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ワタリドリ  作者: 梔子依織
終章
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エピローグ

 小川に膝まで浸かりながら一人の少女が水面下を泳ぐ魚へと手を伸ばす。しかし魚は少女の鈍い動きしかみせない手をすり抜け、捕まってはくれない。

 少女は頭から生える尖った獣耳をぴくぴくと震わせ、悲しそうに項垂れた。

「父様、私にはまだ難しいです」

 川辺に座り石を積み上げていた男が少女の言葉に視線を上げた。三十代には見えない童顔の男だ。切れ長の目に筋の通った鼻。長い髪を束ねた男の頬には深い刀傷が残っていた。

 不釣り合いなその傷は数年前敵から受けたものだ。

 男は頬をかき少女を手招きした。

 少女は嬉しそうに黄金の尻尾を揺らし川から上がると男へと飛びつく。そして「魚を取るよりもお話を聞きたいです」と男に懇願した。

 男は存外少女に甘いのか、少女の頭を優しく撫で「そうだな」と逡巡する。まだ十にもならない少女は、父親の言葉に瞳を輝かせ今か今かと言葉を待ち望んだ。

「あれは俺が十二の時、この森の花畑でだな――」

「幸福を運んでくれる妖怪の話は聞きました! 小さな猫も、優しくてお酒が好きな妖怪も。イタチお兄ちゃんの話も! 立夏は他の話が聞きたいです!」

 少女――立夏(りっか)は男の言葉に腹を立て、頬を膨らませた。困ったように両手を上げ降参の姿勢を取った男は溜息をつく。

「分かった。分かった。これは立夏が上手く耳と尻尾を隠せるようになったら話そうと取っておいた話なんだが」

 男の言葉に立夏は慌てて自分の頭とお尻を手で触れた。そこには黄金の毛で覆われた耳と尻尾が存在している。慌てて引っ込めようとするが上手くいかず、立夏は困ったようにゆらゆらと尻尾を揺らした。

「まあそのうち上手くできるようになるさ。焦らなくていい」

 男の胸板に背を預けるように座り直した立夏は「それでどんな話なんですか?」と小さな手を叩き期待を露わにした。

「俺と母さんとの出会いだ」

「お母様? それって件のお母様ではなくて?」

「件の話は耳にタコができるくらいしてやっただろう」

 男は呆れながらも嬉しそうに笑う。立夏は件の話をする時の父親の表情が好きだった。

「二人して楽しそうになんの話をしているの?」

 川とは反対の森から金髪を靡かせた女性が現れた。

「母様!」

 立夏はぴょんと男の膝から飛び降り、戻ってきた母親のお腹へと飛びつく。少しよろけながらも受け止めた女性は、愛おしそうに立夏の頭を撫でた。

「母様聞いてください! 父様が母様との出会いの話をしてくれるっていうんです!」

「あら、駄目よ」

 立夏の言葉に女性は少し怒ったように男へと視線を向けた。男は気まずそうに顔を逸らす。

「駄目なんですか?」

 理由が分からず否定され、悲しそうに顔を伏せる立夏に女性は悪びれもせず言い放った。

「駄目よ。だって二人だけの秘密だもの」

「ずるいです! 立夏も混ぜてください!」

「だーめ。立夏も大人になれば分かるわ」

 駄々を捏ねる立夏を慰めるように、立ち上がった男が抱きかかえた。そして自分の肩に乗せ森へと歩きはじめる。

「もう逢魔が時になる。帰るぞ」

「イタチお兄ちゃんがお腹を空かせて待ってるかも! 早く行こう父様!」

 妖怪と人間の子供である少女は楽しそうに笑い声をあげ男の頭にしがみつく。女性はそんな二人の後姿を幸せそうに眺めた。

 男はふと立ち止まり振り返る。

「行くぞ」

 ぶっきらぼうな言葉と共に伸ばされた手に女性は声を立てて笑った。不機嫌そうに顔を顰める男は手を引込めようとする。慌てて手を握った女性は、男と立夏の隣に並び歩きはじめた。

 肩に乗った重みと、手に広がる温もり。そして家で待っていてくれる家族。

 男は大切なものをたくさん持っていた。

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