下弦の月
女性を家に帰し明日までに身を隠すように指示を出した二人は屋敷へと帰ってきた。鶺鴒は偽の報告をしに頭首の元へ、白露はあてがわれた部屋で一人宙を眺めていた。
鶺鴒は明日にでも決着をつけるつもりでいる。明日の逢魔が時に男を連れ立って井戸に行き、狂骨になってしまった赤子たちに直接会わせる。
作戦は至って単純だ。現頭首の節気清明を狂骨に会わせ頭首をやめさせるだけでいい。その場で頭首を辞めないと呪い殺されると嘘を吹聴すれば、清明は呆気なく頭首の座を雨水に明け渡すだろう。
そもそも息子の病気を治して欲しいというのも、頭首にするために体が弱いのは困るという理由からだ。少し時期が早まったと考えれば気も楽だろう。
稚拙な作戦だが勝機は十分にあった。だが白露には漠然とした不安が残っていた。夜も深まってきたにも関わらず目は冴えている。
自分がもしかしたらこの家の子供だったのではないかと思えば思うほど体の芯が冷えていくような感覚を覚えた。
このままではいけない。明日は大事な作戦がある。それに、無事雨水を頭首にし狂骨を供養すれば白露たちの仕事は終わる。何も不安に思うことはないはずなのに。
白露は布団から起き上がり、ゆっくりと障子を開いた。外は相変わらず凍えるように寒い。明るい月が白露の横顔を照らした。
満月にはほど遠い下弦の月だったが、その明るさは満月にも引けを取らない。白露は素足のまま日本庭園へと降り立った。
焼けるようなジリジリとした痛みが足の裏に広がり、直ぐに足先が真っ赤に染まる。白露は気にせず足を進めた。落ち椿の前を通り、小さな橋を渡り、氷の張った池で足先を濡らしてみる。
何者にも侵されていなかった純白は白露の足跡をくっきりと残した。
「寒くないのかい?」
ゆったりとした動作で水面に映った月を足でなぞっていた白露は緩慢な動作で振り返った。
そこには羽織を着こんだ雨水が立っている。短い髪が風に攫われ白露と同じような白い肌に散らばった。
「アンタこそ体が弱いのに歩き回ってもいいのかよ」
「たまには運動しなきゃ体が鈍っちゃう」
サクサクと高下駄で雪を踏みしめた雨水は白露の隣にしゃがみ込んだ。そして細い指で水面を撫でる。ゆらゆらと揺れる鏡に白露と雨水の顔がくっきりと映った。
「本当に僕たちはそっくりだね」
雨水は感心したように水面の顔を眺めた。
髪型は違えど、顔に張り付ける表情は違えど二人は兄弟のように似ていた。白露は雨水の言葉に応えず池から足を引き抜いた。そしてそのまま後ろに倒れ込む。片足を高く上げたまま寝転んだ白露に雨水は笑みを溢し、懐から手ぬぐいを取り出した。
そして白露の羚羊のような足を手に取り丁寧に拭っていく。
「まるで弟の世話をしているみたいだ」
「お前がお兄ちゃんだなんて御免だけどな」
白露の減らず口に、雨水は手ぬぐいをしまい拭き終った足をペシリと叩いた。
そして高い空を見上げる。白露は足を降ろし同じように空へと視線を向けた。
「僕には弟がいたらしいんだ。双子の弟。弟は僕の代わりに稚児喰みの井戸に捨てられた」
紡がれた言葉に白露は胸の内で「ああ、やっぱり」と納得していた。
「酷い村だろ? 産まれた子供を井戸に捨てて殺すんだ。僕の弟は村に殺された」
燃え上がる怒りを瞳の奥に宿し雨水は俯いた。そしてギュッと地面に降り積もった雪を握りしめる。雨水の指の間から溶けて雫になった雪が零れ落ちた。
「この村を変える気はないのか? アンタ次期頭首候補なんだろ?」
白露の言葉に雨水は諦めたような笑みを浮かべた。雪で濡れたままの手で顔を覆う。
「こんな弱い体じゃ頭首になんてなれないよ。人を纏めるどころか、自分の体さへ上手く動かせないのに」
弱弱しい雨水の言葉に白露は腹筋を使って上体を起こした。そして雨水の腕を掴み、顔を晒させる。
「ならそんな悔しそうな顔するなよ。体が弱いなら、頭脳で勝てばいい。頭首に必要なのは間違った判断をしない頭の良さと、人についてきたいと思わせる心だろ」
