16-3. 最終章-下
俺と実梅は無言のまま、長い長い階段を登っていく。
約六回ほど踊り場を曲がると、ようやく扉が見えた。この扉の先に、外の世界が待っているはずだ。
実梅が扉のノブを掴み、左にねじって扉を押し開ける。
扉の向こうに広がっていた景色は、とても見覚えのある場所だった。
無駄に広いホール。左右に上へと続く階段。外へとつながる正面の扉からはレッドカーペットが伸び、さらにその先は少し段になって小さなステージになっている。
間違いない。ここは、幸救会の集会場だ。
集会場と言ってもただの集会場じゃない。一階にはこの無駄に広いホール、廊下の奥には更に広い講義室。二回より上は寮のようになっており、特に信仰心の強い信者が百名以上寝泊まりしている。
ここは毎日通い、来慣れた場所だ。このあたりの地理は熟知している。こんな意味の分からないデスゲームの会場だから、もっと山奥にでも捕らわれていたのかと思ったが、ここからならスムーズに逃げられそうだ。
俺は実梅の腕を引き、正面の出入り口へと走った。
バンッ! と大きな破裂音がして、目の前を風が吹き抜ける。風の抜けたほうを見ると、壁には今できたばかりの弾痕があった。
「よぉ、真朝。久しぶりじゃねーか。」
低い声が俺の名を呼ぶ。聞き馴染みのある…、聞きたくなかった声。
声のした方を振り返ると、そこにはこちらに銃口を向け、にたりと笑う男。佐野 洋一が居た。
「元気してたか? 真朝。」
佐野さんはこちらに銃を構えたままそう言って、カツカツと革靴の音を鳴らしながらこちらに近づいた。
彼は俺の目の前の壁を正確に射抜いて見せた。彼の拳銃の腕は、相澤組の他の組員も尊敬するほどの実力だ。彼に銃口を向けられては、下手な動きは出来ない。
そうして固まっている俺とは真逆に、実梅は手に持っていた拳銃を佐野の方へ向けようと動かした。
しかし彼女が手を動かし始めた瞬間、佐野さんは実梅の手元へ銃口を向け、迷いなく引き金を引いた。その銃弾は実梅の持っていた拳銃の銃身に当たり、その衝撃で彼女は拳銃を手放した。勢いのまま、落ちた拳銃はカシャンと音を立てて滑っていく。
「お嬢さん。そんな物騒なもん持ってちゃ危ねぇだろ?」
そう言って笑う佐野さんに、実梅は息を呑んで喉を鳴らす。
佐野さんは実梅の持つ拳銃だけを素早く正確に射抜いて見せた。これは佐野さんを知らない彼女に対する威嚇だろう。実梅は緊張で肩を強ばらせ、目を左右に泳がせる。
そんな俺たちを見て、佐野さんは力を抜いた笑い声を漏らした。
佐野さんは俺たちに見せつけるように銃口を下げ、ホルダーに仕舞う。
「そんな緊張すんな。俺は何も、お前たちを殺したいわけじゃねぇんだ。」
佐野さんは、いつも俺たちの保護者として振舞っている時と同じ優しい笑顔でそう言った。
殺したいわけじゃない。その言葉の真意は、『殺さなきゃいけなくなるような行動を取るな』ということだろう。
「真朝。このゲームの真相を見抜くだけじゃなく、恨みを抱いていたはずの女を籠絡して自力で脱出するなんて、見事な手際だったな。やっぱりお前は天才だ。」
佐野さんはそう言って俺の方へ手のひらを差し出した。
「幸救会に戻って来い。ここではお前の力が必要だ。」
佐野さんは優しい声色でそう言った。
俺が何か悪いことをした時、俺を叱るのは父だった。そうして不貞腐れている所を、この声色で優しい言葉をかけてくれるのが佐野さんだった。
その声色で声をかけないでくれ。家族同然だった『佐野さん』を演じないでくれ。それが俺を騙すための罠だと分かっているのに、心が揺らいでしまう。
「お前ももう大人なんだ、対等な取り引きをしよう。何が不満だったんだ? やっぱり金か? お前の負担になると思って俺が管理して来たが、お前が望むならお前がお布施の全額を管理してもいい。もちろん何割かはこちらに渡して貰う事になるが、その割合も話し合いで決めよう。」
彼はそう言って笑う。
この提案に乗れば、俺は佐野さんに搾取されるだけの存在ではなく、対等な共犯者になれる……?
