童子丸
巫女の洞窟には白露一人で戻った。すねこすりには萌葱の側に居てほしいと帰ってもらったのだ。日の落ちかけた夕暮れの空を背景に洞窟の中を覗きこむ。布団の上に彼女は背を向けるように座っていた。
「退治屋様どうされましたか? もうお帰りになったのかと思いました」
巫女は側に置いていた弓に指を滑らせながら振り返った。相変わらず片目には包帯が巻かれている。その包帯が些細なことに思えるほど、彼女の頬は赤紫色に変色していた。
「お前それどうした!」
巫女の肩を掴み、顔を間近で見れば、無表情で巫女は視線を逸らした。
「少し転んだだけです。やっぱり夜の山道は危険ですね」
そう言って口角を引きつらせる巫女は笑おうとしているのだろう。上手く笑えないのに気づいていない姿は痛々しかった。よくよく見れば巫女の体には切り傷や痣が浮かび上がっていた。
薄汚れ傷ついた巫女は何も言おうとしない。白露は巫女の顔をこっちに向けようと巫女の体を引っ張った。微かな抵抗もなく白露の方へと倒れ込んだ体は羽のように軽い。そして大事なものが欠けていた。
「お前、足どうした」
目をこれでもかと見開き凝視する。巫女の右足は膝から下がなくなっていた。切断面を覆うように巻かれた包帯には夥しい量の血が滲んでいる。松明の光に照らされた巫女の顔は青白く血の気がなかった。
「なんでもありません」
「なんでもないわけないだろ!」
昨日までは普通に歩いていた。こんな痣や傷はどこにもなかった。震える手で巫女の体をかき抱けば、伝染したように巫女の体は震えた。
「私が悪いんです。巫女のくせに妖怪退治すらまともにできない私が」
自分に言い聞かせるように言葉を吐く巫女は、そう思わなければ精神が崩れてしまうような脆さが浮き出ていた。
「村のやつにやられたのか」
巫女の体を離し、顔を合わせる。巫女の顔は相変わらず無表情で、昨日のように寂しげな笑みさえ浮かべてはくれなかった。
「私が巫女のくせに皆様に怪我をさせたから。酒呑童子を退治できなかったから」
今朝方帰ってきた集団と一緒に巫女も退治に行っていたのか。新しい事実に驚くと同時に沸々と怒りが湧いてきた。巫女の言葉は白露が思い至った事実を肯定するもので。このまま放っておくことはできなかった。
「どうしてここまでする? どうして村のやつらを恨まない?」
「私は巫女だから……」
「巫女の前にお前は一人の人間だ! 傷つけられて良いわけがない」
絞り出した白露の言葉に巫女は首を傾げるだけだった。ずっと一人で過ごしてきた、ずっと蔑ろにされてきた。巫女にとってはそれが普通で、白露の普通が分かるわけがない。
歩けなくなった巫女に食料を取りに行く力はないだろう。村の誰かが食べ物を分け与えてくれるはずもなかった。
「なあ、痛かったよな」
「痛い? 私は巫女だから……」
「痛いなら痛いって言え。苦しいなら苦しいって言え。お前はただの人間だ。悪鬼の巫女なんてくだらない存在じゃない」
ひょいっと巫女を抱え上げた白露は洞窟を出て森を駆け抜ける。
「待ってください! 私はあそこにいなければ」
「待たない。そんな顔できるうちは絶対に助けてやる」
「なにを言って」
「自分の頬を触ってみろ!」
白露の言葉通り秋風は頬を触ってみる。濡れた感触が指先を伝った。
「泣けるならまだ大丈夫だ」
乱れた息で白露はふっと笑ってみせる。何が彼女の幸せかは彼女自身が決めることだ。けれどこのまま村にいる結末が正しいとは白露には思えなかった。
「私は……」
「なにをしている!」
暗い森の中で無数の明かりが白露と巫女を照らす。斧や鍬を持った男たちが白露をみて狼狽した。
「退治屋様なにをしておられるのですか? その者は悪鬼の巫女。近づけば穢れますよ」
男共の言葉に巫女は体をぎゅっと縮め白露にしがみついた。白露は村人を一瞥しそっと巫女を地面に降ろす。巫女は白露の行動に絶望の色を瞳に宿した。そんな巫女を安心させるように頭を撫でた白露は、懐から取り出した小刀を村人へと向けた。
