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ワタリドリ  作者: 梔子依織
第四章
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すねこすり

 カビ臭い布団を丁寧に畳み元の場所へと戻した白露は大きく伸びをした。ごきりと首を鳴らし手をめいいっぱい上に伸ばすと、ひたりと冷たい天井に手がついた。十七にしては小柄な白露が天井に手がつく低さ。奥行きもそれ程ない。熊の塒のほうがまだ広いんじゃないかと疑いたくなるような狭さだ。

 こんな穴倉に一人住む少女。片目で不自由だろうに誰の助けも借りずに生きる少女は白露よりも逞しく感じる。

 白露は朝になっても帰ってこない少女を心配しつつも洞窟を出る。少女に一言礼を告げてからでも遅くはないのだが、この湿った洞窟でひとり待つのも退屈すぎた。

 白露はちらりと消えた松明と隅に置かれた布団を一瞥し歩き出す。外は洞窟内とは違いカラッとした空気と、燦々と降り注ぐ太陽で満たされていた。

 やはり人が住むところはこうでなくてはと意気揚々と村道を歩き出す。朝早いせいか村道には人の姿はなかった。しかし、垣根に覆われた家々から微かに人の声や水音が聞こえてくる。

 妖怪を殺して妖刀を作る。そのためには手頃な妖怪を探さなければいけない。どこかに人間を困らせている妖怪はいないかと、周囲を見渡す白露の視界に小さな塊がうつった。

 黄色と茶色の縞模様の毛玉だ。ころころと転がる毛玉は白露の足元まで来るとチリンと鈴の音を鳴らした。

「ややっ! 件の育て子ではありませんか!」

 甲高い声と共に手足を伸ばした小さな猫は白露を見るなり足首に体を擦りつけてきた。

 いつまでも足首に纏わりついてくる猫の首根っこを掴む。ひょいっと目の高さまで持ち上げられた猫は大人しく耳を垂らした。

「すっかり大きくなりましたなあ。しかしわっちは匂いですぐに分かりましたぞ!」

「……お前もしかしてすねこすりか?」

 遠い昔の記憶の中で同じような影がちらちらと動く。眉を寄せじっと猫を観察する白露に、猫は「そうです! すねこすりでございます!」と声を張り上げた。

 思わぬ声量に慌ててすねこすりを地面に降ろせば、すねこすりは華麗に着地しピンと尻尾を立てた。その首元で小さな鈴が音を鳴らす。

「探し物の件はお世話になりました。狩りは上手くいきましたかな?」

「あ、ああ。随分昔のことまで覚えているんだな」

 すねこすりに出会ったのはかれこれ八年も前のことになる。それもたった一度きりの出会いのため、白露も思い出すのに時間がかかってしまった。

「そうでしたそうでした。貴方さまは人間でしたね。わっちら妖怪にしてみれば八年などつい先日のこと。生きる時間の違いとは恐ろしいものです」

 一人でうんうんと納得したように頷くすねこすりは、前足で顔を擦り「それで」と首を傾げた。

「件の育て子がこんなところでなにをしているんですかい? 件のことだから森から一歩も貴方さまを出さないつもりかと思っておりました」

「……母さんなら死んだよ。とっくの昔に」

 白露は懐にしまったままの小刀に手を這わせ俯きながら答えた。驚いたように瞳を丸めたすねこすりが「そうでしたか」と寂しそうに髭を震わせた。

「大妖怪件でも死には適わないのですな」

 すねこすりはそう言うとちょこんと道端に座り込む。ゆらゆらと揺れる尻尾を眺めながら白露は徐に小刀を取り出した。

「なあ、今から妖刀を作らなくちゃいけないんだ。最近人間に危害を加えている妖怪はいないか?」

「妖刀ですか? なんのためにそんな野暮なものを……」

「今は退治屋の下に居るんだ」

「退治屋でございますか!」

 すねこすりは退治屋の名前を聞くとぶるりと身震いし毛を逆立てた。そんなすねこすりを落ち着かせるようと、手を伸ばした白露を誰かが突き飛ばした。

「殺しちゃだめー!」

「はっ?」

 どてんと前のめりとなった白露はすねこすりを巻き込み倒れ込む。白露の下で小さなすねこすりがぐえっとうめき声を漏らした。

「すねちゃん大丈夫?」

「おめえのせいで死にかけたわ!」

 すねこすりは持ち前の身軽さで白露の下から這い出ると、背後に向かって声を上げた。そんなすねこすりの様子を気にするふうもなく、白露を突き飛ばした人物はすねこすりを抱きかかえる。

