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ワタリドリ  作者: 梔子依織
第四章
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ただの人間

 酒呑童子と呼ばれた妖怪の屋敷は龍宮御殿のような絢爛豪華なつくりだった。しかし村人が勇ましく退治しにきた跡がくっきりと残っている。瓦屋根のついた門の錠は無残にも壊され、木板には深い切り傷が残されている。

 門の入り口には大量の血と狸の死骸が転がっていた。

「村で嗅いだことがある匂いですぜ」

 見た目は猫なのに犬のように鼻を鳴らすすねこすりはきっぱりと言い切った。そして「村人に化けてやがったか」と舌打ちをする。

「狸が村人に化けて村に住み着いてたってことか?」

「ここんとこ農作物が荒らされていた原因はこいつで間違いねえですぜ。そもそも酒呑童子のやつが食べるのは人間の血肉であって、農作物なんて栄養にもなりゃしねえ」

「じゃあ村人の言ってることは……」

「……真相はどうであれ妖刀を作るためには妖怪を殺すしかありませんぜ」

 すねこすりは白露の言葉を制するように鋭く事実を告げた。深入りをすれば切りにくくなる。そう思ってのことだろう。

 白露は酒呑童子について深く考えるのをやめ、そっと屋敷の中へと踏み出した。すねこすりはまるで酒呑童子の居場所が分かっているような足取りで奥へと進んでいく。壊された障子や襖、屏風が嫌に目についた。

「ここですぜ」

 すねこすりはスンと鼻を鳴らし一際立派な襖の前で立ち止まる。そっと指で隙間を作り、中を窺えば毛むくじゃらの巨大な男が小さなぐいのみを摘まんでいた。

「あれが酒呑童子?」

「間違いないですぜ。一度他の酒呑童子に会ったことあるんです」

 白露はそっと懐に手を入れ小刀を握りしめた。何度も鶺鴒と死線を越えてきた。妖怪に比べて脆い体では長期戦になれば不利になってくる。素早く的確に相手の首を討つ。白露はゆっくりと深呼吸し勝機を窺うため酒呑童子へと視線を向ける。

 酒呑童子は大きく無骨な手で何か作業をしている。

 目を凝らせば手に持ったぐいのみは壊れていた。壊れたぐいのみを修復しようと欠片を合わせているが、大きすぎる手では上手くいなかないらしい。

 白露はその姿をみて俯いた。そして小刀を懐に納める。

「件の育て子、なにをしてるんですか」

「やめた」

 白露はすねこすりの言葉にすっぱりと言い放った。

「事情を聞いてからでも遅くないと思うんだ俺は」

「……事情を聞けば殺すことはできなくなりますよ」

 すねこすりには確信があるのか、すっと表情を伏せ暗い声を出した。そんなすねこすりを抱え上げ腕の中におさめる。

「お前は俺に酒呑童子を殺して欲しくないんだろ? 殺して欲しかったら態々農作物が狸の仕業だったなんて言わなくてもよかったはずだ」

 白露の言葉にすねこすりは完敗だと、体から力を抜いた。柔らかい肉球を触りながら白露はすねこすりの言葉を待つ。すねこすりは「人間は……」と途切れ途切れに事実を告げた。

「人間は都合のいいように解釈する生き物です。狸が化けて農作物を荒らしているのも、森に入って怪我をしたのも全て酒呑童子がしたことだと言い始めやがった」

「じゃあ実際は、酒呑童子はなにもしてないのか?」

「……もちろん人間が討伐しに来た時は抵抗したでしょうが、村人の傷の具合をみる限り手加減したのでしょう」

 酷い話だと白露は未だにぐいのみを弄る酒呑童子へと目を向ける。

「あの酒呑童子はただ酒が好きな山の住人です。どうして妖怪なだけで、見た目が醜いだけで追い出されなくちゃいけねえんですかね」

 人間に傷つけられたことのあるすねこすりだからこそ言える言葉だった。妖怪に育てられていなければ、自分も妖怪を憎んでいたのだろうかと白露は考える。しかし恐ろしい答えが出そうで考えるのをやめた。

「分かった。ただ本当に人間を襲って食べていた場合は斬る」

「そんな! 人間を食べていたとしてもそれは彼の食事です。貴方さまだって魚や豚や牛を食べているじゃありませんか! 彼にとっては人間が魚や豚なだけなのです」

 すねこすりの必死な訴えに白露は首を振った。すねこすりの言いたい事も理解できる。しかしそれは白露が刃を納める理由にはならない。

「魚だって捕まりそうになったら抵抗する。鳥だって牛だって生きている生物はみな生きるために抵抗するだろう。俺のすることはそれと同じだ」

 人間だから食べてはいけないなんて言うつもりはない。けれど抵抗するのは生きているものの特権なのだ。特権を利用するのは普通のことだ。

「……そうですね。過ぎた事を申しました」

 すねこすりは白露の言葉に納得していない様子だったが、あっさり引き下がった。すねこすりを地面に降ろし白露は静かに襖を開ける。

 襖を開く微かな音に酒呑童子は素早く反応してみせた。

 村人たちが襲ったばかりだからか白露を見る目には怒りと微かな怯えが混じり合っている。白露はその場に静かに正座すると頭を下げた。

「白露と申します」

 すねこすりも白露に倣うように小さな頭を下げた。酒呑童子は白露の態度に慌てふためいてぐいのみを落とす。ぐいのみは転がり白露の手に当たった。ぐいのみには綺麗な金魚が描かれている。亀裂が無数に走ったぐいのみはまだ何ヵ所か欠けていた。

