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16-2. 最終章-中

 先程まで明るかった広間も、当然ながら真っ暗だ。懐中電灯で足元を照らしながら進んでいく。


「この広間の奥に長い廊下があって、その先に階段がある。そこを登れば外に出られるはず!」


 実梅はそう言って、広間の奥へと歩みを進める。


 俺は彼女の肩に捕まりながら一緒に進んでいく。もう大分力が戻ってきて、普通に立って歩くくらいなら自力でなんとかなりそうだ。肩に捕まる力を少しづつ弱めながら、リハビリのつもりで歩いていく。


 広間の奥へとたどり着くと、彼女は壁の一部分に手のひらを突いて、ぐっと横へスライドする。壁の一部が引き戸になっていたらしい。その引き戸を開けると、懐中電灯の光では先が見えないほど長い通路が続いていた。


 俺たちはそのまま、長い長い通路をやや駆け足で進んでいく。


「長ぇな…。」

「あと少しのはず。頑張って!」


 彼女はそう言って、励ますように俺の背中をぽんぽんと叩いた。


 もうひと踏ん張り、と気合いを入れ直したその時だった。


 パッといきなり通路の電灯が光り出す。


 真っ暗な所からいきなり明るくなり、明暗の差で俺たちはぎゅっと強く目を瞑った。目を瞑っていても差し込んでくる強い光に耐えられず、更に目元を腕で覆う。


 目を慣らすため、腕をそのままに少しづつ目を開いていく。


 不安定な視界の中、誰かの足元が見えた。目の前に、俺と実梅以外の誰かがいる。俺は目を覆うのと逆の腕を実梅の前に伸ばす。


 光沢感のある革靴と、すらりと長い黒のスラックス。相澤組の組員というには少し頼りない、痩躯の男だ。


 十分に目が慣れた頃、俺は腕を退かし、目の前に立ちはだかる人物の全身を見た。





 そこに、鏡でもあるのかと思った。





 毎日見慣れた顔。飽きるほど見てきた顔。唯一違うのは、泣きぼくろの位置が右目の下にあること。



 そこにいたのは、自分と瓜二つの顔を持つ男。――黒名 真夜だった。




「真夜…? なんで、ここに…?」


 なぜ彼がこんなところにいるのか分からなかった。分かりたくなかった。


 俺が震える声でそう尋ねると、真夜はにっこりと笑って見せた。


「やだなぁ。分かってるくせに。僕が鳩羽さんと盃を交わして、このゲームを提案したってことくらい。」


 真夜は飄々とした様子で、一定の笑顔を崩さないままにそう言った。


「兄さんがいなくなってから、僕は幸救会の霊能力者の座を引き継いだ。でも人が入れ替わると、また信者からの信頼を構築しなおさなきゃいけない。だから僕は真朝の名前を借りて、真朝として霊能力者を引き継ぐことにしたんだ。真朝が双子だってことを知らなかった彼らは、まったく疑うことなく僕を受け入れてくれたよ。」


 真夜が幸救会を継いだ事は、実梅の事情を聞いた時から分かっていた。佐野さんに言われて嫌々継いでいるのかと思いきや、どうやらそうでは無さそうだ。


「兄さんがいなくなって、佐野さんの一番は僕になった。鳩羽さんにも気に入られて、毎日が充実してる。こんな幸せな居場所を放り出すなんて、真朝は贅沢者だね。」


 彼はそう言って、狂気を滲ませた瞳で笑ってみせた。


「そうか…。その居場所は、お前にとってはそう言う場所なんだな。俺たちは本当に、正反対の双子だ。」


 俺にとって幸救会は、すぐにでも投げ出してしまいたいような耐え難い運命だった。良心の呵責に苦しみながらも、自分を正当化させる言い訳を必死に探してなんとか生きてきた。


