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ワタリドリ  作者: 梔子依織
第二章
9/51

きらめく

「それで件の息子ってどういうことだ? お前は人間だろう」

 男の疑問に白露は静かに頷いた。件という言葉を聞いただけで胸が痛む。どうしよもない痛みに、ぎゅっと服を握りしめた。

「僕は母様に拾われました」

――とある娘が稚児喰みの井戸にお前を捨てようとしていてな、偶々私が声をかけたんだ。

――それじゃあ僕の本当のお母さんは僕を殺そうとしたの?

――殺そうと思ったならお前はここにはいないさ。生きてほしいと願ったから、私がお前を引き取った。

「確かに僕は人間です。でも件の、母様の息子には変わりありません」

 誰がなんと言おうと母親は件だけ。白露の胸に秘めた思いを感じ取ったのか、男は深く追及することはせず頷いた。未だ笠を外さない男の肌は褐色で筋肉質だ。長い黒髪が一纏めにされていて、腰の辺りまで長さがあった。白露の命を救った刀は鞘に納められ、男の足元に置かれている。

「お前これからどうするんだ?」

 男は笠の隙間から白露を伺い見た。白露は男の言葉に口を何度か開け閉めし、やがて黙り込んだ。

「お前の母親は死んだだろ。これからどう生きる」

 男の物言いは白露を気遣う様子はない。しかし無理に優しい言葉を吐かれるよりは、今の白露には心地よかった。白露はスッと瞳を伏せ、首を横に振った。

「……分かりません」

「一応俺はお前を救った身だ。救った後にのたれ死なれちゃあ後味が悪い。きちんと考えろ」

「考えたくないんです。今はまだなにも」

 白露の頭にはぐるぐると件の死に際の光景が蘇っていた。愛していると言ってくれた件はもうこの世にはいない。いつまでも泣いているわけにはいかないと涙は止めたが、思い出すことまでは止まってはくれなかった。

 黙り込む白露に男がもう一度口を開こうとした時、一陣の風が男に向かって放たれた。

 さすが土蜘蛛を一撃で倒しただけはある。男は動じることなく斬撃を鞘で受け流すと静かに言霊を告げた。

「弐ノ刀。退魔刀」

 鞘から抜くと同時に紅蓮の炎を纏った刀は男の顔を照らし怪しく輝いた。受け流された風は男の背後に凛然と立つ大木に深い傷をつけた。

 すらりとした金色の獣が白露を守るように前へと躍り出る。

「シロ坊無事か!」

「イタチ!」

 鎌鼬の会合に出席するため高津賀の森を離れていたイタチが、牙を剥き出しにして男を睨みつける。イタチの瞳は涙に濡れ、宝石のようだった。

 ああ、イタチはみてしまったんだ。家の惨状を。

 そして見つけてしまった。件だった灰の山を。

 白露はなにも言わず静かにイタチの背を撫で「その人は助けてくれたんだ」と宥めた。

「シロ坊。件の嬢は……」

「母様は――」

「死んだぞ。件は」

 言いよどんだ白露の代わりに男が無情にも事実を告げた。簡潔な言葉をすぐに飲み込めたのは、近頃の森の様子と家の惨状を知っていたためか。イタチは項垂れ「そうか」と鼻先を一粒の涙で湿らせた。

「嫌な予感はしていたんだ」

 白露の隣に腰を下ろしたイタチは深々と頭を下げた。

「シロ坊……大事な友を助けてくれてなんと礼を言っていいか」

「依頼で退治を請け負っていただけだ。礼を言われるまでのことじゃない」

「そうか、二本の妖刀に呪いの白。お前退治屋か」

 イタチからは男の顔が見えているのだろう。男はイタチの言葉に促されるように刀を鞘に戻し、笠をとった。笠の下には美丈夫の部類に入る男の顔があった。スッと整った顔立ち。目の鋭さを除けば男は女に困らないだろう。しかし異様なのは男の髪だった。

