小さな神様
春は件にとって忙しくなる時期だ。様々な種類の花が開花すれば、件は寝る間も惜しんで花弁を集めに行かなければいけない。少しでも件の負担を減らそうと、白露とイタチも毎日のように花を集めていた。
東地区と南地区を分ける小川の畔は花の群生地帯だ。ポカポカと太陽が二人と一匹を照らす。白露はぐっと伸びをし、大きな欠伸を一つ溢した。
「おいシロ坊。欠伸をする時は口を塞げ」
「ふぁあい」
「欠伸をするか返事をするかどっちかにしろ!」
イタチが口煩く躾をしてくる間も白露は手を止めない。掌程の硝子瓶の中に白い三色菫の花びらを詰め込んでいった。イタチは紫の三色菫、件は青い勿忘草を摘んでいる。
花は件の大事な商売道具だ。
件という妖怪は予言を得意とする妖怪らしい。しかし白露の母である件は手順を踏まなければ未来を予知することができなかった。それは俗にいう花占いだったり占星術だったりする。
「母様これでいいですか?」
いっぱいになった瓶に蓋をし、差し出せば、件は「ありがとう」と礼を言い受け取った。
「次はなにを取ればいいですか?」
「……そうだな、少し休憩にしよう」
件の瓶もいっぱいになったのか、側に置いてあった背負い籠に瓶を二つ投げ込んだ。ガチャンと瓶の触れ合う耳障りな音が響く。籠には空の瓶がまだ十個ほど残っていた。
件は立ち上がり伸びをする。そんな件を見てイタチが「ちょっくら昼餉をとって来る」と身を翻した。びゅっと風が花畑を吹き抜け、イタチの姿を攫う。風の妖怪はこんな時に便利だなと白露は消えてしまったイタチに手を振った。
「白露、占いは好きか?」
「……あまり」
短い言葉で本音を表した白露に件は微笑む。白露は占いが好きではなかった。母である件は俗にいう占い師ではあるが、その占いのせいで寝る間も惜しんでこうして花を集める羽目になっている。それに未来を知ることがいいことだとは思えなかった。
「僕は未来を知りたくないです。だっていい事だけじゃないでしょ?」
「そうだな。悪い未来もある。そしてそれを回避することは難しい」
「それなら知らない方が幸せです」
件はムッと唇を突き出す白露の頭を撫で、考え込むように瞳を伏せた。人間にはありえない黄金の瞳が見えないことを白露は寂しく感じる。再び二つの月が見えたのは、白露が頭に乗った手に触れてからだった。
「母様」
「ああ、すまん。少し考え事をしていた。……なあ白露。一緒に勉強せぬか?」
「勉強ですか?」
唐突すぎる言葉に白露はきょとんと瞳を瞬いた。件はゆるりと目を細め、白露の手を引っ張り川辺へと進む。川は水が澄みきり覗き込む二人の顔を映していた。
件は側に落ちていた枝を拾い水面に差し込んだ。枝を中心に丸い波紋が広がっていく。
「水とは清廉で美しいものだ。穢れがなく澄み渡っている。そんな水は数多の占いに使われてきた」
もう一度木の枝で水面に波紋を描いた件は「例えば」と言葉を続けた。
「この波紋で未来が予測できる」
「波紋で、ですか?」
白露にはただの波打つ水にしか見えない。これでどんなことが分かるのだろうかと件を仰ぎ見れば、件は波紋の数を数え真上に昇った太陽へと視線を向けた。
「鎌鼬は昼餉を取りに行ったついでに涼しい室内で休んでくるらしい。戻るのは半刻後だ」
「そんなことが分かるのですか?」
「なあ白露。好きな未来がみられたら楽しいとは思わんか?」
「それは、そうですけど……」
白露は口ごもり俯く。件は枝を捨て今度は小石を拾い川に投げ込んだ。
「石の沈む速度でも占うことができる。水に映る影でも、紙の溶け具合でも」
「でも母様は大変そうです」
白露は思わず出た本音に慌てて口を塞いだ。件は白露の言葉に首を傾げ「大変とは」と聞き返した。白露は仕方なく心の内で思っていたことを白状する。
「母様はここ最近寝る間も惜しんで占いのために花を集めています。大変そうで、つらそうだから母様を苛める占いが嫌いです」
白露は途端、濃厚な花の香りと温もりに包まれた。目の前が華美な着物で埋め尽くされる。白露は抱きしめてきた件の腕の中で、もぞりと身じろいた。
「母様?」
「あまり嬉しいことを言ってくれるな。手放しがたくなるだろう」
ふうと息を吐いた件はすっぽりと包まれた白露の小ささに安堵した。そして何度も白露の背中を撫で、言葉を紡ぐ。
「私は辛いとも大変だとも思ったことはない。占いが好きだからね」