 真夜にとってそこが幸せな居場所だったなら、最初からそんな場所譲ってあげたのに。


「もう幸救会に兄さんの戻る場所なんてないよ。僕は兄さんよりももっと上手くやれるからね。」


 彼はそう言うと、右の手のひらからぼおっと炎を出して見せた。にやりと口角をあげて見得を切る。


 それを見た実梅は、驚きに目を見開いて口元に手を添えた。


 彼女が俺以外のマジックで驚いている事がなんとなく気に食わなくて、俺の中に少しだけ対抗心が芽生えた。


「その程度か? そのくらい、誰だって簡単に出来る。」


 俺は胸ポケットからライターを取り出すと、彼のマジックを暴くように、わざとタネが丸見えになるように堂々とライターの蓋を開けて着火部を右手で握り、反対の手でレバーを押す。


 そして少し待ってから右手を開いた。先程真夜がやって見せたのと同じように、右手の手のひらから炎が立ち登った。


 終始笑顔だった真夜の顔が、初めて歪む。


「わざわざタネ明かしをするなんて野暮じゃない?」

「タネ明かしをされたくなきゃ、もっと難しいマジックを披露するんだな。」


 真夜は小さくため息をつくと、手を大きく振りかぶって勢いよく振る。その瞬間、彼の手のひらから炎が放たれ、こちらへと襲いかかってきた。


 俺は間一髪、その場にしゃがんで炎を避ける。


「危ねぇじゃねー……かっ!」


 俺は細長いフラッシュペーパーを取り出し、端を掴んだままもう片方の端を真夜目がけてなげる。それと同時に手で持った方の先端に火をつける。真夜がやって見せたのと同じように、炎が真夜目がけて襲い掛かる。すんでの所で真夜は軽く横にいなしてその炎を避けた。


「なんだ? 俺と知恵比べがしたかったのか? 俺がいなくなって好都合なら、そのまま殺せばよかっただろ! なんでわざわざこんなことまわりくどいデスゲームなんて開いたんだよ!」


「僕は兄さんが憎かった。どうせならお前の名誉も、身体も、全て僕の糧として使い尽くしてやりたかったんだよ。」


「憎い…? 仲が良かったって言うつもりはないけど、憎まれるような覚えはねーよ。むしろ色々してやった方じゃねーか。」


 俺がそう言うと、真夜はきっと強くこちらを睨み付ける。いつの間にか指先に握られていたトランプを手首で弾き、俺を目がけてシュートする。そのトランプは俺の頬を掠める、鋭い痛みが走る。手の甲で拭うと、細い線のような血が擦れた跡が付いた。


「僕は言ったはずだ。『お前の犯してきた罪から目を背けるな』と。」


 彼はそう言って、怨恨を隠さないひどく歪んだ顔でこちらを睨みつけた。今まで見たことのない真夜の表情に、背筋がぞくりと粟立つ。


「お前がいる限り、僕はいてもいなくてもどうだっていい二番手で、守られるべき弱者だった。お前の親切は全部、お前の評価を上げるための自己満足だろ。」


「はぁ…? 何の話しだ?」


「何をするにも"無理をするな"って成長の機会を奪われ続ける。兄である君だけが期待されて、どんどん成長していく姿を隣で見せつけられる。たった数十分しか生まれた時間が違わないのに、僕は『弟』にさせられる! お前がいるせいで…っ!」


 真夜は感情をむき出しにして、力強く髪を振り乱しながら嗄れた声でそう叫び、怒り任せに懐からトランプを引き抜いてこちらに向かってシュートする。


 二度同じ轍は踏まない。俺は軽く横にいなしてそのトランプを避ける。


 彼の怒りに乗せられ、俺の脳内も沸々と温度が高まっていく。俺は内ポケットからトランプを取り出し、同じように真夜に向けてシュートした。トランプが彼の頬を掠め、赤い傷跡を作る。