 真っ黒な長髪に一房白色が混ざっている。

 呪いの白と表現された白髪は男を人間離れした容姿へと変貌させていた。

「退治屋[[rb:鶺鴒 > せきれい]]と言う」

 鶺鴒と名乗った男は何事もなかったように座り直し、二本の刀を地面へと置いた。イタチは顔を顰め刀を避けるように白露へとすり寄る。

 長年連れ添った親友を亡くした喪失感を振り払うように、イタチは溜息を吐いた。

「退治屋一つ頼みがある」

 鶺鴒はイタチの言葉に眉をあげ「なんだ」と視線を逸らした。川面をみる鶺鴒の横顔を見つめながらイタチは再度頭をさげる。

「シロ坊を人間の世界へ帰してやってくれ」

「なっ! なに言ってるのイタチ!」

 今まで傍観していた白露はイタチの言葉に絶望したような表情を向けた。そんな白露にイタチはふわりと悲しそうな笑みを浮かべる。

「シロ坊おめえは人間だ」

「そんなのわかってる! けど、僕は妖怪の子供だ! 絶対に森からは出ていかない!」

「シロ坊よく聞け」

 嫌々と首を振る白露にイタチは諭すように鼻面を押し付けた。湿っている鼻の感触を白露は縋るように確かめる。

「件の嬢が死んだ今、南地区は戦場と化すかもしれねえ。鎌鼬の力なんてちっぽけなもんだ。お前を守れない。分かってくれ」

 前に自分は強いって言ったじゃないか。守ってもらわなくても自分の身は自分で守れる。

 だから一緒に森で暮らさせて。

 そう言おうと口を開いたはずなのに、白露の口から出たのは小さな悪態だった。

「嘘つき」

 言葉を受け止めたイタチは「それでいい」と優しく瞳を細めた。

「お前は立派な件の息子だ。こんなところで死んじゃいけねえ。強くなれ。強くなって生きろ。シロ坊」

――生きろ。それは件が白露を逃がそうとした時、言葉の裏に隠した思い。

 なんだかまた涙が出そうで白露は静かに夜空を見上げた。日はすっかり落ち、輝くのは宙に浮かぶ星々と横顔を照らす炎だけ。

 もし母様に教えてもらった占術を今したらどんな結果が出るのだろう。

――「星は誘えど、強制することはない」

 結局は自分で決めないといけない。

 夜空を眺め続ける白露に、鶺鴒は笑みを浮かべる。そして「だが」とイタチへと視線を向けた。

「俺は退治屋だ。妖怪を退治するのが仕事。そのことを分かっているのか?」

 白露はその言葉を聞き、驚いたように瞳を瞬いた。

「退治屋?」

「妖怪退治を専門とする人間だ。頼まれれば良い悪い関係なく殺す。俺ら妖怪からみれば殺し屋さ」

 イタチは一瞬険しい表情をみせたが、やがて諦めたように視線をそらした。

「悪いな仕事なもんで」

 ニヤリと嫌な笑みを浮かべた鶺鴒は「どうする」と白露に言葉を投げかけた。

「俺についてくれば妖怪を殺すことになる。お前を育てた件のような妖怪もだ」

 男はイタチの依頼を受ける気らしい。しかし白露は納得できなかった。

「……なんで殺さなくちゃいけないの」

 件のような妖怪もということは罪のないひっそりと人間に隠れて暮らしているような妖怪もということだ。白露にはそれが理解できなかった。

「依頼だからだ」

「依頼ならなんでもするのかよ」

「そうだ」

 さっきまでの畏まった口調から一変、普段の少年らしい乱暴な口調に戻った白露は男を睨み付けた。

「人間は嫌いだ」

 自分の利益のために平気で相手を踏みにじる。そんな人間の一端を白露は吐き気がすると罵った。

「奇遇だな。俺も妖怪は嫌いだ」

 鶺鴒は飄々と肩を竦め足元に置いてあった一振りの刀を白露に投げ渡した。慌てて受け取った白露はその重さに驚く。ずっしりとした重さの刀は黒塗りの鞘に収められ、鍔には椿が掘り込まれていた。