「好きだと辛くも苦しくもないのですか?」
「そうだ。白露だって大好きな林檎菓子をたくさん食べても辛いとか苦しいとは思わんだろう? それと同じだ」
件の説明は分かり易く、白露は何となく自分の中で理解する。そしておずおずと件の背中に手を回した。
「それなら僕はもっと占いのことが知りたいです」
「……随分と変わり身が早いな」
「好きな人の大好きなものを知ることはいけないことですか?」
白露はぎゅと小袖を握りしめた。母親の好きなものを知りたいと思う気持ちがむくむくと湧き上がる。少しでも母親と同じ目線で同じものを共有したかった。
白露はとくんとくんと自分よりも遅い鼓動に耳を傾けながら返答を待つ。
「いけないことなわけがあるか。好きな人の好きなものを知りたいと思うことは普通のことだ。白露が学びたいと思うなら、私がたくさんのことを教えてやろう」
ひょいっと抱き上げられた白露は突然の出来事に驚き、件の肩にしがみつく。さらりと流れる黒髪に顔を埋めたのを確認し、件はゆっくりと川の中へと入って行った。
川は件の膝までの水位しかなく比較的浅い。白露は抱きかかえられた安心感からうっとりと目を瞑った。
向こう岸に渡り終えると件は白露を降ろす。南側から東側へと降り立った白露は今までいた対岸を見つめた。南側は色とりどりの花が咲いているが、東側は青々とした緑が目立つ。
濡れた裾を絞り終えた件に促されながら、白露は近くにあった若木の前に立った。
「好きな葉を選んでみよ」
「どれでもいいのですか?」
「ああ、あまり考えずにな」
白露は言われた通り深く考えずに一枚の葉を枝からもぎ取った。葉は瑞々しい青でイタチの新緑の瞳と似たような色だった。
「その葉の裏を水で濡らしてみろ」
そっと水面に浮かべてみる。川の流れに逆らいその場に留まった葉はくるくると回転した。件がその葉を指で摘み、水から引き上げる。
「なにが見える?」
目の前に掲げられた葉の裏。そこには黒いシミが浮かんでいた。シミはふわふわとした毛玉のような形を描いている。白露は首を傾げ様々なものを思い浮かべた。
「埃……ウサギの尻尾かな? 蒲公英の綿毛にも見えます」
「そうか。葉の裏にはこれから白露が出会うものが映し出される。……そうだな、次はどこで出会うか占ってみようか」
そう言うと件は川辺に咲く、背の低い茂みへと白露を招き寄せた。小さな花が密集し大輪の花を咲かせる紫陽花は春には珍しい。紫の装飾花をかき分け、件は真花へと指を這わせた。
「紫陽花は嘘で真実を隠す姿から占いによく使われてきたんだ。東地区の紫陽花は妖気を大量に吸いこんでいるから占いには最適だ」
「どうやって占いに使うのですか?」
「紫陽花の真花だけを丁寧にとって水に浮かべてみろ」
白露はおずおずと真花に手を伸ばし手折った。真花は装飾花よりも美しくはない。虫を誘き寄せるために綺麗になった装飾花のほうが占いに最適なのではないかと思いながらも、白露は再び水面を覗き込んだ。
「嘘に隠れた真実ほど高尚なものはない。真花はその名の通り真実を教えてくれるだろう」
ふっと微風が水面を揺らし真花を下流へと運んで行く。真花の通った水面にはうっすらと昼時の花畑が映し出されていた。対岸にある花畑ではない。別の場所のようだ。もう一度しっかり見ようと目を擦った瞬間、その光景はたちまち消えてしまった。
「母様、これじゃどこか分かりません」
「未来に目を凝らすのは慣れしかない。白露にはなにが見えた?」
「昼時の花畑です。黄色い花が一面に咲いた」
菜の花とは違う小さな花畑は対岸の色とりどりな花畑よりも美しかった。件は白露の言葉に頷き手を取る。
「それならここから遠くはない」
「それだけでどこか分かったのですか?」
「ここに住んで何百年にもなる。高津賀の森のことなら知り尽くしているさ」
南地区に戻ることはせず植物の妖怪が根を張る東地区に進んだ二人は密林地帯を抜け、足を止めた。
「ほんとだ! ここです母様!」
白露と件の目の前には蒲公英の群生地が広がっている。黄色い絨毯は広くはないが、白露の心に感動を与えるには十分だった。水面でみた光景よりも鮮やかで、その匂い、色、音までもが白露の心を揺らす。
「この光景は占わなければ見られなかった光景かもしれぬ。占いも悪いものではないだろう?」
白露は件の言葉に何度も頷き頬を上気させた。そしてなるべく花を踏まないように絨毯の中央へと移動する。青々とした新緑の匂いが鼻を掠めた。