「成長の機会を奪い続けた? 早々に諦めてやめる選択をしたのはお前だろ! 人のせいにすんなよ!」

「でも父さんは真朝にだけ諦めを許さなかった! お前だけに機会が与えられ続けた!」


 真夜はそう叫びながら、またこちらにトランプをシュートする。


「そのせいで俺がどれだけ苦労したかわかってんのかよ! 諦めが許されない! いつだってお前を守って完璧でいなくちゃいけない! お前に俺の辛さが分かんのかよ!」

「本当は努力したかったのに、無理しなくて大丈夫と止められ続ける苦しさはお前には分からない!」

「ああ分からねーよ! そんなのただの言い訳だろうが! 本当にやりたいならやればよかっただけじゃねーか!」

「真朝は恵まれてることに気づいてないだけだ! お前の言葉は全て成功者の妄言にしか聞こえない!」


 昂った感情のままに、俺たちはトランプをシュートし合いながら互いの気持ちをぶつけ合う。


「そのくせ無理やり舞台に立たせたり、自分中心の人の輪に巻き込んだり、お前の得意なフィールドで僕のコンプレックスを煽るような事ばっかりしやがって!」

「被害妄想が過ぎるんだよ! お前のために俺はわざわざ…」

「それがお節介だって言ってんだろ! いらない優しさなんだよ! 一人になりたくてわざと別のところに行こうとした高校に合わせて追ってきた事も!」

「お前が父さんを心配させるから悪いんだろ! 俺だって本当は合わせたく無かった!」

「『朝』と『夜』なんて意味深な名前を付けて、生まれながらにして序列を付けられて! 朝を冠する名前を与えられた君に、夜の僕の気持ちなんて分かるはずがない!」


 互いの頬に無数のかすり傷が付いた。気づくと俺の息はひどく荒れていた。静かになった廊下に、互いの荒い呼吸の音だけが響き渡る。


「……僕たちは正反対。正反対に"させられた"双子だった。」


 真夜は、少し落ち着かせたトーンでそう言った。


「何言ってんだ。正反対なんかじゃねぇ。そっくりじゃねーか。コンプレックスこじらせて、使命感に押し潰されていたのは俺だけじゃなかったのか。」


 俺がそう返すと、真夜は少し黙って呼吸を落ち着かせた。


 昂っていた二人の熱が、徐々に落ち着きを取り戻す。


「俺達はもっと早く、本音で話し合うべきだった。そうすれば俺もお前も、こんなに辛い思いをすることなんて無かった。…悪かったよ。真夜がそんな思いをしてたなんて、知らなかった。」

「今更謝るなよ。…僕の決心が、鈍るだろ。」


 真夜は泣きそうな表情になりながらも、太腿に括られたガンホルダーから一丁の拳銃を取り出した。


「真朝がいるせいで、僕はずっと守られる存在だった。誰の一番にもなれなかった。…でも今は、佐野さんが僕を頼ってくれてる。鳩羽さんも気に入ってくれてる。真朝がいなくなってやっと僕なりの幸せを手に入れたんだ。この幸せは失いたくはない。」


 真夜はそう言って、拳銃の銃口を俺に向けて構える。


「失敗は許されない。真朝にはここで死んでもらわなくちゃいけない。彼らの一番であり続けるためなら、僕はなんだってやれる。僕はお前を殺すしかないんだ。」


 そう言う彼の手元は、緊張でがくがくと震えている。震えを抑えようと、拳銃を持つ腕を反対の腕で抑えた。


「あんたが今頼られてるのは、都合のいい駒だからよ! 都合が悪くなったらきっとすぐに切り捨てられる。そんな存在に存在意義を見出す必要はないわ! あんたにはもっといい居場所があるはず!」


 実梅が叫ぶ。すると、真夜の顔がまた醜く歪む。


「うるさい! お前が語るな! 僕と真朝の見分けも付いていないようなやつに、僕の何がわかる!」


 真夜はまた感情的になって、そう叫んだ。


「っ、だってあれは距離が遠かったし、あんた変に厳かな演技してたし、マジックミラーに気づかなくて…」

「幸救会の事はどうだっていい! 小学四年生のあの日、お前は真朝と間違えて僕に告白をした! あの時の僕の屈辱が! お前に分かってたまるか!」


 感情任せにそう叫ぶ真夜に、実梅はたじろいだ。しかし実梅は、真夜の言っている事がよく理解出来ていない様子だった。



 ずっと気になってた。動物を怖がる真夜が、野良猫の世話なんてするだろうか。


 実梅は『優しい背中と朗らかな温かい笑み』を好きになったと言っていた。


 彼女は何故、背中と笑顔を同時に見ているんだろうか? 


