15-D. 赤池 実梅を指名する
「俺は、赤池 実梅を選択する。」
『…承りました。』
少しだけ驚いたような声色で返答が聞こえたその瞬間、シューッという音が部屋に響き渡った。音と共に、天井から細かいミストが降ってきた。ミストを吸い込むと独特の臭いがして、俺はごほごほと咳込んだ。
「なんだっ、これ…!?」
『ただの筋弛緩剤だ』
スピーカー越しの声が簡潔に一言だけそう答えた。
言われて俺は、全身に力が入りにくくなっている事に気がついた。指先は辛うじてゆっくり動かせるものの、全身は寝返りをうつのがやっとで、身体を起こす事は難しそうだ。
…なるほど。クロが俺を殺す際、俺が抵抗したらどうするつもりなんだろうという所はずっと疑問だった。弛緩剤で俺の金力を奪えば、クロは安全に俺を殺せるって訳か。
しばらくすると、ミストが止まる。それからカラカラと換気扇の回る音がしばらく続いた。
十分くらい経っただろうか。力の入らない身体をぐったりとベッドに預けてぼーっと天井を眺めていると、ガチャリと扉の開く音が聞こえた。
開いた扉の合間から入ってきたのは、情熱的な赤色のドレスを身に纏う、赤池 実梅だ。
「アンタ、バッカじゃない? 唯一のクロ確を選ぶなんて、どんな推理したらそんな決断になるわけ?」
実梅は心底呆れた様子で、こちらを嘲るような視線を送る。
「…俺を殺す前に、バカな俺の推理を聞いてくれないか?」
俺が真剣な表情でそう言うと、実梅は嘲るような表情のまま口を開く。
「いいわ。弛緩剤の持続時間はたっぷりある。最期だもの、ゆっくり話しを聞いてあげる。」
彼女はそう言うと、壁に背を預けて脱力する。言葉通り、ゆっくり話しを聞く準備は出来ているらしい。
「一人ずつ順番に話していこうと思う。まず、紫乃 菖。彼女の母親は幸救会の信者だった。ここまでならまずクロ。しかし彼女は母を恨んでいると言った。歪ではあるが、それなら彼女がシロの可能性もあると思った。俺はそういう崇拝者を何人も見てきたからな。しかし彼女は、母の作った指輪をつけていた。他に持っていないから惰性でつけているっていうのに納得しかけたけど、惰性でつけるにしてはあまりにもサイズがぶかぶかだった。あれじゃすぐに指から擦り落ちてしまう。そんな面倒なものを身に着け続けるなんて特別な思い入れなしじゃあり得ない。それに加え、彼女は年上の女性と一緒に白河の蕎麦屋に通っていた。その女性は同じ大学の同期だって言ってたけど、その人は随分特殊なタイパ主義者だった。紫乃の通うT大と西区の蕎麦屋は電車で一時間半ほど離れている。T大付近に住んでいる人が頻繁に通うのは不自然だ。紫乃が嘘を付いたとするなら、それは母親と一緒に通っていたことを隠そうとしたからだろう。よって彼女はクロだ。」
「ま、紫乃さんは証拠カードが悪かったわね。あたしから見てても大分苦しい言い訳に聞こえたし、納得の推理ね。」
「次に白河 蘭。彼女は更科組という反社会的組織に嫌がらせをされている。そんなの俺が知ったことじゃない。しかし彼女は、更科組から嫌がらせをされる前、相澤組という別の反社会的組織から守られていた。しかしみかじめ料の値上げに応じなかった事で相澤組からの支援が途切れている。何故相澤組がみかじめ料の値上げなんて事を始めたのか? それは、もうひとつの情報である『資金総額一億円が盗まれた』ということと繋がってくる。資産が盗まれたのは三月、彼女がみかじめ料の値上げをされたのは四月。相澤組の経済状況の悪化はこの件が原因。組は犯人特定に躍起になっていて、少ないシノギの仕事に時間を割いている場合ではなかったはずだ。…そして、相澤組から資金を盗んだ犯人は、俺だ。」
「ちょ、ちょっと待って! あれ、アンタの仕業だったの?」
「ああ。弱みを晒したくなくて黙ってたけど、あれは俺だ。証拠カードに提示されていた金額の半額しか盗んでねぇけどな。そこについてはまた後で話す。…推理の続きに戻させてくれ。資金を盗んだのは俺で、白河は俺が犯人であることを相澤組の連中から聞き、知っていた。それなら、彼女の蕎麦屋の経営不振に繋がった元凶が俺だと考えてもおかしくない。つまり彼女もクロだ。」
