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ワタリドリ  作者: 梔子依織
第六章
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ようこそ

「なんだ早かったな。もういいのか?」

 高津賀の森の、入り口の松の根に座り刀の手入れをしていた鶺鴒が振り返った。鶺鴒の言葉に白露は曖昧に頷く。そして鶺鴒の隣へと腰を下ろした。

「もし、俺がこのまま高津賀の森に住むって言ったら鶺鴒はどうする?」

「なんだ、唐突だな」

 刀を鞘に納め考えるように地面を眺めた鶺鴒はやがて「それがお前の考えなら」とだけ言った。

「引き止めないんだ」

「引き止めてほしかったのか?」

引き止めてほしかったわけではない。けど簡単に送り出してしまう鶺鴒に少し腹が立った。白露の苛立った様子に鶺鴒は呆れたように立ち上がる。そして村に向かって歩き始めた。

 白露は慌てて鶺鴒の後を追う。

「あの鎌鼬にでも一緒に住まないかって言われたんだろ」

「……答えられなかった。嬉しかったのに」

「俺は元々あの鎌鼬からお前を預かっている身だ。とやかくいうつもりはない。けど迷ったってことはなにかやりたいことを、信念をみつけたんじゃないのか? 家に帰るよりもずっと大切なものだ」

「やりたいこと、信念……」

 そう言われて思い浮かんでくるのは今まで出会った人や妖怪の姿だった。自分の中で何かが確実に変わり始めている。それがいい方向かは分からなかった。

「ゆっくり考えればいいさ。時間はまだある」

 ぐしゃりと無骨な手で白露の頭をかき乱した鶺鴒は前をみて「ほらついたぞ」と白露を促した。

 目の前には雪に覆われた村がある。田んぼには草一本も生えていなく、白い絨毯ばかりが敷かれている。点在する家々も白粉で化粧をほどこされていた。

 冬に染まった村は幻想的で、高津賀の森から神秘的な影響を受けているようにみえた。

 すれ違った村人や家の軒先からこっちを伺う村人はみな一様に白露たちのことを畏怖の表情でみている。目が合えば逸らされ、目を合わせなければジロジロと不躾な視線が向けられる。不快感から顔を顰める白露に村人達はヒッと怯えたような声をあげ、そそくさとその場を後にした。

「そう怖い顔するな。可愛そうに怯えているじゃないか」

 言葉だけは村人を庇っているが、その声音は嘲笑を含んでいた。鶺鴒も村人の様子に苛立っているようだ。

「なんなんだよこの村は」

「さあな。ただ何かあることは確かだ。例えば外部の人間に知られたくない疚しいこととかな」

 鶺鴒は村で一番大きな屋敷の前で足を止めた。屋敷には節気と表札が掲げられている。村の中では一番大きいが、屋敷としては小振りのほうだった。ひょっこりと中を覗けば玄関口が大開になっている。

「ごめんください」

と大声を張り上げれば家の中から「はーい」という軽やかな声が返ってきた。

 中から出てきたのは四十代の女性だった。茶色の地味な着物を着て、髪をお団子に纏めた女性は白露を見るなり大きく目を見開いた。

 顔に刻まれた小皺が広がり一気に老けたようにみえる。

「依頼できた退治屋ですが」

と鶺鴒が声をかけたことで女性は気を取り直したように頷いた。

「旦那様から伺っております。どうぞこちらへ」

 女性はこの家の使用人のようだ。白露たちを家内へと促し、脱がれた靴を揃えた女性は白露たちの先頭に立ち廊下を進んでいく。

 左側には日本庭園が広がっていて、冬景色の中に赤い椿が落ちているのが目に付いた。小さな石橋には雪が積もり、池には薄く氷が張っている。誰の足跡もついていない景色は少し不気味だった。なにより今日は冬にしては暖かい日差しが降り注ぐ晴れである。

 それなのに雪どころか薄く張った氷さえ解けていないのが不思議だった。

「旦那様、お客様です」

 廊下に正座をし、頭を下げながら障子を開いた女性は、中へと二人が入ったのをみて静かに障子を閉めた。

 部屋の中には初老の男性がどっかりと腰を下ろしている。白髪頭を綺麗にまとめ、黒く濃い髭を生やした男は白露を見るなり女性と同じような反応を示した。

 ただそれはすぐ険しい表情へと変わる。

「ようこそいらっしゃいました。どうぞお座りください」

 そう言って男の向かいに並んでいる座布団を節くれだった指で示した。座布団に座る間も男は睨みつけるように白露を見つめている。

 あまりの居心地の悪さに耐え切れず「なにか?」と尋ねれば男は慌てて視線を逸らした。

「いや、あまりにも我が愚息に似ていたものですから。失礼しました」

 深々と頭を下げた男は「それで依頼のことですが」と不自然に話題を切り上げた。

「ご子息の病気が妖怪によるものだと?」

「愚息は幼い時から体が弱くて布団から離れられない身です。なにぶんこの家には愚息以外跡取りがおりません。私も年で早く愚息に後を継がせたいのです」

「それが妖怪となんの関係が?」

「村の近くにはご存知の通り妖怪どもの住む森がございます。その妖怪の影響で愚息は病気になってしまったのです。そうに違いありません!」

 熱弁する男は妖怪の仕業と決めつけているらしい。イタチの予測どおりだったかと白露は頭を抱えた。

 高津賀の森に住む妖怪のほとんどは近隣に住む人間達を蟻んこほども気にしてはいない。

なぜなら人間なんて気にしなくても生活が成り立つからだ。たまに森に侵入してきた人間に対して報復はすれど、自ら村に行ってしでかそうとする物好きな妖怪などいなかった。

 でなければ妖怪の住む森の近くに人間が村を築くなんてことできなかっただろう。

 鶺鴒もそのことを十分把握しているのか男の言葉に「分かりました」と冷めたように返事をした。

「まずはご子息のところに案内していただけますか? 見てみないことにはどんな妖怪の仕業か分かりませんから」

 鶺鴒の言葉に納得したように頷いた男は障子の向こう側に声をかけた。

「案内してやれ」

 すっと障子が開き先ほどの女性が頭を下げる。そして同じように「どうぞこちらへ」と言葉を紡いだ。

 鶺鴒に続き立ち上がった白露に向かって男は躊躇うように口を開いた。

「つかぬことを聞くが名はなんと言う」

 そう言えば自己紹介がまだだったなと白露は思い至り座りなおして頭を下げた。

「退治屋鶺鴒の弟子。白露と申します」

「そうか白露か……。わしは節気清明という。退治が終わるまでの間ゆっくりしていってくれ」

 男は白露の名前を耳にすると一瞬目を細めた。しかし白露が気づかないうちに表情を戻し好々爺のような優しい笑みを浮かべた。

 白露は男の変化に戸惑いながらも頷き部屋を出る。白露が部屋を出たのを確認し女性は静々と歩き始めた。

 何度も廊下を曲がり同じような障子が続く景色を眺める。白露はふと尿意を感じおずおずと女性に告げた。

「すいません。厠を借りてもいいですか?」

「ええ、この廊下を進んだ突き当たりに厠があります」

 女性はすっと掌で長く続く廊下を示した。鶺鴒は何をやってるんだかと呆れた表情で「先に行ってるぞ」と女性と共に左に曲がる。

「左に曲がったら次の分かれ道を右に。そのまま真っ直ぐ廊下を進んで左手の部屋になります」

 女性は道順を分かりやすく白露に説明すると、鶺鴒を伴い行ってしまった。白露は静かに息をつき言われた通り道を進んだ。

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