


「ちっ」

肩から先が無い異様な姿のシュウは、舌打ちをして階段を駆け上がっていった。


俺の思考回路は完全にフリーズしてしまった。

横を武装した男達が、シュウを追って駆け抜けて行くのをただ呆然と眺めていることしか出来ない。


間も無く、階上から悲鳴と共に、この世の物とは思えない唸り声が聞こえた。

その声で我にかえった俺は、慌てて階段を駆け登った。


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