 身を起こした白露の視界では肩までの髪を靡かせた女の子が仁王立ちで白露を見下ろしていた。近所の子だろうか。つんつるてんの茶色い着物に擦り切れた草履は、如何にも農民を彷彿とさせる格好だ。腕や足には女の子にも関わらず傷跡が目立っている。

 女の子は白露を見るなり顔を赤らめ、さっとすねこすりで顔を隠した。

「なにいっちょ前に照れてるんだ。はやくわっちを降ろさんか」

「だ、だってこんなに綺麗な人みたことない……。ああ! そういえばすねちゃん大丈夫? 怪我はない?」

「お前が件の子を押したせいで死にかけたわ」

「……もしかして知り合い?」

 女の子はすねこすりの言葉に赤くなった顔をさっと青くしてみせた。あまりの変わりように白露は度肝を抜くが、いつものことなのかすねこすりは呆れたように溜息をついた。

「件の育て子許してやってくれ。コイツは少しぬけたところがあってな」

「ごめんなさい! すねちゃんの知り合いだとは思わなくて……」

 ごにょごにょとまた顔を赤くしながら頭を下げる女の子に白露は「大丈夫」と顔を上げさせた。

「私、萌葱(もえぎ)と言います」

「白露だ」

 互いに自己紹介をした二人は萌葱の計らいで家にお邪魔することになった。萌葱の家はすぐ側で背の高い垣根に覆われた小さな平屋だった。

 庭から縁側へと案内した萌葱は「ちょっと待っていてくださいね」と玄関へと駆けて行った。

 遠慮することなく縁側へと腰を降ろした白露の隣にすねこすりが丸まる。軒先で風鈴がチリンと鳴った。視界の先では小さな向日葵が天に向かって背を伸ばしていた。

 ああ、ここが占いでみた景色かと白露は懐かしむ。

 件から教えてもらった占いで失せ物探しをしたことは鮮明に思い出せた。

「探し物はみつかったみたいだな」

「件の育て子のお蔭ですよ。これは萌葱から貰った大切なものでしてね」

 チリンと鳴らした鈴が丁度風鈴の音色と重なり深みの増した音を奏でた。

「あの子は妖怪を嫌ったりしないんだな」

 青空に湧き上がる白い雲を眺めながら白露がぽつりと溢す。すねこすりは片目を瞑りゆっくりと前足を舐めた。

「あの子は変わりもんでね。人間に殺されそうになっていたわっちを身を挺して助けてくれたんです。喋る猫なんて初めてみたなんて、笑って鈴までつけてきたんですよ。まったく、何百年と生きてきた妖怪だと何度言っても聞きやしねえ」

 言葉は不満げだが声色は優しかった。すねこすりは何度か口を開け閉めし、やがてふっと息を吐きだした。

「あいつの側は心地がいい。死ぬまで側にいてやりてえと思うんです」

「……俺は件の子だから正直人間だとか妖怪だとか、そんな些細な差はどうでもいいと思う」

 白露の脳内には様々な出来事が蘇っていた。件と過ごした十三年間。鶺鴒と旅した四年間。その間に出会った妖怪、人間。

 森を出るまで妖怪と人間は分かりあえないものだと思っていた。けど、そうじゃなかった。自分が知らないだけで様々な人々が、様々な妖怪が共に生きていた。

「……さすが大妖怪件の子だ」

 すねこすりは嬉しそうに笑いながらニャアと猫の鳴きまねをしてみせた。

「件も幸せだったでしょうね。彼女は貴方さまが来るまでは、ずっと一人で書物と睨めっこしているような女性でしたから」

「母さんが?」

「ええ、友人のイタチとも滅多に会おうとしないで木の上で日がな一日難しい書物を読んでいましたよ」

 すねこすりの言葉に白露は信じられないと目を見開いた。そんな白露の反応にすねこすりは当時を思い出すかのように目を細める。

「妖怪はあまりにも生きる時間が長すぎる。きっと彼女は疲れてしまっていたんですよ。誰かと知り合うのも。誰かと別れるのも」

「すねこすりもそうなのか?」

 まるで妖怪は誰でもそうだという口ぶりに白露は首を傾げた。所詮肉体は人間の白露には理解できない。

「あの子と出会うまではそうだったかもしれませんねえ。ただ、今は違いますよ。件だって最期はそうだったでしょう」

 ただそうであってくれたら。自分といた時間を幸せだったと思っていてくれたなら。白露はぐっと唇を噛みしめた。そんな白露の横顔をすねこすりがそっと愛おしそうにみる。

「長い時の中で偶然重なった時間が、愛おしく儚く感じるのは妖怪ゆえでしょうかねえ」

「お待たせしましたー」

 のんびりとした萌葱の声とカチャカチャと食器が擦れる音が聞こえてくる。すねこすりは老いを感じさせる表情を消し、耳をぴくぴくと動かしてみせた。萌葱は二人分のコップと、すねこすりようの平たい皿に麦茶を注ぐと手渡してくれた。そしてすねこすりの隣に座ると、白露の側に三角形に切られた西瓜を置く。