「…なるほどね。あたし達目線はシロっぽく見えていたけど、真朝目線はクロだと予想がつけやすかったのね。」
「次に桃瀬 莉桜。彼女はクロになる証拠もシロになる証拠もない。しかし彼女は意図的に場を掻き回すような発言が多かった。よって誰かに依頼されてクロとして潜り込んだ可能性が高い。それがクイーンビーだ。クイーンビーには身体にクモのタトゥーが刻まれている。…実梅。クモのタトゥーといったら、どんなクモを思い浮かべる?」
「え? そりゃ、足が細くて長めの、黒いスタンダードなやつよ。」
「実梅は今、蜘蛛の種類を聞かれたと思ったな? クモのタトゥーと聞いたら、真っ先に虫の蜘蛛を思い浮かべるだろう。しかし莉桜は、クモをもふもふしていて可愛いと言った。足に毛が生えている様子を可愛いと言う狂ったセンスの持ち主かと思ったけど、きっと彼女は空に浮かぶ雲を思い浮かべていた。真っ先に空の雲を想像したのは、クイーンビーに入っているタトゥーが空の雲のタトゥーだと知っていたからだろう。よって彼女もクロだ。」
「へぇ…、クイーンビーは五人の身体さえ検められなければ見つからないと思ってたのに、まさかそんな推理で見つけちゃうなんて。アンタ意外と冴えてるわね。」
「褒めるにはまだ早いぜ。次は黄田 陽葵。黄田は相澤組の組長の愛人だった。ここまでの三人と実梅の証拠カードを消していくと、最後に残るのは『相澤組の資金を盗んだ』だ。俺はずっと、このカードは俺の犯行を示すカードだと思っていた。しかし実際は違った。このカードは、俺と黄田二人の犯行を示す証拠カードだったんだ。俺がどうやって金を盗んだのかってところに話しを移そう。それは本当に偶然の重なりだった。卒業式後のクラス会で二次会に向かう途中に事務所の近くを通りかかった時、俺はなんとなく事務所に寄ってみることにしたんだ。窓が空いているか見てみようとしたら、なんと扉が開いていた。そして中に入ると、現金の入った金庫の扉が既に開かれていた。中には現金五千万円が入っていた。俺はそれを盗んで逃げた。…何故こんな出来た状況になっていたのか? そう。その時は、俺以外にその現金を盗もうとしていたやつの犯行の途中だったんだ。愛人である黄田は、事務所の合鍵を渡されていた。金庫の暗証番号も盗み見る隙があったんだろう。会合の最中に事務所に忍び込み、金庫を開けて現金を約半分ほど詰めたところで、誰かが入ってくる気配がした。それが俺だ。だから黄田は金庫をそのままに、慌ててどこかに隠れた。そして隠れた物陰から、俺が金を盗む所を見ていた。俺が五千万円しか盗んでいないのに証拠カードには一億盗まれてたと書かれていたのは、半分の五千万円は黄田が盗んでいたからだ。黄田はその後も相澤組との交流がつづいている。一億全てを俺が盗んだと相澤組の連中が思い込んでいるおかげで、黄田の罪は相澤組にバレなかった。俺は黄田にとって恩人になった。…つまり、黄田はシロだ。」
俺がそう言い切ると、実梅はぽかんとした表情で口を開けて呆けた。
「……アンタ、バカ? そこまで推理出来てて、なんで黄田 陽葵を指名しなかったのよ。」
実梅は怪訝な表情でこちらを見る。
「黄田 陽葵を指名したとしても、俺は死ぬと思ったからだ。」
俺の言葉に、実梅はピンと来ていない様子で首を傾げた。
「このデスゲームは、資金を盗んだ俺を裁くために相澤組の関係者が準備したものだ。当初相澤組の連中は有無を言わさず俺を殺すつもりだったらしい。しかし一人の組員がこのデスゲームを計画し、組長が気に入ってこの企画が遂行されることになった。ゲームの様子は配信されてるみたいだったし、俺の死をエンタメに昇華して盗んだ資金の元を取ろうって魂胆だったんだろ。まぁあとは刺激的なエンタメで人々を楽しませる…みたいな理由もあったんだろうな。あの人はそういうのが好きだから。でもこの計画は一つ問題がある。俺の行動次第で俺が死なない可能性があるってことだ。そんな不完全な計画を、他の組員たちは何の異論もなく許可するだろうか? するわけない。彼らは裏切り者に厳しい。そうでないと面子を保てないからな。なら、何故この企画が遂行されたのか。俺がシロを指名出来たとしても、最後に二人まとめて殺すつもりだったからだ。」
