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ワタリドリ  作者: 梔子依織
第一章
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星は誘う

 夜中ふと目が覚めるのが、白露にとって恐ろしかった。

 悪夢をみた後は必ず朝ではなく夜中だった。白露はもぞもぞと身じろきをし、側にあるはずの件の温もりを探した。悪夢をみて怖がる白露に、件は必ず「大丈夫だ」と頭を撫でてくれる。白露はいつものように甘えようと温もりを探したが、すっかり冷めた布団だけが白露を迎え入れた。

「母様?」

 身を起こしきょろきょろと周囲を見渡すも、闇に慣れない視界では探し出せない。ようやく暗さに慣れたが、そこには件の姿はなかった。

 背筋をつうと冷や汗が垂れる。

 先程までみていた悪夢が、正夢になったような気がした。

「母様。母様」

 誰もいない部屋で白露は虚しい呼びかけを繰り返す。しかし返事はなく、焦燥感だけが募った。居てもたっても居られず布団から飛び起き、部屋の中を探し回る。片っ端から扉を開け件の姿を求めた。

 ドクドクと血液の音が耳で鳴るが構いもせず、最後の扉となった玄関を開け放った。

「母様!」

「ん? どうした白露」

 求めた後姿に飛びつけば件は擽ったそうに身を捩った。流れる黒髪に顔を埋め白露は冷たくなってしまった体を温める。

「……探しました」

「ああ、怖い夢でもみたのか」

 件は白露を隣へと座らせると落ち着かせるように何度も背中をゆっくりと撫でた。

「大丈夫だ。悪夢は吉報を知らせてくれる」

「悪夢なんて怖いだけです」

「夢も占いには重要なことなんだぞ。悪い夢は現実で良い事が起こる兆しだ」

 家の前の小さな切り株に二人腰かけながら話す。そんな些細なことが大切なことに思えて仕方がない。 星々が二人を照らし、月がニンマリと笑う夜は、白露に夢見心地ではなく言いようのない不気味さを感じさせた。

「それじゃあ母様は死にませんか?」

「……私が死ぬ夢をみたのか」

 答える代りに小袖をぎゅっと握りしめた白露は、ふるふると頭を振り悪夢の名残を追い出す。ここ最近、同じ夢をみる。件が巨大なナニカに殺される夢。一面が赤で染まるその光景は、大人でも見るに堪えがたかった。

 件は寂しそうに笑った後、膝の上に置いた牛頭を一撫でした。初めて見る牛頭に白露は首を傾げる。大きな牛角が突き出た頭蓋骨は二本の鋭い牙を生やしており、牛でも人間でもない妖怪のものだと一目でわかった。

 骨は丁寧に磨かれており二本の牛角の間に四本の黒い糸が弦のようにピンと張られていた。

「母様これはなんですか?」

「件の魂……とでもいうべきものだ」

 白露は触ろうと伸ばしていた手をピタリと止め、急いで引っ込めた。そんな様子を笑いながら、件はポンポンと気軽に牛頭を叩いてみせる。

「なに、魂といっても、押入れにしまわれ埃を被っていたものだ。何百年も触ってはいなかった」

 張られた四本の黒糸を指で弾いた件は「件とは」と語りだした。

「占いを専門とする妖怪で、様々ことを生涯通して予言する生き物だ。そしてこれは件の占い道具の一つ。琴よりも澄み、太鼓よりも重い音色は今後全ての災厄を知ることができるという」

「……今まで占ったことはないのですか?」

「ああ、件とは予言するためだけに産まれてきた妖怪。全ての予言を終えれば、その命は灰となり消えよう」

 白露は件の言葉に悪夢を思い出し、縋りつくように胸に顔を埋めた。件は慰めることはせず、事実を淡々と告げる。

「全ての生きとし生ける者には必ずいつか終わりが来る。それは人間も妖怪も変わらない。多く歳を取るか、取らないかの差に過ぎぬ」

「母様は妖怪であることが嫌いですか?」

 件の言葉がまるで自分が妖怪であることを悲しんでいるように聞こえた。白露はするりと件の手を握り、離さないとでもいうように力を込める。

 励ますようなその仕草に、件はそっと安堵の息をついた。件は牛頭に手を滑らせ、二三度その弦を弾いた。正式なやり方ではないため音は出ない。その音色を聞いてみたいと思いながらも、件は鳴らそうとは思わなかった。

「長く生きることは辛いことだ。みな私を置いて行ってしまう。小さき友も、尊大な師も行ってしまった」

 件の脳裏には今まで出会った妖怪達の姿が蘇る。今では友人と呼べるのはイタチだけになってしまった。時の流れは残酷で、いつも件を苦しめた。

「だが、辛いことばかりや苦しいことばかりではなかったぞ。長く生きているといろんなことが見えてくる。こうして白露とも出会えた」

 あれは単なる偶然と思いつきだった。占いに使う山桜を採取していると一人の女が視界に飛び込んできた。女はまだ若く、十六にも満たない娘だった。娘の腕の中で産まれたばかりの赤子が笑っている。

 娘が井戸に赤子を捨てようとした瞬間、思わず口に出た言葉を後悔したことはない。

――「そこから落としたら死ぬぞ」

 これはただの妖怪の気まぐれだ。何千年と生きてきた件の暇つぶし。

 そう自分に言い聞かせながらも、白露と過ごす時間は、今まで何千年と過ごしてきた時間を集めても足りない程の輝きを持っていた。初めて知る喜びに件は酔いしれた。

「僕も母様と出会えてよかったです。母様が母様でよかった」

 白露は本心からの言葉を告げた。血の繋がりはない。種族だって違う。それでも自分の母親はこの人だけだ。

「私も、お前が息子で本当に良かった」

 件の着物の帯には一本の簪が挿してある。その芽は今にも綻びそうなほど膨らんでいた。

 白露は件の言葉に顔を赤らめながら、誤魔化すように空を指さした。

「母様、占星術とやらを教えてください!」

「占星術か? よく知っていたな」

「青鷺火が教えてくれました」

 青白い炎を纏った小さな鳥が空を見上げながら白露に教えてくれた。星には意味があり、未来を教えてくれると。そんな星になった鳥の話を、私は聞いたことがあると青鷺火は誇らしげに語っていた。

 件は青鷺火の名前を聞き納得したように頷いた。そして顎を摩り、空を見上げる。空には無数の星が輝き、見分けるのは極めて難しい。占星術は占いの中でも高度な技術を必要とした。

「いいか、白露。星は確かに未来を教えてくれる。しかし星が教えてくれることが全て正しいとは限らぬ。星は誘えど、強制することはない。それは肝に銘じてくれ」

「はい、母様」

「それならまず星の意味から勉強しよう」

 そう言って語りだす件の横顔を見ながら、白露は不安が消えていくのを感じた。

 これから先、母が自分のことを置いていくことはない。そう赤い星を眺めながら白露は思っていた。

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