犬神
箱のような乗り物はあまりにも不快だった。地上から頂上へと一気に上った箱の速度はいったいどれ程の速さだったのだろう。
胃がひっくり返るような浮遊感に思わず口を塞げば、鶺鴒が優しく背を摩ってくれた。
「そのうち慣れますよ」
と二人の様子をみて篠目が笑みを深める。
この男はきっと白露たちがこのまま新世界に住むことを望んでいるのだろう。しかし白露にはこの街がそれほど魅力的には思えなかった。
篠目は一際大きな扉の前で足を止めた。重厚な木の扉には金の丸い玉が引っ付いている。しかし丸い玉は唯の飾りらしく、篠目が近づくと扉は自動でその身を開いた。
中の部屋は一面硝子張りで新世界を一望できる作りとなっていた。床には硝子一枚越しに水が流れていて、優雅に金魚が赤い尾ひれをひらめかせている。
まるで水の上を歩いているようで白露は目を輝かせた。
部屋には向かい合うようにしてふかふか長椅子が二脚。挟まれるように硝子机が一つ置かれていた。その他には足のついた丸い大きな鏡がぽつんと置かれているだけだ。
鏡に映った自身の姿はまるで自分じゃないように思えた。
それもそうだ。今の姿は新世界のために作られた姿なのだから。
仏頂面で服の裾を引っ張る白露に「お似合いですよ」と篠目は冗談か本音か分からない言葉を吐いた。
「あれは照魔鏡か?」
「よくご存知ですね」
「聞いた事があるだけだ。実在していたとはな」
鶺鴒が感心したように鏡を覗き込む。照魔鏡はありのままの鶺鴒の姿を映し出した。
「なあ、照魔鏡って?」
一人だけ言葉の意味が分からず首を傾げていた白露は鶺鴒に問いかける。しかしそれに得意げに答えたのは篠目だった。
「照魔鏡とは魔物の正体を映すと言われている伝説上の鏡。例えば狸が人間に化けていたとしたら、その狸が人間の姿で鏡の前に立ったとしても、鏡に映るのは本当の姿。つまり狸の姿なんだ」
「へー、便利な鏡だな」
実際妖怪が人間に化けていることは珍しくはない。育ての親である件も普段は人間の姿をしていたし、天狗などもそうだ。
人に紛れ込み人に危害を加える妖怪を瞬時に見分けられるのは、生死の境を分ける重要な一手だった。
長椅子に腰掛けた篠目は向かいの席を二人に勧める。白露と鶺鴒は大人しく席についた。
「どうしてあんなものがここに?」
鶺鴒はどうしても照魔鏡のことが気になるのか、何度も鏡へと視線を向ける。篠目は肩をすくめ「依頼と関係があることですよ」と鶺鴒を制した。
「あなた方を呼んだのは紛れもなく退治屋としてのその才能を買ったからです」
「この新世界にも妖怪が出るのか?」
厳重に封鎖された門に、冷たい側壁。まるで牢獄のようなこの建物に妖怪が入り込む隙があるのだろうか。門番が農民を追い払っている姿を見る限り、蟻んこ一匹さへ入る隙はありそうになかった。
篠目は遺憾そうに目を伏せた。
「あなた達にお願いしたいのは正確に言えば妖怪ではなく呪いです。嘆かわしいことに新世界にも邪な考えを持つ者がいるらしくてね。そいつがどうやら犬神の呪いを私にかけたらしい」
「犬神の呪い……」
「その呪いを絶ち、呪いの根源を突き止めろと言いたいんですね?」
「さすが退治屋さん。話が早くて助かります」
にこっと胡散臭い笑みを浮かべた篠目は手を組み身を乗り出してきた。
「簡単なことでしょう? 呪いをかけてきた人物を突き止める。別にそいつを殺せと言っているわけじゃないんです。誰がやったのか教えてくれるだけでいい」
篠目は言葉に出さないが、それはまるで「あとは自分達で処理をしますから」と言っているようなものだった。
黙りこむ白露に代わって鶺鴒が「分かりました」と依頼を引き受けた。
「私も怖くて怖くて仕方がないんです。照魔鏡が置かれている理由はお分かりでしょう?」
「……もし呪いをかけた人物が直接あなたに会いに来たときに対処できるようにですか」
鶺鴒はもう照魔鏡に興味がないのか一切視線を向けることはなかった。
「ああ、あともう一つ依頼……いや、お願いがあるんです」
篠目の言葉と同時に扉が叩かれる音が部屋に響いた。まるで時機を見計らったような音に鶺鴒が不審そうに篠目を睨む。
篠目は「入れ」と扉の向こうにいる人間に声をかけた。
「失礼します」
入ってきたのは白露と同じくらいの年の少女だった。金色の髪を頭上で二つに結び、真っ白な『ワンピース』を着ている。勝気な瞳は深い森を彷彿とさせる緑色だった。
「初めまして。篠目冬香です」
冬香はいそいそと篠目の隣に立ちお辞儀をした。長い金髪が揺れる。
「私の娘だ。お願いとは、娘の護衛をしてもらいたいんだ」
「護衛、ですか?」
これには流石の鶺鴒も戸惑った表情をみせる。退治屋の仕事は子守ではなく妖怪退治なのだ。子守なら他で雇えと言わんばかりに不快な表情を貼り付けた白露に篠目は苦笑をもらした。
「明日一日でいいのです。犬神の呪いが解けるまでとは言いません。犬神の呪いにかかってから一度も外出させていないものですから、娘が外に出たいと駄々をこねましてね。しかし誰が呪いをかけたか分からない現状で外に出すのは危険すぎる。普通の『ボディーガード』に呪いや妖怪の知識はない。そこであなた達にお願いしたいんです」
そんなの今までどおり部屋に閉じ込めておけばいいじゃないかと喉元まで出掛かった言葉を白露はなんとか押しとどめた。
新世界を支えていると豪語した篠目も存外娘には甘いらしい。鶺鴒は引き受けるのだろうかと、傍観の姿勢を貫いていた白露の肩を鶺鴒が優しく叩いた。
「冬香お嬢様の護衛はお前に任せたぞ、白露」
「はあ? なんで俺が……」
「俺は犬神の調査をする。手が空いているのはお前くらいだ」
「ま、待てよ。犬神の調査を俺がする。護衛を鶺鴒がする。鶺鴒が護衛のほうが安心だろ」
「新世界の中を歩き回って呪いの正体を探るんだ。初めて来たお前には無理だろう。丁度いい。護衛するついでに新世界を案内してもらえ。それにこんなおじさんよりも年の近い白露のほうがお嬢様もいいだろう」
な? と鶺鴒が冬香に同意を求めれば素直に頷かれてしまった。
「それでいいですよね?」
逃げ道を塞ぐように篠目にも同意を求める鶺鴒。篠目は興味がないのか、はたまた元からそのつもりだったのか冬香と同じように素直に頷いた。
「それじゃあ決まりだ」
ニヤッと勝ち誇った笑みを浮かべた鶺鴒に白露はため息をつくことしかできなかった。