「スポーツマンシップに則って無さすぎない?」
「デスゲームにスポーツマンシップもクソもないだろ」
「それはそうかもしれないけど。なんか、納得出来ないわ。」
彼女はそう言って眉を顰め、ツインテールの先を指でいじった。
「二つ、違和感があったんだ。まず一つ目が桃瀬 莉桜…、クイーンビーの存在だ。黄田 陽葵はこのゲームが相澤組によって開催されている事を知っていて、相澤組の組員に声をかけられて参加している。彼女は主催者側と繋がっている参加者だった。桃瀬 莉桜は、相澤組と専属契約している暗殺者。つまり今回も相澤組からの依頼を受けてこのゲームに参加している。何故相澤組は、五人の中に二人も組と繋がりのある手先のような存在を潜り込ませる必要があったのか? 場をコントロールしたいなら、一人だけで事足りるはずだ。つまり、黄田は最初から手先などではなかった。相澤組の手先は莉桜一人だけだったんだ。」
「黄田 陽葵はシロだったんだもの。場をコントロールしたいなら、クロ側に手先を仕込むのは当然じゃない?」
「二つ目は証拠カード。五枚の証拠カードのうち、一枚は俺の犯した盗みに関する情報だった。相澤組がこの犯行を俺一人でやったと思い込んでいるなら、この証拠カードを用意する意味がないんだよ。」
「まぁ、確かに…。あのカードの時だけ議論時間すごく短かったしね。」
「あれは間違いなく、黄田 陽葵がシロであるという証拠として用意されていた。金額の差で、俺以外に盗んだ奴がいると気づかせるためのカードだったんだ。これを用意出来るということは、相澤組は黄田が資金の半分を盗んでいた事に気づいていた。黄田が裏切り者である事を知っていたなら、彼女を俺と二人まとめて殺そうとする事にも納得出来る。」
彼女は少しだけ難しい顔で悩み込む素振りを見せてから、すぐにこちらに向き直って口を開いた。
「…もしそれがその通りだったとして、クロを指名したってクロに殺されるだけじゃない。なんの解決にもなってないわ。」
「そんなことはない。お前は俺を殺せないからな。」
俺がそう言うと、彼女は一気に顔に熱を昇らせ、瞳に怒気を孕ませる。
「あたしに覚悟がないって言いたいワケ? 随分と舐められたものね。」
「そう言う事じゃない。お前には俺を殺す動機がないんだ。」
俺の言葉に、彼女は眉を顰めた。
「…何言ってんの? あたしのパパを殺しておいて、よくそんなことが言えたわね。」
「俺は殺してない。」
「殺したも同然でしょ! あんたの命令で殺されたんだから!」
「俺はそんな命令してない! そもそも俺はその日幸救会に顔を出してない。俺はお前の父親の死に一切関与してねぇんだよ!」
俺がそう叫ぶと、彼女は困惑で瞳を揺らがせた。
「俺は三月に相澤組の資金を盗み、飛行機で九州まで飛んで逃げている。相澤組の管轄内の幸救会に、五月に堂々と姿を現せるわけがない。」
「はぁ…? だって、あたし、はっきり見たもの。あんたがー、」
「パッとその場で消えるマジックをする所?」
「そうよ!」
「知ってる通り、幸救会を率いるのは本物の霊能力者なんかじゃない。ただのマジシャンだ。マジックをするためには仕掛けが必要。そのマジックには、仕掛けがある。」
「そんなの知ってるわよ。小学四年生の時、うざいほど何度もタネを聞かせてきたのはあんたでしょ。その場に立ってるように見せかけて、実はマジックミラーに写った姿だったーってやつ。」
「その通り。…改めて聞くけど、お前はあの時、そこにいる霊能力者を何故俺だと思ったんだ? お前は、俺と瓜二つな双子の弟がいることを知っていたはずだ。」
「そんなのもちろん、泣きぼくろが左目の下に――」
そこまで言って、彼女ははっとしたように大きく目を見開いた。
「お前が見たのは、鏡写しになった真夜の姿だ。」
実梅は痛々しいほどに目を見開き、口を抑えて絶句する。彼女はそのまましばらく、俯いてぐっと黙り込んだ。
