真実
早朝から白露は高津賀の森に来ていた。
息苦しさに目を覚まし、絞殺さんばかりに抱きしめてくる雨水を引きはがして自分の部屋に戻る。白露は軽く身支度を整えると刀を腰に下げ、イタチに会いに高津賀の森に来たのだ。
丸太小屋にではなく昨日と同じように稚児喰みの井戸のほうに向かう。そうすればそこには井戸の側に立つ山桜の根を齧るイタチの姿があった。
「イタチ」
「おう、シロ坊じゃねえか」
イタチは嬉しそうに尻尾を振り、白露に隣に座るように促した。
「今日はどうしたんだ? 良い返事でもしに来たか?」
おちょくるように白露の来訪を喜ぶイタチに、白露はいつになく真剣な声でイタチの名前を呼んだ。白露の雰囲気にイタチは戸惑ったように見上げた。
「どうしたんだシロ坊。真剣な表情なんかして。なにか悩み事でも――」
「本当のことを教えてほしいんだ。俺が母さんに育てられることになったきっかけを」
白露の言葉にイタチは髭を震わし沈黙した。やがて諦めたように視線を逸らす。
「いつか、こんな日が来るんじゃないかと思っていた。けどお前が捨てられたことは誰が悪いわけでもない。あの村の忌まわしい風習のせいなんだ」
「じゃあやっぱり……」
「ああ、お前は節気一族がおさめる村で産まれた子供だ」
何となく分かっていた。事実を聞いてもまるで答案の答え合わせをしているように味気なかった。イタチは木の根に寄り掛からせるように置いていた簪を手に持つ。獣の手によって運ばれた簪は、あの部屋の女性が持っていたものと同じだった。蕾だった簪は小振りの花を咲かせている。
「その簪は件の嬢がお前の産みの親と約束をした時に使ったものだ。約束が無事に果たされた時、簪は大輪の花を咲かせる」
「約束?」
「ああ、お前を立派に育て上げる約束だ」
そんな約束をしていたとは初耳だった。受け取った簪は約束の重みを表すようにずっしりとした重量を白露に伝えた。
「言っとくが件の嬢に疚しい気持ちなんてなかったぞ。アイツが優しい妖怪だってことはお前が一番分かっているだろう」
イタチの言葉に白露は「当たり前だ!」と何度も頷いた。
「件の嬢はな、捨てられそうになったお前を助けてやりたくなったんだよ。お前を助けた日から赤子が捨てられそうになるたびに、引き取って子供が欲しい家族へと引き渡していたんだ」
「母さんがそんなことを?」
ちっとも気が付かなかった。イタチがこの稚児喰みの井戸に通っている理由も察しがついた。
「今はイタチが母さんの代わりを務めてるんだね」
「件の嬢のように上手くはいかないけどな。獣型の妖怪はなにかと不便でね」
イタチは肩を竦め井戸へと視線を向けた。井戸は逢魔が時の出来事など忘れたように静まり返っている。スンと鼻を鳴らしたイタチは悲しそうに首を振った。
「勿論全部の命を救えたわけじゃねえ。救えなかった命たちが怨念となり妖怪になっちまった」
「大丈夫。その連鎖も今日で終わるから」
イタチが悩むことはもうない。白露の胸には今日で忌まわしい掟と決着をつける決意が固まっていた。
「頼もしいなあ。前まで一人じゃなにも出来なかったのに」
「俺はもう十七だよ。あの頃とは違う」
白露の言葉に寂しそうに笑ったイタチは「そうだな」と言葉を溢した。
「人間ってのは直ぐに成長しちまう。お前といれる時間も残り少ないだろうな」
しみじみと紡いだ言葉はイタチが抱えている本心だった。イタチはこれから何百年と生きていく妖怪だ。しかし白露はあとたった数十年しか生きられない人間。
二人の間には茫漠とした時間の壁が立ちふさがっている。
「ねえ、イタチ。今日の逢魔が時にここに来てくれないかな?」
「なにをおっぱじめる気だ?」
立ち上がり手に持った簪をくるりと回した白露は不敵な笑みを浮かべた。その表情はイタチの知らないものだ。
「小さな恩返しでもしようと思ってさ」
白露はそれだけ言うとイタチに手を振り歩きはじめた。
「絶対に来てよー!」
「分かったから前見て歩け!」
ふらふらと何度も振り返りながら歩く白露は危なっかしくて仕方がない。いつまでも手のかかる子供で居てほしいとも言えずイタチはただ去って行く白露の背中を見続けた。




