幻に溺れた
結界に僅かばかり走った亀裂を前に男と白露は立っていた。男が結界に手を伸ばすとバチバチと青い電気が走り侵入を頑なに拒む。
焼けただれるような痛みに耐え結界を無理やりこじ開けようとした男を白露は制した。
「僕がこじ開けます。結界が直ぐ修復するかもしれないので、破壊したと同時に黒い橋へと向かってください」
淡々と告げる白露に男は「君は」と言葉を溢した。
「どうして他人のことにそこまで必死になれる?」
「理由なんて必要ですか?」
白露はふわりと笑い腰に差した刀の鞘へと手を添えた。鶺鴒から借りた刀だ。自分の想いを込めてぎゅっと鞘を握る。ハッと一度吐き出した息が酷く重く感じた。
「弐ノ刀。退魔刀」
スラリと抜かれた刀には淡くだが確かに炎が宿っていた。刀を舐めるように広がる炎は赤く燃え上がる激情ではなく、夕日のような寂しげな橙色だった。
「いきます」
白露は腕を上げ目線の先に刀を添える。十三にしかならない子供にしては強い意志を秘める瞳をみて男は寂しげに微笑み、白露の言葉に頷いた。
「アアアアアア!」
白露の叫びと共に亀裂に刀が差しこまれる。亀裂はより深くより広く走り、粉雪のような淡い光を放ちながら砕け散る。耳元で風が鳴り、男が駆け出すのが分かった。
「礼を言う」
そんな言葉を残して遠くへと駆け出す男の背を眺めながら、白露は刀を鞘に納める。そしてゆっくりと村へと足を進めた。
――「どうして他人のことにそこまで必死になれる?」
男の疑問が白露の中でぐるぐるとまわる。
――誰かを助けるのに理由なんているのだろうか。もし必要だというのなら、僕が助けた理由は小春の笑顔がどこか件に似ていたからだ。
ふっと笑みを浮かべた白露の視線の先には二本の橋がある。男が小春を抱きしめ、小春は男の腕の中で泣きじゃくっていた。
白露の長くなった髪を攫うように、濃い霧をかき消すように爽やかな風が吹き渡る。
再会を喜ぶ二人が眩しく見えた。そして羨ましく感じた。
白露の後ろから慌てたように駆けてくる大きな足音と、余裕に満ちた、ゆったりとした静かな足音が近づいてくる。
「なにをしている退治屋! あの女が噂の根源だ! はやく殺せ!」
大旦那が焦燥感の滲んだ表情で小春を指さす。そのでっぷりとした指や額に浮かべる脂ぎった汗に嫌悪感を隠すことなく白露は顔を顰めた。そしてスラリと刀を抜く。
「感動の再会を邪魔しないでよね」
「お前は退治屋の弟子の!」
大旦那の首元に刀を添えた白露を面白そうに眺めた鶺鴒は、傍観の姿勢を貫くつもりなのか一歩下がり壁に背を預けた。
大旦那はひきつった笑みを浮かべゆるゆると小春に向けていた指を下げる。しかしまだ諦めきれないのか小春を射殺さんばかりに睨み付け唾を飛ばしながら激高する。
「どうして殺さない! 化けものなど殺してしまえっ!」
「……黙りなよ」
白露は大旦那の言葉に自分が突き動かされるのを感じた。ぐらりと赤く揺れる視界で大旦那が怯えたような悲鳴を上げるのを耳にした。
「弐ノ刀。退魔刀」
ぼそりと呟いた言葉に不釣り合いな炎が大旦那の頬を掠める。急に刀から噴き出た炎は大旦那の頬を焦がし、髪を焼いた。大旦那は尻もちをつき、高い着物を地面に擦りつけながら後ずさる。
「ひっ、ば、化け物! 退治屋なにをしている! 助けろ!」
「悪いが契約は破棄させてもらう」
鶺鴒は悪びれることなく懐から例の紙を取りだし、なんの未練もないと破り捨てた。
「こんなはした金じゃ俺は動かない」
「いくらだ? いくら出せば助けて――」
「いい加減目を覚ましたらどうだ?」
鶺鴒は侮蔑の色を顔に張り付け、刀を抜くと大旦那の側に突き刺した。
「壱ノ刀。破魔刀」
ぼんやりと刀が青い光を帯び大旦那の体を照らし出す。大旦那の頬には白い骨が張り付いていた。骨は指の形をしていて、まるで大旦那の頬を愛撫するかのように添えられている。
大旦那の体には何体もの骸骨が張り付いていた。遊女のような華美な羽織を身に着け、髪を綺麗に結い上げた骸骨の女が大旦那の腕に絡みついている。紋付き袴を着た男の骸骨が大旦那の足に絡みついている。見覚えのある萌木色の着物の骸骨は大旦那の首に骨だけの手を添えていた。その他にも何体もの骸骨が大旦那へとまとわりついている。しかし大旦那には見えていないのか、鶺鴒を不審そうに見上げていた。
「これは……」
白露は刀をしまいながらその光景に目を見開く。青い炎に照らされた平屋は骨組みだけのボロ屋。たくさんの人が踏みしめたはずの地面は雑草が蔓延っていた。
どういうことだと口を開こうとした白露の視界に、遊女の骸骨が細い指の骨を口元に添えるのがみえた。そして遊女は愛しそうに男の頬へと顔を寄せる。遊女の手には小指の骨だけがなかった。
「幻に溺れた哀れな男だ」
鶺鴒も刀をしまうと笠を深く被る。そして「いいのか?」と橋を顎で示した。
橋では小春が誰かを探すようにきょろきょろと辺りを見回している。小春から三人の姿はみえないのだろう。小春が自分にお礼を言いたいことは分かっていたが、白露はゆるく首を振った。
「これでいいんだよ」
小春はやがて諦めたのか男に促されるようにその胸へと顔を埋める。そして男が綺麗な烏羽を露わにし、何度か羽ばたいた。男と小春が巻きあがった風の中に消える。突風が面影橋を壊した頃には男も小春の姿もそこにはなかった。
「さよなら」
白露は寂しそうに笑い、濃い霧の晴れた青空を仰ぎ見た。