「お前は、黄田に話していたらしいな。『父親を殺した関係者全てを殺したい』と。」
そう言うと彼女はこちらに視線を向けず、俯いたまま首を縦に振った。
「俺が幸救会で霊能力者を名乗っていたことは事実だ。あの宗教を育てた責任は俺にある。だから、俺に全く非がないかと言われると、そうとは言えない。俺が直接殺しを命令したわけではないと知ったうえで、それでも俺が憎いなら、ここで俺のことを殺してくれ。」
実梅は驚いたように顔を上げてこちらを見る。俺は真剣な表情で彼女に視線を合わせた。
「…何それ。死なないためにあたしを選んだんじゃないの? そんな事言っちゃって大丈夫?」
「お前に勘違いされたまま殺されるのは癪だったんだ。全部真実が明らかになったうえで、それでも殺したいっていうんなら、俺は大人しく従うよ。それくらいのことをしてきた自覚はあるからな。」
実梅は辛そうに表情を歪め、両手で頭を抱えた。その状態のまま、彼女は苦しそうに口を開く。
「…あんた、なんで変な宗教で霊能力者なんてやってんのよ。」
「…その話しは、ちょっと長くなるぜ。」
俺はそう前置きして、ゆっくりと話し始めた。
父が佐野さんにスカウトされたこと。父が亡くなり、佐野さんに引き取られたこと。父が教祖だと明かされ、継いでほしいと頼まれたこと。
全て話すと、彼女は何故か泣きそうな顔をしていた。
「…さっきあんた、幸救会は相澤組の管轄って言ってたけど、あんたが相澤組から資金を盗んだことと、幸救会は何か関係してるの?」
俺はまた、長話をした。幸救会のお布施は佐野さんが管理していたこと。俺に渡す気はないと話していたのを盗み聞きしたこと。そして、幸救会で人を騙し続けることに感じていた罪悪感を。
「俺は、本当は霊能力者なんて騙りたくなかった。幸救会から逃げたかった。あのチャンスを逃したら、もう二度と自由になるためのチャンスなんて巡って来ない気がしたんだ。」
話していると辛くなって、視界が涙で霞み始めた。体の自由が利かないせいでその涙は隠すこともできず、情けなく垂れ流された。
そんな俺の涙を、実梅が指先で掬った。そのまま彼女は俺の頭を抱え、ぎゅっと強く抱きしめた。
「あんたも、被害者だったのね。」
「…それは違う。俺は被害者なんかじゃない。悪い事だと知りながら、俺は霊能力者のフリを続けた。俺はただの加害者だ。俺が被害者ぶるだなんて、許されない。」
「問題は一つだけじゃない。確かにあんたは、幸救会の信者の人生を狂わせた加害者かもしれない。でも、そうさせるためにアンタを言葉巧みに騙した奴がいたのは確か。その点においては、アンタは確実に被害者よ。」
彼女は力強く、言い聞かせるようにそう言った。
「罪の意識を覚えて、逃げられなくて、それでもずっと誰にも相談出来なくて…、辛かったわね。」
かと思えば、彼女はまるで自分事のように辛そうに、声を震わせながら言葉を絞り出す。
俺の肩が温かい液体で濡れる感触がする。彼女の身体が小刻みに震える。
そんな事をされたら、我慢が効かなくなってしまうじゃないか。栓が外れたように、俺の瞳から止めどなく涙が溢れた。
…ああ、そうか。俺はずっと、誰かにこうやって寄り添って欲しかったんだ。
傲慢さという鎧で固められた中に潜む脆い本心を、誰かにさらけ出したかった。
自分はいつだって天才児と呼ばれ、天才児でなくてはならない存在だった。失望されないように、努力し続けなくてはならなかった。でも天才であるためには、その努力を見せてはならなかった。誰にも。
俺は兄だった。いつだってしゃんと背筋を伸ばして立っていないといけなかった。弟の前では弱い姿を見せられない。弱音なんて決して吐けなかった。
俺は孤独だった。色んな人に囲まれながらも、本当の俺を知ってくれている人は一人もいない。誰にも本心を見せられない。
俺が嫌になったのは幸救会だけじゃなかった。俺の人生全てに疲弊していた。
だから俺はあの日、真夜を置いて一人きりで逃げたんだ。
それからしばらくの間、俺たちは無言で抱き合いながら涙を流した。時折鼻をすする音だけが部屋の中に響いていた。
