最後
冬香は熱を持ったままの小指を押さえながら社長室の扉を開いた。社長室には悠然と足を組みソファに座る父親がいる。
「ただいま帰りました」
と頭を下げた冬香に父親は嘘くさい笑みを浮かべ手招きした。
冬香は素直に従い父親の前に立つ。冬香の頬に手を滑らせた父親は「楽しかったかい?」と首を傾げた。
「とても。同年代の友人は中々いませんから」
嘘に本当を混ぜながら話す。楽しかったのは本当。でもそれは友人との楽しさではない。まるで心を共有し合った恋人のような楽しさだった。
初めて外の世界をみて、初めて他人に母親のことを話した。
初めてばかりが不安ではないのは白露だからかもしれない。
「そうか。それはよかったよ」
父親は冬香を向かいのソファに座らせテーブルの上に置いてあった香に火を点ける。金細工の施された丸い容器からは甘い煙が漂った。
薄暗い照明のもとで薄紫の煙が充満する光景は怪しかった。
けほっと煙で咳をする。色々なことを体験して疲れたからだろうか。視界がぼんやりと霞んでくる。何度か目を擦るが治ることはなかった。
「退治屋に頼んで正解だったな。最後の一日をこんなに満喫出来てお前も幸せだろう?」
「最後の、一日?」
不気味な言い回しに冬香は眉を顰める。その頃になって体を動かすのが億劫になってきているのに気づいた。だらりと垂れ下がった四肢は動かせそうにない。
顔を上げていることも難しくなり冬香は項垂れた。
「疲れてしまったんだね。ゆっくりお休み。目覚めた時にはもう君はいないかもしれないけどね」
父親は動かない冬香の体をゆっくりとソファに横たえた。段々と瞼が下がってくる。薄目でみた視界には父親と照魔鏡がうつった。
父親は薄気味悪い笑みを浮かべ冬香を見下ろしている。照魔鏡は父親のありのままの姿を映していた。
冬香には鏡に映る黒い影がなにか分からなかった。視界が閉じられる。
「よかったな。ただの生贄が幸せな時間を過ごせて」