 きっと村人に踏みつけられて壊れたものなのだろう。白露がぐいのみを手に取ると酒呑童子は焦ったように瞳を泳がせた。すっと立ち上がった白露はぐいのみへと息を吹きかける。

 するとぐいのみから湯水のように酒が溢れ出てきた。溢れ出た酒はぐいのみの表面を滑り畳を濡らす。酒に覆われると欠けた箇所はみるみるうちに修復されていった。

 すねこすりは人間にはありえない業に目を丸くする。確かに白露は人間のはず。訝しむすねこすりに白露は苦笑いを漏らした。

 未だに溢れ続ける酒で道を描きながら白露は酒呑童子にぐいのみを渡す。酒呑童子は戸惑いながらも口をつけた。

「……美味しい!」

「それはよかった」

 白露はそのまま酒呑童子の向かいに腰を降ろした。すねこすりが慌てたように白露に駆け寄り胡坐の上に飛び乗る。

「貴方さまは本当に人間ですかい?」

「……高津賀の森で育ったせいか森の妖気を体の中に吸収してしまったみたいだ。だから簡単な妖術なら使える。まあ、俺も旅に出てから知ったんだけどな」

「君は高津賀の森の出身なの?」

 自分より大きな図体から出た声はか細かった。美しい声で耳を癒しながら白露は酒呑童子の言葉に頷く。

 酒呑童子は羨ましそうにもう一口酒で喉を潤した。

「高津賀の森に興味があるのか?」

 すっかり砕けた口調の白露を諌めることはなく、酒呑童子は興味津々で身を乗り出す。なんだかその姿が子供のようで白露は思わず笑ってしまった。

「どうかした?」

「いや。想像していたのとだいぶ違うなと思ってさ」

「……僕はこんな見た目だから」

 酒呑童子は毛で覆われた太い指で米神をかく。確かに見た目はとても怖い。妖怪特有の金環の瞳に茶色い毛で覆われた体。万人に畏怖の念を覚えさせる鋭い牙。しかしその牙はぐいのみを傷つけないように繊細な動きをみせるし、金の瞳はくりくりとして満月のような美しさだ。

「だけど思ったよりも繊細で優しくて人間より人間らしい」

 白露の静かな呟きに酒呑童子はきょとんと瞳を瞬いた後、汗を飛ばし手で顔を覆った。

「き、君みたいな美しい人に言われても……」

「俺は見かけだけだけどな」

「認めるんですねえ」

 白露の明け透けな言動に物言いたげな目を向けるすねこすりはもぞりと体を動かした。

「なあ、単刀直入に聞くけどよ」

 酒を飲み続ける酒呑童子に白露はすっと真剣な目を向けた。酒呑童子はだいぶ酔いが回ってきたのか尖った耳を赤くしている。白露は気にすることなく言葉を続けた。

「村の人を襲ったりしたのか?」

 白露の言葉が上手く理解できなかったのか酒呑童子は首を傾げ暫しの間考え込む。そしてふるふると頭を振った。

「ここにいることが、もしかしたら人間の迷惑になっているのかもしれない」

「ここを出ていく気はないのか?」

「あの子が幸せになるまでは……」

 酒は元々強くないのかうつらうつらと舟をこぎ始めた酒呑童子は本音を漏らしだす。白露は一字一句聞き逃さないように酒呑童子に詰め寄った。

「あの子って?」

「小さな小さな可哀そうな巫女」

 ぽそりと呟いた言葉。酒呑童子は「見ていてあげないと」と瞳を陰らせた。

「あの子は、優しい子だから。幸せになって、ほしい」

 酒呑童子と巫女の間になにかあったのだろう。愛おしそうに巫女の話をする酒呑童子はまるで恋をしているようにみえた。

「好きなのか?」

 思わず口から出た言葉に酒呑童子は、林檎のように顔を真っ赤にし酒を溢す。足に飛び散った酒を気にせず酒呑童子は「好き」と白露の言葉を繰り返した。

「勘違いだったら悪かった」

「いや、違うんだ。好き……好きかあ。僕は彼女のことが好きだったのかな」

 酔いが完全に回ったのか酒呑童子はぐったりと項垂れた。微かに寝息が聞こえてくる。白露は膝に乗ったすねこすりを見下ろした。

「酒呑童子と巫女は知り合いなのか?」

「さあ? わっちには分かりませんが酒呑童子は度々巫女を遠くから見守っていたみたいですぜ」

 どこまで酒呑童子のことを知っていたんだと背をちょんと叩けばすねこすりは「萌葱のためです」と肩を竦めた。

「もし酒呑童子が萌葱に危害を加えるようならと思ってみていただけですよ」

「……大切なんだな」

「大切ですよ。貴方さまにとって件やイタチがそうであったように」

 寝てしまった酒呑童子を横目に白露は立ち上がる。すねこすりは肩によじ登り「どうするんです」と問いかける。

 幸せになってほしいと酒呑童子は巫女のことをいった。村から嫌われて洞窟に一人住んでいる巫女。巫女は今の状況をどう思っているのだろうか。

「巫女の話を聞きに行く」

「彼女はただの人間ですよ」

「俺だってそうだよ」

 すねこすりの言葉に笑った白露は、酒呑童子が持ったままのぐいのみに触れ術を解いた。

そして丁寧に畳の上に置く。酒呑童子が飛び起きた時に間違って踏まないように、少し遠くに置いた。

「それじゃあ行きますか」

「ほんとうにお人よしですね貴方さまは」

「件の子供だからね」

「違いない」

 二人は笑いあいながら酒呑童子の屋敷を後にする。その笑い声が巫女のところにまで届いていたらと白露は静かに祈った。

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