「元々俺は妖刀を作るために来たんだが……。知ってるか? 妖刀って妖怪を殺して作るらしい。お前らを殺したらどんな妖刀に出来上がるか楽しみだ」
「なっ! なにを言ってるんです! 私どもは人間で……」
「少女の足を切り落として暴力を振るうのが人間だって? 冗談も程々にしろよ」
怒りを隠すことなく村人たちを睨み付ければ、怯えたように村人たちは一歩下がった。下がった拍子に男の一人が木の根に躓き尻もちをつく。そんな男をみてなんだか急に馬鹿らしくなってきた。
白露は小刀をしまうと、村人など視界に入っていないとでもいうように巫女を抱え上げる。そして村人たちの間を通り抜けようとした。
「待て! どこに行くつもりだ!」
「……酒呑童子ならもう倒した。どこに行こうが俺の勝手だろう」
「巫女は置いていけ。巫女がいなければ誰がこの村を守るんだ」
当たり前のように指示を出す男を白露は思わず蹴り上げた。反動で巫女の体が揺れるのも構わず白露は倒れた男を踏みつける。
「もういっぺん言ってみろ」
怒りを押し殺した声に男は顔を引きつらせ、痛みから何度もえずく。
「誰が自分たちを守るんだ? いっそのこと妖怪にくわれてしま――」
ふんわりと温かい小さな手が白露の口を塞ぐ。手を辿れば巫女がじっと白露を見ていた。
「それ以上言ってはいけません」
ぎこちなくだが笑ってみせる巫女に白露は我に返り男から足をどかした。巫女は「ありがとう」と礼を言い「もういいんです」と疲れたように息を吐きだした。
「この人のいう通りです。私が居なくなったらこの村を誰が守るんですか? 私が守らなくちゃ」
「本当に優しいな君は」
巫女の言葉に応えたのは村人でも白露でもなかった。微かに香る酒の匂いと共に訪れた優しい声に振り返る。そこには酔いつぶれたはずの酒呑童子が立っていた。
「ひっ! ば、化け物!」
「倒したんじゃなかったのか!」
「構えろ! 今日こそ仕留めるんだ!」
酒呑童子の姿を見て沸き立つ村人を尻目に、巫女は酷く冷静に酒呑童子をみていた。きっとその良すぎる耳で酒呑童子が近づく音を捉えていたのだろう。
「おい、酒呑童子。なにしに来た」
白露は隣に並んだ酒呑童子を横目で伺う。向かいには殺気だった村人たち。酒呑童子は巫女へと視線を向けた後「連れ去りにきた」と真剣な声で告げた。
そして村人をねめつける。その金環の瞳に射抜かれた村人たちは一様に震えあがった。
「聞けっ!」
腹の底を突き上げるような重い声が森に響く。優しい声の持ち主と同じとは思えない声音で告げた酒呑童子は、妖怪の風格を醸し出しながら一歩村人に詰め寄った。
「この娘を生贄として差し出さなければ毎月一人ずつ村人を食い殺す。選択しろ。娘を捨てるか、自分たちが食われるか」
カチリと歯を鳴らした酒呑童子はさらに脅しかけるように村人の襟首を掴んだ。ぷらんとぶら下がった村人は怯えたように暴れ出す。そして「分かった! 分かったから!」とたまらず叫んだ。
「その言葉忘れるなよ」
酒呑童子は村人を投げ捨てて白露ごと巫女を抱え上げる。そして鍛え上げられた脚力で村人の間を駆け抜けた。一瞬で豆粒ほどになった村人の影を眺めながら白露は嬉しそうに溜息を吐き出す。
「良いとこ全部持ってかれたな」
「……君が酔い潰すからですよ」
酒呑童子は人が悪いと白露を諌める。白露は勝手に酔ったんだろと肩を竦めた。
酒呑童子は巫女の住んでいた洞窟から正反対の位置にある小川で足を止めた。そしてそっと壊れ物を扱うような手つきで白露を降ろす。白露は川縁に転がっていた大きい岩の上に巫女を座らせた。
岩の冷たさが傷に染みたのか巫女は少し顔を顰めた。
酒呑童子は巫女の怪我の具合を一瞥し泣きそうな顔で視線を逸らす。巫女はようやく状況の整理が出来たのか「どうして」と疑問を溢した。
「どうして貴方が私を助けてくれたんですか?」
それは白露ではなく酒呑童子に向けられた言葉だった。酒呑童子は毛に覆われた頬をかき照れたようにはにかんだ。
「助けてもらったから。赤い花覚えてない?」
「赤い花?」