やっと気持ちが落ち着いて涙が止まった頃、時同じくして実梅も最後の涙を拭った。ゆっくりと名残惜しそうにしながら身体を離し、彼女は真っ直ぐに俺の瞳を見据えた。
彼女の顔は、涙で目元のメイクが崩れ、ポロポロと黒い粒が目の下に溜まっていた。そんな姿でさえ絵になってしまうのだから、美女というのは恐ろしい。
「決めたわ。」
実梅は、俺の目を見つめながら、はっきりとした意思でそう言った。
彼女は力強く立ち上がると、カメラの方を振り向いた。
「あたしは、黒名 真朝を殺さない。」
実梅は堂々とそう宣言した。その背中がとても頼もしく見えた。
『……シャバい展開だなぁ。』
実梅の宣言から少しだけ間を開けて、がさついた機械音声がそう返事をした。
『あるあるだよね、デスゲーム物の途中でラブロマンスが生まれてやっすい感動展開に持ってかれるパターン。僕ならその片鱗が見えた時点で低評価押してブラウザバックだね。』
スピーカー越しの音声は嘲笑うようにそう言って鼻を鳴らす。
『赤池 実梅。クロとして参加させてあげたんだから、ちゃんと役目を果たしなよ。せっかく復讐のチャンスを上げたっていうのに、恩を仇で返す気?』
「真朝をこんな目に合わせてたって知ったら、余計に黒幕の存在が許せなくなった。復讐の対象が変わったの。」
実梅はカメラに向かって力強くそう返した。
そんな勇敢な彼女の姿が、俺に底知れない力を与えてくれる。
少しだけ動くようになった腕に精一杯の力を込めて、俺は袖でぐっと顔周りの涙を拭う。彼女が寝返って繋いでくれた命、絶対に無駄には出来ない。弱気モードはもう終わりだ。
「さて、どうする? 今度は弛緩剤じゃなくて毒の霧でもばら蒔いて、二人まとめて殺すか?」
俺はいつも通りの口調に戻し、カメラに向かってそう言った。
『そうしたいくらいだ』
「でも出来ないだろ? 相澤組は、敵にならないカタギには容易に手を出さない、人情深い集団のはずだ。」
俺は少しだけ皮肉を込めてそう言った。スピーカーの奥の主がどんな思想を持っていようと、組の思想は容易には裏切れないはず。
相澤組にとって敵である黄田を指名したら一緒に殺される。でも黄田以外の人物は容易に殺すことが出来ない。黄田以外の人物を指名するのは、人質のような意味でもあった。
『バカだなぁ。クロとしての役目を果たさなかった時点で、彼女は立派な裏切り者だ。殺す動機はある。あと少しで佐野さんがここに来る。二人まとめて殺してもらう事にするよ。』
スピーカー越しの音声はそう言った。
あと少しで来るという事は、今ここにはいないという事だ。時間稼ぎをせずとも準備時間が取れるのは大分ありがたい。
わざわざ佐野さんを呼ぶという事は、スピーカー越しの声の主は肉体派ではない人物なんだろうか。
『赤池 実梅。最後のチャンスだ。佐野さんが到着するまでに黒名 真朝を殺せば、お前だけは解放してやる。』
スピーカー越しの声は加工されていても伝わるほどにイライラした様子で、声を荒らげながらそう言った。
「らしいけど、どうする? 俺の事を殺すか?」
「馬鹿言わないで。殺すわけないでしょ。あんたはあたしの仇じゃないもの。」
実梅はカメラからこちらに視線を寄越して、一秒も思考することなく即答する。頼もしい答えだ。
「ありがとう、実梅。お前は俺を殺さないでくれた。なら俺も、お前を殺させない。絶対にここから救い出してやるよ。」
俺は彼女の目を見てそう言った。すぐかりいつもの調子を取り戻した俺に、彼女はにっこりと笑い返した。
俺は実梅からカメラの方へと視線を写し、カメラに向かって手を振った。
「なぁ、この様子って配信されてんだろ? 趣味の悪い視聴者様達に、俺様がデスゲームなんかよりもっと凄い物を見せてやるよ。」
俺はそう言って、勢いよく自分の拳を天に掲げた。すると、どこからともなく現れた大量のトランプ達が宙を舞った。
「密室に囚われた絶体絶命の二人が奇跡の大脱出! さぁ始めようぜ、楽しい楽しいマジックショーの開幕だ!」
【最終章へ続く】




