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ワタリドリ  作者: 梔子依織
第二章
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ゆらめく

 泣かない空の代わりにめいいっぱい泣いた白露は、やがてぐっと目元を拭い空を睨み付ける。もう泣くのはおしまいだ。こんな惨めな思いは今日で最後。

 バシャリと水面に顔を突っ込んだ白露は、顔の汚れを落とし、犬のように水滴を飛ばした。そして川から上がり、火を焚いていた男の側へと近寄る。

「助けてくれてありがとう」

 開口一番そう深々と頭を下げた白露に、男は「いい親を持ったな」と告げた。

 白露はまた零れそうになる涙を堪え、頭は上げずに堂々と言葉を紡いだ。

「僕は大妖怪件の息子。白露と申します」

「……そう畏まらなくていい。座れ」

 促されるまま向かいへと座った白露の表情に男は眉を上げ心の内で感心した。



 男が最初にみた光景は、瘴気の充満した部屋で笑う土蜘蛛だった。高津賀の森の様子が最近可笑しいと、近隣の村々から依頼があり調査に出てみれば、確かに以前の森とは様子が違っていた。

 淀んだ瘴気によって草花は枯れ果て、小妖怪達の姿はまったくというほど見当たらない。

 昔から高津賀の森は妖怪が暮らす森として有名だったが、ここまで荒れた姿ではなく、むしろ統率のとれた妖怪の住処だった。

 男は瘴気の濃くなる方向へと足を向ける。

 調査しろという依頼だったが、報告すれば瘴気の原因を退治してくれと言われるに決まっている。男は二度手間が嫌いで、極度の面倒くさがりだった。

 瘴気の元を辿ると、目の前に見えたのは一軒の丸太小屋だった。旧街には珍しい作りの建物で、まるで人間が住むために作られたような建物だった。こんな妖怪の住処に、人間が住むことはありえない。大方妖怪が見よう見まねで人間の真似でもしているのだろう。

 男はそう結論付け、腰に差した刀の柄を握った。

 二振りの刀は男には有り余る代物だ。どちらも妖怪退治の名刀と呼ばれている。その一本、破魔刀を抜いた男は慎重に家の中を覗きこんだ。

 部屋には蜘蛛の巣が張られ、骸骨が所々にぶら下がっている。あまりの薄気味悪さに男は顔を顰めた。同じような光景を男は文献で読んだことがあった。

――土蜘蛛。

 怨念で塗り固められた妖怪は厄介極まりない。戦うとしたら素早く的確に倒さなければいけない。長期化すれば漏れ出す瘴気で体が鈍り、不利になる。男は瘴気の根源がいる部屋のドアを押し開いた。

 土蜘蛛は男に背を向けていた。見たことがないような巨大な土蜘蛛で、身長が二メートルはありそうだ。土蜘蛛はなにやらぼそぼそと呟いている。

 男は部屋に溜まった瘴気の他に嗅ぎ慣れない、清純な水の香りを嗅ぎ取った。まるで穢れを知らない原水のような匂い。他になにかがいるのだろうか。

 部屋をさっと見回すが土蜘蛛が大きすぎて把握できなかった。ただ床に積もった灰をみて顔を顰める。灰は十中八九、妖怪の亡骸だろう。

――土蜘蛛にやられたか。

 まだ男の気配に気づかない土蜘蛛の背後に立ち、素早く手に持った刀を振りかぶった。

「去れ妖怪。壱ノ刀。破魔刀!」

 そう言って背中から腹まで真っ二つに切り裂いてやる。途端に内に溜まった瘴気と土蜘蛛の白い血液が飛び出した。瘴気は部屋の出口と言う出口から飛び出し霧散する。崩れ落ち中身を出した土蜘蛛の向こうに、男は細い手足を見つけた。

 他にも妖怪がいたかと蹲る影に近づき刀を向ける。

 雪のように白い肌に艶やかな濡羽色の髪。細い肢体は未発達なのか、小さな子供のようにみえる。そして微かに漏れ出す妖気。人型の妖怪かと結論付けた男は、顔を上げた白露に驚いた。

 十二、三の子供だ。手首は擦り切れ、首には惨い索状痕が残されている。微かな妖気を感じるが、少年は紛れもなく人間の子供だった。

「お前人間か?」

 思わず鋭い言葉が口から出る。見た目はどう見ても人間の子供だ。しかし内から洩れる奇妙な妖気はなんだ。男は訝しげに少年を観察しながらも刀を鞘に納めた。

「悪いな。てっきり妖怪かと思った」

 そう言えば少年の顔に陰りが落ちる。妖怪でも人間でも、このまま子供をほっとくのは後味が悪い。土蜘蛛の血で汚れた少年を助け起こせば、額から血を流し足元も覚束なかった。

 そういえばと男はここに来るまでの間に小さな川があったことを思い出す。

 小川の水は澄みきっていたはずだ。少年の汚れを落とすのに丁度いいと男はひょいと少年を担ぎ上げた。

「な、なにして!」

「いいから大人しく担がれてろ」

 あまりの軽さに驚きながら歩き出す。どんな経緯で少年があの家にいたのかは知らない。しかし肩口を濡らす少年の涙が、灰となっていた妖怪に向けられていることだけは分かった。

 少年を川に投げ込むと、唐突すぎる冷たさに少年は驚いていた。

 同じように川の中に入った男はそこであることに気づく。確かに少年を助けた時は額から血が流れていた。しかし今は血どころか傷跡さえもなくなっている。

「お前本当に人間か?」

「え?」

「いや、怪我の治りが早いと思ってな。……これが高津賀の森の影響か」

 こびりついた額の血を拭えばやはりそこには傷跡なんて見当たらない。高津賀の森はいわば妖怪の聖域。人間の子供がここにいることにも驚いたが、傷の治りや内から出る妖気を考えると高津賀の森から影響を受けているに違いない。

 まるで高津賀の森が、この少年を加護しているようだ。

 男は涙を溜めた少年から距離を置き、岸辺の丸太へと腰をかけ空を仰ぎ見た。

 瞬間、少年の鳴き声が森に木霊する。まるで慟哭だ。獣の呻きに似ている。

 この後どうすべきかと考えながら、男は火を焚くために枝を拾いに向かった。

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