「君がほんの小さい頃、一人蹲っていた僕に君は地面に落ちていた椿をくれたんだ。不吉な花って言われているのも知らないで、君が無邪気に花を褒めている姿がなんだか嬉しくて、まるで自分が褒められているように感じたんだ」
醜い妖怪の容姿を持つ酒呑童子は忌み嫌われてきたに違いない。そして同じように忌み嫌われる花を褒める巫女に心ひかれたのだ。
「それだけ?」
「ああ、君にとってはそれだけかもしれないけれど僕はとっても嬉しかった。一言声をかけてくれたのが、椿の花をくれたのが」
酒呑童子は着物の懐からそっと小瓶を取り出した。小瓶の中では椿の花が鮮やかな赤を身に着けている。何年も前の花のはずなのに、椿は未だに枯れることはなかった。
「君はもう忘れてしまったかもしれないけれど僕はずっと覚えてる。僕を救ってくれた君には幸せになってほしいんだ」
真剣な言葉に巫女は戸惑いを隠せないようだった。白露はちょいっと酒呑童子の肩を突きニヤリとあくどい笑みを浮かべてみせた。
「素直に言えばいいじゃねえか。好きだから一緒にいたいって」
「なっ! 馬鹿言わないでください! 僕はこんな見てくれなんですから」
白露の言葉に益々瞳を丸くした巫女は思考が追い付かなくなったのか「好きなんですか」と首を傾げた。
「好き、みたいです」
「みたいじゃねーよ好きなんだろ。じゃなかったらずっと側で見守ったりしないだろ」
「もしかして、貴方がたまに食料を置いて行ってくれていたの?」
白露の言葉に思い当たる節があるのか巫女は酒呑童子詰め寄った。と同時に岩から滑り落ちてしまう。慌てて受け止めた酒呑童子は、巫女を岩に座らせることはせず抱きかかえた。
「君が一人で大変そうだったから助けになればって……。迷惑だったかな」
巫女は慌てたように首を振り「助かりました」と礼を言った。
そんな二人をみて白露が提案する。
「なあ、巫女。お前行くところがないんだろう。それなら酒呑童子と高津賀の森に住んでみたらどうだ」
「高津賀の森?」
「俺の育った森だ。あそこは妖怪の住処だから神気も妖気も充満している。傷を癒すには丁度いい」
傷だらけの巫女にはゆっくりと休息する時間が必要だ。ここから少し遠いが酒呑童子の俊足を持ってすれば難しくはないだろう。酒呑童子は固唾を飲んで巫女の答えを待っている。その姿が主人に捨てられそうな犬に見えて仕方がなかった。
巫女は少し考える素振りをみせた後、真上にある酒呑童子の顔をじっと眺めた。酒呑童子は恥ずかしそうに視線を泳がせるが顔を背けることはない。
「私は貴方のことを何も知らないから好きだとかよく分かりません。それでもいいなら」
「全然! 全然良いんだ! そりゃあいつかは鴛鴦の契りを結びたいとは思うけど……。ゆっくり僕のことを知ってもらいたい」
酒呑童子の言葉に巫女はそこでやっと自然な笑みを浮かべた。花が綻ぶような笑みを見れて白露は安心する。そして頭の後ろで腕を組み盛大に溜息を吐いてやった。
「あーあ、妖刀を作るはずが妖怪を助けることになるなんて」
「そういえばそうでしたね」
当初の目的は妖刀を作ることだったのに正反対のことをしてしまった。しょうがない別の妖怪を探すかと白露が肩を落とせば酒呑童子が「あの」と声をかけた。
「もしよかったら妖刀を作るのに協力しますよ。助けてもらったお礼です」
「お礼って……。妖刀を作るためには妖怪を殺すしかないんだぞ? 死んでくれるっていうのか?」
「いえ、厳密には他にも方法はありますよ」
文句を垂れる白露に巫女は三本指を立てた。そして一つずつ指を折って説明していく。
「一つ目は妖怪を刀で殺すこと。二つ目は刀が妖怪になること。つまり付喪神ですね。三つ目は妖怪と契りを交わすこと」
「契り? 契約ってことか?」
「そうです。妖怪を殺すことで、妖怪の持っていた妖力を刀に吸収させ妖刀を作る一つ目の方法に対して、三つ目の方法は妖怪が自主的に妖気を分け与えます」
「そんなことができるのか?」