きょろりと辺りを見回した白露は「でも」と肩を落とす。
「始めに占った綿毛はどこにもありません」
葉の裏に描かれていたのは蒲公英の花ではなく、ふわふわとした綿毛のような物体だった。しかし花畑には白色なんて見当たらない。
上手く占えなかったのかと落ち込む白露に件は笑みを深め、空を指さした。
「寝転がって空を見ていろ」
ゴロンと二人して黄色に埋もれ水色の空を眺める。空は雲一つなく、白露の焦がれた白色はどこにもなかった。
不安になって隣で仰向けになっている件を伺い見る。件は「大丈夫」と白露の小さな手を握った。
「自分を信じろ。お前は件の子なんだ」
「でも、僕は人間です」
白露は自分が妖怪じゃないことを知っている。件もイタチも、白露の親が他にいることを隠そうとはしなかったからだ。
どうせなら本当に件の子として産まれたかったと白露は顔を歪める。
「お前が人間か妖怪かなんて些細な問題だ。私に育てられた、私の大事な子には変わらぬ」
そう言って件は白露の手を握ったまま空へと突き出した。
「ほらみろ。当たっただろう」
いつの間にか水色は白一色に様変わりしていた。大量の綿毛が龍のように長い尾を引き東から西へと横断していく。まるで真昼に天の川が現れたようだと白露は瞳を輝かせた。
小さく白い綿毛のような物体はふわふわと揺れながらも列を乱すことはない。
「母様あれはなんですか? 綿毛でしょうか?」
「あれはビワの木の精。西洋ではケサランパサランと呼ばれている」
「けさらんぱさらん?」
「幸運を運ぶ小さな妖怪だ。これだけ大量のケサランパサランを見られるのは珍しい」
件も初めて見る光景に目を瞠る。大群はそれぞれ幸せを与えるために人里へと降り立つだろう。白露は件と繋いでいない方の手をめいっぱい伸ばし空を掴んだ。
「捕まえられそうにありません」
「アイツらは空高く飛び、目的の人間に辿り着くまで決して捕まりはしないからな」
件は苦笑し身を起こした。人間に幸運を運ぶケサランパサランは、決して妖怪に幸運を招いてくれることはない。妖怪にもその幸運を少しは分けてはくれないだろうか。これだけの群衆を見ることが出来ただけでも幸運だと、羨ましく感じながらも心を納得させた。
「母様。母様」
いつの間にか立ち上がっていた白露が胸の前で、両手で囲いを作りながら件の前に差し出す。そして得意げに手の中を件に見せた。
「見てください! 捕まえましたよ」
ふわりと笑う白露の手の中には綿毛のように小さなケサランパサランが一匹身を置いている。決して逃げようとせず手の内に留まる妖怪は、白露に幸運を届けに来たのだろうか。
まじまじとケサランパサランを観察する。目も口も足も手もない。ただの綿ボコリにもみえる妖怪は、くるくると回転したかと思うとパッと弾けて消えてしまった。黄金に輝く粒子が宙に溶けてしまう。
やはり純粋な人間の願いしか叶えてはくれないのだろうか。妖怪に育てられた白露は人間とは認められなかったのだろうかと不安になった件は、悲しんでいるだろう白露の顔を見た。すると予想に反して白露は嬉しそうに笑っている。首を傾げる件に白露は手をパンと叩いた。
「母様、ケサランパサランは願いを叶えてくれると消えてしまうのですね」
「なにかを願ったのか?」
「はい! 母様といつまでも一緒に居たいと願いました!」
屈託のない笑みは、いつも件の心を満たしてくれる。赤くなった顔で俯いた件に白露は慌てふためいた。
「どこか具合が悪いのですか? それともお願いが嫌だったとか……」
「いや、違う。違うんだ白露。嬉しくて幸せすぎて困っただけだ」
ケサランパサランなどに幸せを運んでもらわなくても、もう隣にいるじゃないか。かけがえのないたった一人の私の小さな神様が。
「お願いに有効期限はあるのでしょうか?」
「分からないが……毎年同じ願いをすれば永遠に続くな」
「そうですね! それじゃあ毎年見に来ましょう!」
ぐっと空へと手を伸ばした件はなにも掴むことのない手を虚しくは思わなかった。既に左手には小さな温もりが握りこまれている。ケサランパサランの大群は西の空に消え、また元の空色が戻ってきた。
「そろそろ鎌鼬が帰ってくる。戻ろうか白露」
「はい母様」
二人並んで南地区へと帰路につく。今は白露と過ごせる幸せを噛みしめていたかった。