出会ってしまう
厠からの帰り道、白露は案の定道に迷っていた。入り組んだ屋敷で言われたとおり道を進んだのだが、開け放った障子の先には誰もいなかった。
「左左右だったよな……」
ぽかんと固まり来た道を振り返る。仕方ない片っ端から開けていくしかないかと溜息を吐いた。足を進めようとした白露の視界に白く長い女性の手が映りこむ。
障子の隙間から伸びた手は白露を招くようにゆらゆらと揺れた。
向かいの突き当たりで揺れる手に興味をそそられた白露は依頼のことなど忘れ手へと足を進めた。
もしかしたら手の持ち主は美人の娘かもしれない。期待で胸を膨らませた白露は障子の前まで行くと深呼吸をし、一気にあけた。
急に隙間が広がったのに驚いたのか女性の手はビクリと震え部屋の中に引っ込んでしまう。その手を辿れば目を布で隠した女性が怯えたように白露を見上げていた。
艶やかな髪が畳の上で波打っている。外に降り積もる雪のように白い肌に濡羽色の髪。顔の半分が布で隠されているから正確な年齢は分からないが白露よりも上だろう。
美しい外見には少々似つかわしくない小豆色の地味な着物を着た女性は、布のせいで目が見えていないのかキョロキョロと視線を彷徨わせた。
「お父様……にしては足音が静かだし、女中さんたちとも違う。まさか雨水? 雨水なの?」
女性は雨水という名を口にすると嬉しそうに口元を綻ばせた。
女性の期待を裏切るようで白露は申し訳なくなった。罪悪感から視線を逸らせば部屋の中に一枚の掛け軸がかかっていることに気づく。
髪の長い美しい女が産まれたばかりの赤子を絞め殺している絵だった。悲惨な絵に白露は顔を顰める。女の影が障子に映っているが、その影には大きな角が生えていた。
気味の悪さに掛け軸からも視線を逸らす。そうすれば女性が白露の着流しの裾を握っているのが視界にうつった。
慌てて下がれば女性は恥ずかしそうにパッと手を離す。そして「ごめんなさい」と深々と頭を下げた。
「ごめんなさい。この布を外すわけにはいかなくて。こんな母親嫌よね。ごめんね雨水」
女性は何度も壊れた玩具のように謝罪を繰り返す。白露は慌ててやめさせようとしたが、声を出すわけにはいかず女性の手を取った。
なぜか声を出しては、正体がバレてはいけないと本能的に感じた。自分のことを息子だと思っているならそのままでいい。目が見えていないのだから態々言うことはないだろう。
女性の手は不気味なほど冷たかった。
掌を上に向け指を添える。くすぐったさに身を捩る女性に白露は指で言葉を伝えた。たどたどしく件から習ったひらがなを指で書く。
「こえ、でない? 声が出ないの?」
旧街の人間には文字が読み書きできない人も居るため伝わるか不安だったが、女性はどうやら文字が読めるらしい。
女性の問いに「はい」と書けば「喉どうかしたの?」と尋ねられた。白露は「いためただけです」と書き一旦女性の手を離す。
女性は離れた手を惜しむように拳を握った。やがて何かを思い出したように顔を上げる。白い布が揺れ、チラリと女性の熟れた林檎のような赤い頬がみえた。
「あの、お願いがあるんです」
女性はスッと廊下を指さした。
「大切な簪が転がってしまって。私はこの部屋からでることが叶わない身なのです。どうか母のためにとってはくれませんか?」
障子の隙間から手を出していたのは誰かを招きよせるためではなく、簪を取りたかったのか。確かに廊下には一本の簪が転がっていた。
部屋から出られないと話した女性は足も悪いのだろうか。白露が来てから一度も立ち上がる様子はなかった。白露は立ち上がり廊下へと出る。簪へと伸ばした手がピクリと止まった。
それは見覚えのある簪だった。薄紅色の蕾が綻び始めている。白露はひゅっと喉を鳴らし、震える手で簪を掴んだ。
何度も何度も見たものだ。間違えるはずがなかった。
件がいつも帯に挿していた簪が今自分の手の中にある。どうして女性が持っているのだろうか。イタチにきちんと預けたはずだ。イタチが彼女に渡したのか?
簪は白露の思考を読みとったように重みを増した。よくよく見れば蕾が段々と花開いていく。ありえない光景に目を瞠る白露に女性は「雨水?」と息子の名を呼んだ。
蕾だった簪は大輪とまではいかないが、薄紅色の小振りの花を咲かせた。
白露は慌てて女性の手へと簪を押し付ける。女性は安心したように息をついた。大切なものなのだろう。指先で形を辿るように触れていく。
「あら? 蕾が……」
そう簪の違いに首を傾げた女性。白露は何も言わず震える手で障子を閉め走り出した。
「雨水? あら? 行ってしまったの?」
女性の声が白露の背中を追いかけてくる。白露は声を振り切るように歩く速度を上げた。女性になぜ簪を持っているのか聞くのが怖かった。
あれは間違いなく件の簪だ。なぜ、どうして。そんな思考ばかりがぐるぐると頭の中を駆け巡る。
頭の片隅で歯車が動き出すカチリという音が響いた気がした。