「うちの畑で取れた西瓜です。よかったらどうぞ」

「ありがたくいただくよ」

 赤い実に歯を通せばシャリと心地よい音が響いた。音と共にほのかな甘みが口内に広がる。瑞々しい実が渇いた喉を潤してくれた。

「最初は本当にびっくりしたんだからね。すねちゃんが殺されそうになっているのかと思って」

 確かにあの時は片手に小刀を持っていたし、状況を知らない人が見ればそう思うかもしれないと白露はもう一口実を齧った。

 ふと白露は気になったことを口にする。

「妖怪が怖くはないのか?」

 その言葉に萌葱はきょとんと瞳を瞬かせ、腹を抱えて笑い出した。

「私は大人が言うように妖怪がみんな悪いだなんて思ってないから。あなただってそうでしょう?」

 確信めいた言葉に白露は見た目よりもこの少女がずっと賢いことに気づいた。一見田舎臭い、学のなさそうな見た目だが自分で考える力を萌葱はちゃんと持っている。

 白露は萌葱の言葉に曖昧に頷き西瓜を置いた。

「そんなことよりもどうして白露さんはこの村に?」

 白露の真剣な質問など大したことではないと一蹴した萌葱は興味津々で白露に詰め寄る。間に挟まれたすねこすが、ぐいぐいと萌葱を押し返した。

「……昨晩から野暮用で」

「昨晩? どこかにお泊りに?」

「洞窟の巫女のところに……」

 巫女という言葉を聞いた途端、萌葱は驚き、手に持ったコップの水面を揺らした。

「巫女さまに会ったんですか?」

 動揺と不安が入り混じった声音に白露は首をかしげる。正反対の態度の人間二人にすねこすりは暢気にあくびをこぼした。

「巫女ってのは悪鬼の巫女のことですかい?」

「悪鬼の巫女?」

 初めて聞く名に戸惑いを隠さない白露に、すねこすりは納得したように髭を振るわせ、ちろりと皿に注がれた麦茶を舐めた。

「巫女さまは悪鬼の巫女と呼ばれ村から嫌われているんです。私なんかは巫女さまに会うことも、巫女さまの話をすることも禁止されていて……。巫女さまは耳がいいからちょっと噂をするだけでも全て聞こえてしまうって」

 幼い少女が洞窟に一人で住んでいるのには、そんな理由があったのかと白露は眉根を寄せた。

「なんで嫌われているんだ?」

 白露の単純な疑問に萌葱は首を左右に振った。そして麦茶を一口煽る。

「生まれた時から巫女さまは一人で村の洞窟に閉じ込められていたんです。悪鬼の子だといわれて」

 悪鬼の子。白露は少女がそんな大層な者にはみえなかった。ただの幼い少女だ。確かに彼女は人間だった。

 同じことを考えていたのか萌葱もくっと瞳を鋭くさせ「村の人たちはおかしいんです。だって秋風さんは普通の女の子だもん」と俯いた。

「お前彼女に会ったのかい?」

 すねこすりが初めて聞く事実に驚き、そして険しい表情を浮かべる。そんなすねこすりの態度が不服なのか萌葱はむっと唇を突き出した。

「一度、仏花を取りに山に行ったの。夢中になって花を摘んでいたら足を滑らせちゃって。怪我して蹲っていたところを助けてもらったんだよ!」

「あれだけ一人で山には行くなと言っただろ!」

「まさかすねちゃんも悪鬼の巫女だからなんて言わないよね!」

 憤慨する萌葱に、すねこすりは呆れたように首を振った。首元の鈴がちりんと愛らしい音を奏でる。

「悪鬼の巫女はただの人間だ。ちょいとばかし耳がいいだけのな。わっちは森に住む妖怪を心配してるんだ馬鹿」

「あの森に妖怪が住んでいるのか?」

 生垣の向こうに見える山は白露が越えてきた山であり、巫女が住んでいる洞窟の場所だった。妖怪の住む森で一人で生きている。誰の助けも借りずに。少女の姿がさらに一回り小さく見えた。

 この村を出る前にもう一度巫女に礼を言いにいこうと心に決めた白露はシャリともう一度西瓜を齧った。

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