白露の言葉に雨水はガツンと頭を打たれ気がした。今まで体が弱いせいで使用人や村の人、父親から散々陰口を叩かれてきた。捨てられたのが雨水であったら、弟のほうを次期頭首候補として育てていれば、何度言われたことか。
その度に雨水は唇を噛みしめ自分の体を呪った。
けれど今はこの憎かった体が少し軽くなったように思えた。
雨水から視線を逸らし、池を眺める白露の横顔は自分にそっくりだ。けれど自分よりも大人びていて、月から逃げ出してきたかぐや姫のように美しかった。
下弦の月に吸い込まれそうな白露に思わず縋る様に手を伸ばす。しっかりと掴んだ手は温かく人間らしかった。
「僕には分かるんだ。双子の弟は死んでいない。双子は心の奥底で繋がっているから、本能が弟はまだ生きていると告げる」
突然手を握られたからだろうか、それとも唐突すぎる言葉のせいだろうか。白露は目玉が零れ落ちそうなほど目を見開いていた。
逞しい手は何度刀を握ったのだろう。その涼しげな目はどんな世界をみてきたのだろう。風に流れる髪は何度女性の心を攫っていったのか。陶磁器のように滑らかな白い肌はどれほど汚れてきたのだろう。
尽きることない疑問の渦に雨水は身を委ねる。そして白露の手を更に強く握りしめた。
今まで自分の体のせいにして頭首になることから目を逸らし逃げてきた。この村は酷いと口では言ってきたが行動しようとはしなかった。
白露の言ったように変われるだろうか。少しでも変わりたい。
「おい、いい加減手を――」
離せと言おうとした瞬間、雨水は激しく咳き込み始めた。真冬の寒空の下長時間話し込んでいたせいだろう。体が弱いのに外になんかでるからだと白露は慌てて雨水の背を摩った。
雨水はぐったりとして今にも気を失ってしまいそうだ。仕方なく雨水の肩に手を回し立ち上がる。
ずっと寝込んでいるはずなのに雨水の体は予想以上に重かった。
「なんでこんなに重いんだよっ!」
「ははは、体だけはいっちょ前に成長したから」
渇いた笑みを浮かべた雨水の顔は青白い。誰かを呼ぶよりも自分で担いでいったほうが早いだろうと白露は歩き出した。雨水に道順を聞きながら部屋へと向かう。日本庭園に面した障子が一つだけ開け放たれていた。中の部屋には確かに見覚えがある。
ずるずると引きずっていたため裾やら足やらが濡れている。白露も肌足で雪の上を歩きまわっていたせいで足が汚れていたが、気にせず部屋へと入った。雨水を敷かれた布団に寝せ障子を閉める。
意識が朦朧としている雨水は薄目で白露の行動を眺めていた。動く力がないのか黙ったまま横になる雨水に、布団をかけてやろうと白露は手を伸ばす。その手をがっしりと掴んだ雨水は無理矢理白露を同じ布団の中へと押しこんだ。そして掛布団を被る。
「おい! なにしてんだよ!」
突然の出来事に声を荒げる白露に対し雨水は眉根を寄せ「うるさい」と寝言のように呟いた。
「俺は部屋に帰るからこの手を離せ」
「嫌だ」
痣が出来るんじゃないかというほど強く握りしめられた腕。本当は病弱でもなんでもないんじゃないかと疑う白露を抱きしめるように、雨水は背中へと腕を回した。
「おい」
白露は流石に耐え切れず手を外そうとする。しかし雨水の言葉を聞いた途端力が抜けてしまった。
「白露が弟だったらよかったのに」
無意識の言葉だったのだろう。雨水はその言葉を最後に、寝息をたてはじめた。白露は長い溜息を吐き、腕を外すのを諦める。
そして短い雨水の髪を優しく撫でた。
「お兄ちゃん、か……」
自分に兄弟がいたらなんて考えたこともなかった。本当の両親さえ知らない身からしてみれば兄弟なんて夢のまた夢で。
白露は雨水の胸に顔を摺り寄せ目を瞑った。トクトクと小さな音が確かに生きていることを告げている。けれどあまりにも微かなその音に白露は不安がかきたてられた。
「おやすみ。お兄ちゃん」
戯言のような挨拶を残し白露も深い眠りへと落ちていく。寄り添うように眠る二人は本当の兄弟のようにみえた。