普通に働くんじゃ手に入らないほどの金額を手に入れて、俺を慕う信者たちに囲まれて悠々自適な生活を送れるかもしれない。
得意のマジックで人を魅了し、信仰心を高め、その財産を騙し取る。インチキだと罵倒する人を黙らせ、時に裏切り者を粛清し……、
やっぱり、ダメだ。
実梅は幸救会に父を殺された。例え信者自信が幸せを感じていたとしても、誰かの不幸の上に成り立っている事に違いはない。俺はそれが嫌で、幸救会から逃げ出したんだ。
「嫌だね。俺はこれ以上、自分のマジックで人が不幸になるところを見るのはごめんだ。これからは人を笑顔にする事に力を使いたい。」
俺は佐野さんの目を真っ直ぐに捉え、堂々とそう言い放った。
佐野さんはしばらく俺の目を見つめた後、はぁーっと一つ、深いため息を付いた。
「やっぱり、血は争えねぇなぁ。親子揃って馬鹿なんだからよぉ。黙って従えばいい思いさせてやるっつってんのに。」
佐野さんは笑う。この笑いは、さっきまでの笑いとは違う。こちらを嘲笑う、佐野 洋一の笑いだ。
「中途半端な正義感なんかに目覚めちまうから、親子共々俺が殺さなくちゃいけなくなる。」
そう言って彼は、ガンホルダーに手をかける。
「待って。『親子共々』…? 父さんは急性心筋梗塞じゃなかったのか…?」
俺がそう言うと、佐野さんはぴたりと手を止めた。
「…ああ、そういう事になってたっけ?」
佐野さんはにたにたと不気味な笑顔を携えて、ぐっとこちらに顔を近づけた。
「お前の父は、俺を裏切った。だから俺が殺したんだよ。」
佐野さんは、低い声でそう囁いた。
ぐらりと視界が歪み、立っていられなくなってその場にしゃがみ込んだ。
全部、全部嘘だった。
『霊能力は嘘であるが、嘘をつくことによって救える人々がいる。そんな人たちを笑顔にする仕事に夕也さんは誇りを持っていた。』
その言葉だけは、ずっと信じてきたのに。志半ばに倒れた父の遺志を継いだという事実だけが、幸救会の活動への罪悪感から逃れるための最後の砦だった。でもそれは、嘘だったのだ。
父を殺していながら、父の葬式で泣く姿を見せ、世話になったからと俺たちを引き取り、俺に嘘の言葉を浴びせて騙した。
父のような存在であった『佐野さん』は、全て、この男が計画的に作り上げた想だった。彼は最初から、仮面の下で俺たちを嘲笑う悪魔だったのだ。
「真朝!」
実梅が俺の名前を呼び、心配そうに肩を抱いた。
俺はふらふらとだらしなく頭を揺らしながら、虚ろな瞳でその場に立ち上がる。
そして両手を大きく後ろへ振り上げ、そのままばっと前へ振った。俺の指先が差した方向にある松明が、順番に火を灯していく。
フラッシュペーパーの端を握り、天井に向かって思いっきり投げる。手に持った方の先端に火をつける。俺の手のひらから天井に向けて炎の柱が突き立てられた。
その炎の柱は、天井に設置されていた火災報知器を直撃する。
ジリリリとけたたましい音が響き渡り、ホールに設置されている複数のスプリンクラーから水が吹き出した。
「…なんだ? 水に濡れれば銃が使えねぇとでも思ったか? 残念だったな、現代の銃はんな雑魚じゃない。」
佐野はそう言って、呆れたように笑った。
「…私は、神の御力を行使する霊能力者。この炎は、神の怒りだ。」
俺は、いつも霊能力者を演じている時の厳かな口調でそう言った。
すると佐野は、ぷっと吹き出して笑う。
「お前、それ誰のおかげで出来てると思ってんだ。その仕掛けを用意したのは俺だろうが。」
彼の言う通り、この仕掛けを用意したのは佐野だ。俺が小さな赤外線ライトを持って手を振ると、それに反応した松明に火がつく。フラッシュペーパーを使ったマジックも、彼の前で何度も披露してきた。彼がこんなものに騙されない事は知っている。
「てめぇは所詮俺の力なしじゃ輝けねぇイカサマ霊能力者、ただの三流マジシャンだろうが! 上手く利用してやるっつってんだ、変な正義感なんか捨てて黙って従ってりゃいいんだよ!」
佐野が叫ぶ。ガンホルダーに手を伸ばしかけた、その時だった。