 児童館の壁はガラス張り。彼女はきっと、こちらに背を向ける人物を見て、児童館のガラスに写った顔を見ていたのだ。その顔はマジックミラーのマジック同様、鏡写しになっている。だから彼女は俺を真夜であると勘違いしたのだ。


 実梅はよく分かっていないようだけど、ここで解説しても真夜の怒りを煽るだけだ。これは心の中に留めておこう。


 困り顔で立ち尽くす実梅をよそに、真夜は拳銃を構える腕に再び力を込める。


「…もういい。二人まとめて死ね。」


 真夜は低い声でそう言うと、構えた拳銃の引き金を引いた。


 バンッ! と大きな発砲音が響く。


 彼の発砲した弾丸は、俺にも実梅にも全くかすらない、遥か遠くの天井へと着弾した。


 それを確認すると、真夜はチッと舌打ちを鳴らし、銃を俺に向けて構えたまま堂々とこちらへ近づいてきた。


 彼が相澤組に入ったのは早くて三月。それまでは拳銃を撃つ機会なんてもちろん無かったはずだ。真夜はまだ、あの距離から銃を命中させる事が出来ない。だから近づいて撃とうとしているんだ。


 近づいてくれるならこちらにも勝機はある。


 俺は恐怖で足が竦んで逃げられないフリをしながら、ギリギリまで真夜を引きつける。十分に距離が近くなり、彼の引き金にかける指先がぴくりと動く。彼が引き金を引くよりも先に、俺はバレないようにジャケットの中で準備していた整髪料のスプレー缶を取り出し、彼の目元をめがけて噴射した。


