掟
産まれたばかりの赤子が景色を鮮明に覚えているはずがないのに、なぜか稚児喰みの井戸には見覚えがあった。件と過ごした十三年間のうち一度も来たことがないはずなのに。
葉を一枚もつけてはいない山桜の側に枯井戸がぽつんと存在していた。灰色の積み石で出来た井戸の中を覗けば雪は積もっていなく、白い骨が無数に転がっていた。
一目で分かる。人間の骨だ。人間の赤子の骨。
まるで作り物のように見える光景に眉を顰めた白露の肩を無骨な手が掴んだ。ビクリと肩を震わせ振り向けば、怒ったように顔を顰める鶺鴒がいた。
「勝手に行くな。お前は俺の弟子だろう」
薄っすらと額に汗をかいている。走って追いかけてきたのだろうか。その姿を嬉しく思いながらも、罪悪感が胸に湧き上がってきた。
「これは、俺が引き受けた依頼だから……」
「そうだ。これはお前の引き受けた依頼だ。だから自分で解決してみろ。けどな、自分で解決することと人に頼らないことは違う。俺はお前の師だ。何かあったら頼れ」
そう言ってぐしゃりと髪をかき交ぜられる。優しい温もりに少し涙腺が緩んだ。父親とはこういうものなのだろうか。
素直に頷いた白露に「いい子だ」と優しく声をかけた鶺鴒は井戸へと視線を向けた。
「稚児喰みの井戸か。嫌な名前だな」
そう言って井戸の中を覗きこんだ鶺鴒は静かに合掌した。偽物に見えていた景色が急に現実味を帯びた。きっとここに散らばる骨は本物の赤子だ。生きたまま捨てられた赤子なのだ。そう思うとゾッとした。
「誰か来る。こっちにこい」
目ざとく足音を聞きつけた鶺鴒が山桜の裏へと白露を引っ張った。
現れたのは年若い一人の女だった。女は胸に赤子を抱きふらふらと井戸へと歩いてくる。
女は涙を流しながら井戸の中を覗きこんだ。その景色にひっと短く悲鳴を上げる。瞳を閉じ二三度深呼吸を繰り返した女は覚悟を決めたように赤子を井戸の上へと掲げた。
手が震えている。今にも落としそうだ。いや、落とすつもりなのだろう。
鶺鴒と白露は慌てて飛び出し赤子を取り上げた。女性は一瞬の出来事にぽかんと間抜けな表情をみせたが、やがて般若のような恐ろしい表情を顔に張り付けた。
「返して! その子を返して!」
赤子を抱いた白露の腕を引っかき女は無理矢理白露から赤子を奪い取ろうとする。女を後ろから羽交い絞めにした鶺鴒は「落ち着け!」と女を一喝した。
鶺鴒の大声に女は体を震わせ、やがて地面に座り込む。そして顔を覆い泣きはじめた。
「その子を、その子を返して……。その子を殺さないと、私が殺されちゃう……」
ぽつりぽつりと女の溢した言葉に驚愕する。白露は血の滴る腕でさらに赤子を強く抱きしめた。赤子は状況など分かっていないように笑う。
「自分の子を殺してまで、生きたいのかよ! 腹を痛めて産んだ子だろ!」
思わず叫んだ白露に女は堰を切ったように髪をふり乱した。
「しょうがないでしょ! そういう掟なの! みんなやっていることなのよ! 何十年も、何百年も続く掟なの……」
尻蕾になった女の言葉はやがて途切れすすり泣く声だけが森に響く。
女の言葉で井戸の悲惨な現状が浮き彫りになった。あの井戸の中には何十体の赤子の骸が積み重なっている。そんな現状が今まで続いてきたことが恐ろしかった。そして、その掟は依頼をしてきた村のものだろう。雨水が井戸について依頼してきた意味が分かった。退治ではなく、供養と言ったことも。
赤子は白露の髪を掴むのに飽きたのか母親のほうへと手を伸ばした。女は指の隙間から赤子をみて手を伸ばす。女に先程の気迫はなく、ただ今は我が子を胸に抱きたいと願う母親だった。
その様子に白露は躊躇わず赤子を女へと返す。女は何度も赤子の頬に頬ずりし「ごめんなさい」と繰り返した。赤子はきょとんと瞳を瞬いて不思議そうに女の頬へと、紅葉のような小さな手を伸ばした。
ますます女は後悔の念から涙を流す。女が落ち着くまで二人はその光景を眺めていた。