「そいつは蛇骨婆を切った紛れもない妖刀。退魔刀だ」

 確かイタチの斬撃を軽々と受け止めていた刀だ。ゆらりと揺れる赤い炎が刀身に巻きついた姿は嫌でも忘れられない。

 鶺鴒はごきりと首を鳴らすとあっけらかんと言い放った。

「嫌ならそいつで俺を切れ」

「なっ!」

「妖怪を殺されたくないならそいつで俺を殺せばいい。簡単なことだ」

 白露は持っていた刀が一段と重くなるのを感じた。刀で人を切る。そんなことできるはずがない。

 鶺鴒は「なにをしてる」と冷めた目で白露を眺めた。

「守りたかったら相手を殺せ。やらなければ守れるものも守れなくなるぞ」

 かたかたと震える手で鞘から抜き出された刀身は赤い炎に包まれず、情けない白露の表情を鮮明に映しだした。

 イタチが隣で心配そうに白露を見上げている。何度も深呼吸を繰り返した白露はやがて何も言わず刀を鞘に納めた。

「どうした? 怖気づいたか?」

 鶺鴒の挑発に白露は力なく首を振る。そして「僕にはできない」と呟いた。

「我が侭だな。殺されたくもない。殺したくもない。そんなのただの甘えだ。だから母親一人守れない」

 ぐっと噛み締めた唇から血が流れるのも構わず白露は悔しげにうつむいた。

「……僕は弱い」

「なんだ。自覚していたか」

「弱いから守れなかった」

「そうだ。弱いくせに守ろうなんて考えるから――」

「けど!」

 白露は隣にいたイタチの手をぎゅっと握りしめ後悔に濡れた瞳を拭いさった。イタチは包まれた手を眺めながら、ぼんやりと赤子の頃の白露を思い出す。

 あの時は紅葉のような小さな手だったのに、いつの間にか獣の手を包んでしまえるほどの大きさになってしまった。ずっとニコニコ笑っているだけの表情だったのに、今では筋の一本通った真剣な目をするようになってしまった。

 イタチは寂しさを胸に抱きながらも、白露の横顔を眩しそうに脳裏に焼き付けた。

「優しい妖怪を傷つけさせはしない。母様のような妖怪を殺させはしない。鶺鴒がもし殺そうとしたら僕が止める」

 安易な結論だ。力もないくせにどうやって止める。そう追い討ちをかけたかったが、鶺鴒は寸前で言葉をとめた。

 目だ。白露を初めて見たときにも感じた。諦めを知らない、純粋な目が鶺鴒を捕らえて離さなかった。高津賀の森から与えられた妖気のような穢れなき眼が、どうしようもなく気に入ってしまった。

 鶺鴒は自ら視線を逸らし、そっと肺の中の空気を外へと吐き出した。

 同じようなことを思ったのかイタチも笑みを含んだ息を吐き出し、そして尻尾で白露の手を叩いた。

「強くなれシロ坊。そして弱い妖怪に手を差し伸べられる人間になるんだ」

「……僕の家はずっとここだから」

「ああ、自分の身を守れるくらい強くなったら帰ってくればいい。いつまでも待っててやるからな」

 白露が帰ってくるまで件と作ったあの家を守ろう。そして安心して暮らせるように、高津賀の森に平穏を呼び戻す。決意の固まったイタチは「シロ坊」と続けた。

「人間の世界をみて、人間と触れ合って大切なものを学んで来い。妖怪からも人間からも学んだお前は、きっと世界で一番優しい人間になれるはずだ」

 夜空に輝く星々は誘うだけで、道を決めてはくれない。この森を出る選択肢が正しいのか今はわからない。けれど答えを導き出した時、自分はきっとこの森に帰ってきているはずだと、なんの根拠もない考えを白露は抱いていた。

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