15-B. 紫乃 菖を指名する
「俺は、紫乃 菖を選択する。」
『承りました。』
淡白な返答が聞こえたその瞬間、シューッという音が部屋に響き渡った。音と共に、天井から細かいミストが降ってきた。ミストを吸い込むと独特の臭いがして、俺はごほごほと咳込んだ。
「なんだっ、これ…!?」
『ただの筋弛緩剤だ』
スピーカー越しの声が簡潔に一言だけそう答えた。
言われて俺は、全身に力が入りにくくなっている事に気がついた。指先は辛うじてゆっくり動かせるものの、全身は寝返りをうつのがやっとで、身体を起こす事は難しそうだ。
もしシロを外してしまったなら最悪返り討ちにすればいいと思っていたが、どうやらそれは難しそうだ。
しばらくすると、ミストが止まる。それからカラカラと換気扇の回る音がしばらく続いた。
十分くらい経っただろうか。力の入らない身体をぐったりとベッドに預けてぼーっと天井を眺めていると、ガチャリと扉の開く音が聞こえた。
開いた扉の合間から入ってきたのは、美しい紫のドレスを身に纏う、紫乃 菖だ。
「私を選んでくださってありがとうございます。」
紫乃はそう言って、俺の横たわるベッドの上へと腰かけた。
「何故私を選んでくださったのか、理由を聞かせていただけませんか?」
彼女は先程までと変わらない笑顔でにっこりとこちらに微笑みかけた。敵意のないその表情に、俺はほっと胸を撫で下ろしながら口を開いた。
「紫乃の母親は幸救会の信者だった。俺は幸救会を率いる霊能力者。普通に考えれば、紫乃は母親を誑かした俺に恨みを抱いていることになる。しかし紫乃は、母親に恨みがあった。母親と縁を切るきっかけを作った俺に、歪な恩を感じていた。…つまり紫乃は、俺に殺意など抱いていない。シロは紫乃だ。」
俺はベッドに横たわったまま、淡々とそう語った。
紫乃は俺の言葉を聞き、笑顔のままに目を瞑ってゆっくりと頷いた。
そして口元を両手で覆い、顔を伏せる。紫乃の身体が小刻みに揺れ始めた。
もしかして、泣いてる…? 少し心配になって声をかけようとした時だった。
「ふふ…っ、あはっ、」
押し殺すように小さな声で、紫乃から笑いが漏れる。
「あはははっ!」
やがて彼女はその声を全く隠す事無く、大きな声で笑った。
顔を上げると、紫乃は狂おしい程に唇の両端を高く釣り上げ、三日月のような弧を描く瞳でこちらを見据えた。
「バカな人。あんな安っぽい嘘を信じちゃうなんて。」
紫乃はもう、笑い声を全く隠さない。終始勝ち誇った笑いを垂れ流している。
紫乃は愉快そうな笑みを湛えながら、ベッドから立ち上がる。
その時、カツーンと何か硬いものが床に落ちる音が響いた。聞き覚えのある音だ。
「ああ…、すみません。サイズが合ってなくて、気を抜くとすぐに落としてしまうんです。」
紫乃はそう言って床にしゃがみ込み、落とした指輪を拾い上げる。
「ぶかぶかですぐ落としてしまってとても不便なのですが、母が作ってくれた大切なものなんです。なるべく身に付けていたい。」
紫乃は落とした指輪を右手の中指に嵌め直す。
そして紫乃はこちらを向くと、ベッドの上に膝をついて乗り上げた。そのまま、仰向けに横たわる俺の上に跨って馬乗りになる。
そして、どこから取り出したのか、いつの間にか彼女の手には一本の注射器が握られていた。
彼女は、触れ合いそうなほどに顔をこちらに近づける。
「残念でしたね。私はクロです。今から貴方は、私に殺されるんですよ。」
紫乃はそう言って笑う。こちらの反応を楽しむように、にやにやと厭らしく笑いながら注射器のカバーを見せつけるように外す。
「にしても、白河さんに認知されていたと知った時には焦りましたね。だって、私はあの蕎麦屋に母と一緒に通っていたんですから。嘘に真実を混ぜて信憑性を得ようと、咄嗟に大学の同期の話しをしてしまいましたが…。あの変人を選んでしまったのは失態でした。もし大学の場所と家の場所が離れていることを知られてしまえば、あの変人がわざわざ蕎麦屋に通うことはないってことがバレてしまいますからね。…ま、貴方の詰めが甘くて助かりましたよ。」
紫乃はそう言って、注射器の先端を俺の首筋に宛てがった。
「そんなに怯えた目をしないでください。そんな心配しなくても、苦しむことなく楽にして差し上げますよ。」
ちくりと針の刺さる感触がして、ゆっくりとピストンが押されていく。抵抗しようと試みても、弛緩剤の影響と馬乗りになられている態勢のせいで身体は全く自由に動かせない。
「抵抗出来ませんね? 無力で無様で、とても可愛らしいですよ。」
紫乃はこの状況を楽しんでいるかのようににやにやと笑った。
やがて針が引き抜かれると、すぐに目の前がかすみ始めた。
「さようなら、黒名 真朝。」
【BAD END2 誘惑の菖蒲】