「真朝様…? こんな水の中で何を…?」
佐野の背後の階段から、一人の信者が降りてきた。それに続いて、ぞろぞろと大量の信者達が一階へと降りてくる。こんなけたたましい音で火災報知器が作動しているんだ。二階にいる信者達が起きないはずがない。
俺は佐野に手のひらを向ける。
「今から私は、この男を霊能力で床に伏せさせる。」
俺はそう言って、佐野に向けた手のひらをゆっくりと下へ降ろす仕草をした。
もし俺が幸救会に戻らなかったとしたら、佐野は引き続き真夜に霊能力者を演じさせるつもりだろう。佐野にとって、いや、相澤組にとって幸救会は大きな資金源だ。佐野一人の失態で幸救会を潰すわけにはいかない。
信者の手前、ここで俺の命令に背くことは、霊能力者・黒名 真朝の能力に傷が付く。
つまり佐野は、俺の命令を拒否出来ない。
「くそが…っ」
俺の思惑に気がついたのであろう佐野は、小さくそう呟いた。心底不愉快そうな顔で、俺の言葉に従ってその場にひれ伏した。俺は少しだけ気分が良くなって笑みを零す。
しかしすぐに真剣な表情へと戻し、俺は周りの信者達に向かって声をあげた。
「この人は裏切り者でした。皆さんからいただいた神聖なお布施を着服していたのです。」
俺がそう言うと、信者達は一様にざわめき始める。
「で、でも、彼は真朝様の忠臣では? そんな彼がそんな事…」
佐野はいつも俺の傍にいた。信者達とも日々コミュニケーションを取っていた。そんな声が上がるのも当然だろう。
俺は信者たちを見渡し、一人の人物を見つけて指を指す。
「八田さん。貴方はここ三ヶ月で腰の痛みが悪化していますね。」
「な、何故分かったのですか!」
「他の皆さんも、ここ三ヶ月の間に何か不幸な事に心当たりがあるはず。それは彼が、皆さんの神聖なお布施を穢れた用途に使用していたからなのです。」
俺がそう言うと、「そういえば…」「あの時のあれって…」と皆が口々に話し始めた。
八田さんの腰の痛みは、読心術でもなんでもない。ただ事前に知っていた内容を喋っただけのホット・リーディング。他の信者達としても、三ヶ月もあればなんかしら小さい不幸な出来事はあるだろうと思って言っただけ。
ただそれだけだが、これまで築き上げてきた『霊能力者・黒名 真朝』としてのブランドが、その言葉に大きな効力を持たせる。
「そんな事していない!」
佐野がそう叫ぶが、もう遅い。
俺が育てた幸救会。ここでは皆、俺の言葉が第一なのだから。
信者たちは皆、佐野に蔑むような視線を浴びせた。
「この男の言葉に耳を貸してはなりません」
俺はそう言って、自分の背後にいる信者の方を振り返る。俺は佐野に背中を向ける。
その瞬間、カシャンっと何かが床を滑る音がした。
振り向くと、床を回転しながら滑る拳銃。拳銃を構えたままの手になっている佐野。そして佐野の手元を高々と蹴り上げる実梅の姿があった。
「わざと真朝が隙を晒したんだもの。あたしの事なんて眼中に無かったでしょ?」
実梅はそう言って、佐野に向かって見得を切る。ミスディレクション、マジックの鉄板だ。
「みんな見た? こいつ、真朝に拳銃を向けたわ!」
実梅がそう叫ぶと、信者の一人が「裏切り者だという何よりの証拠だ!」と叫んだ。
信者達が佐野を糾弾する声でホール内が溢れる。
そんな中、俺は大きな動作で片手を上げた。その瞬間、信者達が一斉に静まり返る。
「穢れた魂を浄化して差し上げなさい」
俺は静かに一言、そう言葉を発した。
信者の数人が、佐野へと飛びかかる。佐野に蹴飛ばされ、数人の信者が床へと転がった。それでもお構い無しに、百人程の信者達が一斉に佐野を囲んでいく。信仰心で動く彼らに、佐野への恐怖心などない。仲間の信者が殴り飛ばされても構いなく、果敢に佐野へと襲いかかる。
最初は抵抗してみせた佐野も、次第にその圧倒的人数差の中に溺れていく。もう吹き飛ばされる者はいない。
幸救会を創った男が、幸救会に殺されるのだ。
俺は佐野の抵抗の様子が見えなくなったのを確認して、実梅の腕を掴んだ。
「行くぞ」