 真夜は呻くような声を漏らしながら、手で両目を抑える。強く握った目からは、とめどなく涙が溢れ出ている。


 俺はそのまま、真夜の持つ拳銃を奪おうと飛びかかった。しかし弛緩剤が残って本調子じゃないせいか、真夜は片手で握っているにも関わらず拳銃を奪う事が出来ない。


「真朝どいて!」


 実梅の声が聞こえ、俺は真夜から距離を取る。

 すると実梅が真夜の手元目がけて全力のキックをかまし、握られていた拳銃を蹴り飛ばした。実梅はそのまま、飛んでいった拳銃を追いかけて走る。


「くそ…っ!」


 真夜は目を瞑ったままそう叫ぶと、反対のガンホルダーからもう一丁の拳銃を取り出した。そして拳銃を構えると、目が見えないままあらぬ方向へ乱射した。

 一発、二発と壁を穿ち、ランダムに牙を剥く銃口が、次は俺のいる方を正確に捉える。


 撃たれる――。そう思って思わず目を瞑ってしまった、その時だった。


「ぐ、あああああっ!!」


 バンッ! という銃声と共に、男の大きな悲鳴が聞こえた。


 目を開けると、そこには床に蹲って丸くなった真夜と、真夜に銃口を向けたままの実梅がいた。


 真夜の足首のスラックスには赤黒い血の染み。真夜は苦しそうに呻きながら銃を手放し、両手で血が溢れる足首を必死に抑えている。


 実梅は真夜に銃口を向けたまま真夜へと近づき、彼のこめかみへと銃口を突き付けた。


 俺はその銃口を手のひらで塞ぐように抑えた。


「この調子じゃ、しばらく動けないだろ。追ってくる心配はない。…だから、そこまでする必要はない。」


 真夜は荒い呼吸で足を抑えたまま動かない。

 実梅はその様子をしばらく見つめた後、無言のままゆっくりと銃口を下げて床に向けた。


「…行こう。」


 実梅はそう言って、俺の腕を引く。外へつながる階段の方へと俺を導いた。俺は彼女に引かれるままに足を進める。真夜は動く気配がない。


 階段を一歩登ったところで、ふと思い立って、俺は足を止めた。実梅が心配そうにこちらを振り向いた。


「…やっぱり、最後に一つだけ、言わせてくれ。」


 俺は真夜の方を振り返って口を開いた。


 真夜はいまだ、あの場所で蹲ったままだ。


「父さんがお前に"無理するな"と声をかけ続けていたのは、お前が弟だからじゃない。」


 俺は続けて話す。聞こえているのかいないのか、真夜は全く返事を返さない。体を大きく上下に揺らし、ふーっと細い息を漏らしながら肩で呼吸をし続けている。


「俺たちの母親が写ってるたった一枚の写真。どんな写真だったか、覚えてるか?」

「…当たり前。」


 ずっと言葉を返さないつもりなのかと思いきや、今度はそう返事をしてくれた。


 俺たちの母親が写っているたった一枚残された写真。病院のベッドで、生まれたばかりの一人の赤子を抱きかかえる母の写真だ。


「真夜はよくあの写真を眺めてたもんな。…あの写真、おかしいと思わないか?」

「…何が?」


「母親は出産と同時に死んだはずなのに、あの写真は子供を抱いてる。」


 俺がそう言うと、真夜ははっと顔を上げた。体の向きはそのままに、顔だけをこちらに向けて振り返る。


「あの写真に写っている子供は一人だけ。あの子供は俺だ。俺と真夜は間違いなく双子だ。でも、俺たちは同時には産まれなかった。」


「…なんで、そんな事を知っている?」


「六歳の頃、俺はあの写真を見てこの疑問を抱いて、父さんに訪ねた。その時、父からこの話しを聞いたんだ。」


「…それで? 僕たちが同時に生まれなかったから何?」


「今から十八年前の三月九日、午前八時。第一子を産んだ所で母の陣痛は止まってしまった。母体に残された第二子は、それから十二時間後の午後八時に産まれたんだ。俺たちの名前の由来は、序列なんかじゃない。同じ日の朝に産まれた子供と夜に産まれた子供だったから付けられた名前だったんだ。その日は朝から夜まで雲一つない、澄み切った真っ新な空が綺麗な日だったらしい。そんな空のように純真な心で育ってほしい。そんな思いを込めて、『真朝』と『真夜』と名付けたんだって。


 そんな難産で母体に大きな負担がかかって、母は第二子の出産と同時に死亡した。そして産まれた第二子も、重度の無酸素脳症に陥っていた。第二子の状態が回復したのは奇跡に近かったらしい。それでも第二子には、心肺機能に重大な後遺症が残ってしまった。俺たちがまだ言葉も喋れない赤子の頃、第二子――、真夜は、何度も生死の境を彷徨っていたらしい。


 最愛の妻を亡くして間もなかった父さんは、これ以上愛しい存在が自分の目の前から居なくなってしまう事が怖かった。


 だから父さんは何度も、お前に"無理をするな"と声をかけ続けた。それはお前のことが大切だったからだ。」


 そこまで話終えると、真夜の呼吸の音が震えていることに気が付いた。彼の瞳からは、とめどなく涙が溢れ、床に水たまりを作る。それが整髪スプレーのせいなのか、足に当たった銃弾のせいなのか、何なのかは分からない。


「この話しを真夜にしなかったのは、お前が優しい子だったから。そして、お前が母さんの写真を頻繁に見返すほど、母さんのことを愛していたから。間違っても真夜が自分のせいで母親が死んだだなんて、そんなことを思わないように。…お前は俺が父さんから贔屓されていたように感じていたかもしれねーが、俺から見たら贔屓されていたのはお前の方だ。父さんはお前に意地悪を言っていたんじゃない。お前のことが大切だからそう言っていたんだ。」


 真夜は何も言葉を返さない。ただただ、凍えるような震えた吐息を漏らすのみだった。


「…………早く、行け。」


 真夜は、絞り出すような声で小さくそう言った。


「……言われなくても。」


 俺はそう言って、彼に背を向ける。


 今度は俺が実梅の腕を掴んで、彼女の腕を引く。実梅は先に進むのを少し躊躇している様子だったが、俺が強く腕を引くとそのまま黙って付いてきてくれた。彼女の顔は、何故かとても悲しそうだった。


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