妖力は妖怪を形作る大切なものだ。妖力が大きければ大きいほど妖怪としての力は強くなる。生命線ともなる妖力を分け与えるなど想像できなかった。
「できないわけではありません。けれど妖力を分け与えることで自身の体にどんな影響がでるか……」
「まあまあ。そう深刻に考えなくていいから」
考え込む白露と巫女をのんびりと制した酒呑童子は、巫女をもう一度岩の上に座らせると白露に小刀を出すように言った。白露は大人しく小刀を酒呑童子へと差し出す。
酒呑童子は躊躇うことなく小刀で腕を切った。腕から溢れるのは血ではなく妖気だ。澄水のような透明な液体が小刀に纏わりつく。ドクンと小刀が脈打ったようにみえた。見る見るうちに刀身が長くなり、綺麗な波紋が波打つ。打刀程の大きさになった刀身には酒呑童子と名が刻まれていた。歯が大きくなると同時に膨らんだ鞘にはきちんと白露の文字が浮かんでいる。シンプルな木の鞘に刀を納めた酒呑童子は、そっと白露へと返した。
「お前大丈夫なのか?」
受け取った刀の重さに胸を高鳴らせながら酒呑童子の様子を窺う。酒呑童子はなんともないと巫女を抱え上げた。
「妖力だけは有り余るくらいあるんだ。妖刀を作るくらい造作もないよ」
さすが鬼の頭領と言われる酒呑童子なだけはある。酒呑童子は刀を抜くように白露に促した。白露は導かれるまま鞘に手を添える。
「童子丸」
そう言霊を唱えれば呼応するように刃が煌めいた、スラリと抜かれた刀は真冬の寒空のような澄んだ空気を纏っている。切っ先を地面に向ければ草木が一瞬にして霜に覆われた。
「童子丸か。いい名だ」
酒呑童子は妖刀の出来を満足そうに眺め、巫女をぎゅっと抱きしめた。急に小刻みに震えだした酒呑童子の背を不安そうに巫女が撫でる。やはり妖刀を作るのに妖力を使いすぎたのだろうかと慌てて駆け寄る白露を前にしゅるしゅると酒呑童子の背が縮み始めた。
毛深く覆われていた顔が露わになりスッと筋の通った目鼻立ちが露わになる。栗色の髪が風に靡き、黄金の瞳が憂うように伏せられている。白露よりも少し高い身長まで縮んだ酒呑童子はどこからどうみても美男子だった。鋭い牙と尖った耳、それに人間にはありえない茶色の髪と金色の瞳でようやく妖怪だと認識できる。体を覆っていた毛が消え普通の人間のような姿になった酒呑童子は水面に映った自身の姿をみて「戻った」とすっとんきょんな声を上げた。
あまりの変貌に白露と巫女は言葉を出せずに固まる。そんな二人に構うことなく酒呑童子は嬉しそうに跳ねまわった。
「妖力がなくなって美男子って反則だろ……」
激しすぎる変貌に眩暈を感じた白露は額に手を当て項垂れた。腰に差した刀が笑うように音を立てる。
「僕は元々人間だったんです。色んな女性から貰った恋文を焼いたら呪われてしまったみたいで」
「呪われて妖怪になったと?」
「もう何百年も前のことですから」
本人曰く妖力を全て分け与えていないから本来の姿に完璧には戻っていないらしい。全て戻ってしまったら絶世の美男子に違いない。複雑な気持ちを抱きながらも、白露は頭上を飛び回る一羽の烏へと視線を向けた。
真っ白な烏は鶺鴒について行った古烏に間違いないだろう。
別れを惜しんでいる暇はなさそうだ。
白露は巫女を大事そうに抱える酒呑童子と、安心したように身を預ける巫女をみてふと息をつく。二人なら大丈夫だろう。
「もし高津賀の森で困ったことがあったら南地区にある丸太小屋に行け。鎌鼬がいると思う。イタチに俺の名前を出せば力になってくれるはずだ」
「……なにからなにまで感謝する」
「ありがとう」
頭を下げる二人に白露ははやく行くように促した。
久々に思い出したイタチは元気でやっているだろうか。名残惜しそうに何度も振り向く酒呑童子と巫女に手を振りながら、白露はそっと夜空を眺めた。
天の川には程遠いが無数の星々が煌めいている。新たに加わった重みを感じながら白露は近づいてくる足音に耳を澄ませた。
きっと巫女の良すぎる耳には聞こえていないはずだ。巫女の耳にはもう酒呑童子の足音以外聞こえることはなかった。