実梅は力強く頷いた。
そのまま俺達は正面の大きな扉へと走り、幸救会の施設の外へ出る。
もう既に空は薄らと明るく、黎明の色をしていた。雲ひとつない澄み切った藍色の空に、茜色の光が差している。
朝のきりっとした冷たい空気が気道を駆けた、昂った熱を冷ましていく。
絶対生きて帰ると宣言した通りになったのに、喜べばいいのか泣けばいいのか分からない。色んなことがありすぎて、感情がぐちゃぐちゃだ。自分の胸中で一番大きい割合を占める感情が何なのか、自分でもよく分からない。何が辛いのかも分かっていないくせに、一丁前に涙だけは溢れてくるんだから不思議だ。
俺は涙を悟られないように、実梅から顔を逸らす。
彼女は何も言わず、実梅の腕を掴む俺の手を優しく解くと、包み込むように手のひらを合わせて繋ぐ。
彼女の暖かい温度が手のひらからじんわりと伝わり、それがまた、何故かつんと鼻の奥を刺激した。
「すごく、綺麗な朝日ね。」
実梅は空を見上げて呟いた。
「…もう、二度と見られないかと思った。あたしにこの景色を見せてくれて、ありがとう。真朝。」
彼女はそう言って、俺の顔を覗き込む。精一杯の笑顔を作りながらも、彼女もまた、どこか複雑な気持ちを心に隠しているようだった。
一歩間違えば、俺も実梅も死んでいたと思う状況が何度もあった。
俺の行動が正しかったのかどうかなんて分からない。それでも今、俺も実梅も生きて外に出られている。それだけで十分だ。
彼女の笑顔を見ていると少しだけ気分が楽になって、俺も脱力した笑みを零す。
そうして二人で笑いあっていると、どんどん気分が晴れていく。俺達はしばらく、二人笑い合った。
一通り笑い合うと、俺たちはゆっくりと朝日に向かって歩み始める。
「…にしても真朝、凄かったわ。本当に超能力でも持ってるみたいだった。」
「お褒めに預かり光栄だ。でも、俺様の実力はあんなもんじゃないぜ。準備が整いさえすれば、もっとすごいマジックだって出来る。」
「じゃあ、ショーをしましょ。真朝が一番輝ける舞台で、世界中の人を驚愕の渦に包み込むの。」
「いいね。俺なら絶対やれる。俺様は天才だからな。」
「すごい自信ね。好きよ、そういうところ。」
「傲慢なところは嫌いなんじゃなかったのか?」
「本当に凄かったんだもの。傲慢なんかじゃないわ。」
そう言うと、彼女は俺の進行方向を塞ぐように立ちはだかった。俺の両手を掴み、真っ直ぐに瞳を見つめる。
「あたし、シロになっちゃったかも。」
実梅は照れたように笑いながらそう言った。
そのまま彼女の顔がゆっくりと近づき、朝日を遮って俺の顔に影を落とす。
彼女はつんとつま先で立って背伸びをして、目を瞑る。カールされた長いまつ毛が揺れ、二つに結わえたツインテールの先端がぴょんと跳ねる。
呼吸の音が聞こえるほどに彼女の顔が近づく。
俺は、彼女の顔の前に手を差し込み、彼女の額を中指で弾いた。
「い~ったぁ! 何すんのよっ!」
彼女はそう言って額を抑え、いつもの調子でキャンキャンと喚いた。
「バーカ。それは吊り橋効果ってやつだよ。慣れない脱出劇で起きた緊張を恋愛だと錯覚してるだけ。このテンションで変な事すると後悔すんぞ。」
俺はそう言って、痛がって足を止める彼女を置いて歩いた。
彼女はぱたぱたと走ってこちらに追いつくと、俺と同じ速度で隣を歩き始める。
「…ま、そうかもね。意地悪なのは変わんないみたいだし。」
彼女は少し不満そうな顔でそう言った。
「この気持ちが一時的な錯覚なのか、確認させて。…また、あたしと会ってくれる? 次は、こんな変な出会いじゃなくて、普通に遊びに行きましょ。」
彼女は照れ笑いをしながらそう言った。
朝日を浴びる彼女の笑顔は、今まで見たどんな絶景よりも美しかった。
あの赤池 実梅が、俺のことを好きになるはずなんてない。きっとさっきまでの非日常のドキドキを恋心と勘違いしているんだ。
だから、今俺の胸中を渦巻くこのときめきも、きっと同じ吊り橋のせいだ。
【TRUE END 朝日を浴びる梅の花】




