隔年樹の林
件が白露を引き取ってから早十年となった。白露はすくすくと成長し、活発な男児へと変貌を遂げた。姿形が変わることがない件とイタチは、白露の成長を物珍しそうに観察しながらも嬉しく思っていた。
「おいシロ坊! 早くしねえと日が暮れちまうぞ」
「分かってるよ。まったくイタチはせっかちなんだから」
「人間が鈍間なんだよ」
白露はイタチを伴って隔年樹の林へと来ていた。[[rb:高津賀 > たかつが]]の森の東側に隣接する隔年樹の林は秋になると大量の実を地面に落とす。拾った実は冬に向けて天日干しし、保存食として貯蔵しておく。白露とイタチは件の頼みで実を収穫しに来ていた。
「今年はなんの実だろうね?」
「さあな。食えればなんでもいいだろ」
「イタチはもっと食に頓着もちなよ」
呆れたように溜息をつく白露に、イタチはケッと舌打ちをした。
「繊細な人間様には適いませんよーだ」
イタチはそう言うと白露を置いて、林の奥へと走って消えてしまう。イタチが白露を置いて行くのはいつものことなので、気にせず白露は先へと進んだ。
隔年樹は不思議な木だ。
毎年決まった時期に実を落とすことはなく、何十年に、何百年に一度一斉に大量の実を落とす。毎年少ない数の実を落とすよりも、何十年に一回大量の実を落とした方が、効率がいいのだと件が言っていたのを白露は思い出した。
そんな隔年樹達が今年はどの実を落としてくれるかは行ってみないと分からない。
真っ赤に熟れた林檎がいいなと思いながら、林の中心に聳える大樹へと辿り着けば、先に来ていたイタチが嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねまわっていた。
「シロ坊! 待ちに待った実だぞ!」
イタチの言葉に大樹を仰ぎ見ればそこには確かに赤い実がぽつりぽつりと見え隠れする。
大樹は何百年も前から実をつけていないと聞いていたから、白露はもっとたくさん実が生っているのだと思っていた。
「なんだか少ないね」
「そうか、シロ坊はまだ見たことがなかったんだな」
「見たことがないって?」
「隔年樹の実落としだ」
イタチは二本足で立つと鼻先を木へと向けニヤリと笑ってみせた。
「まあ見てなシロ坊。妖木と呼ばれる隔年樹の実落としをよ」
まるでイタチの言葉が合図となったかのように一陣の風が吹き大樹がざわめいた。昼時の空に紫雲が立ち込め、隔年樹の覚醒を告げる。
大樹は枝を震わせるとそれまで身に着けていた葉を落とし、真っ白な花を一斉に咲かせた。まるで白い桜だ。白露は口をぽかんと開けたまま木を仰ぎ見る。
真っ白な花は次の瞬間散り、ぽつんと小さな赤い実をつけていた。
林檎だ。
実は徐々に大きくなり、むくむくと白露の拳二つ分程にまで成長した。
「おい、シロ坊。頭伏せとけ」
「えっ? うわわわ」
イタチが白露の頭に乗り無理やり地面につけさせると同時に、轟音が鳴り響き地面が立っていられないほど揺れた。白露は地面に伏せながらも隔年樹から目を逸らさない。
大樹はまるで生きているかのように枝をしならせ身を震わし、大きな実をごろごろと地面に投げていく。何個か白露の頭に当たり痛みに蹲る姿をイタチは笑いながら、お得意の風で向かってくる林檎を綺麗に切ってみせた。
あっという間に一面が赤く染まった。
まるで大仕事を終えたかのように大樹は沈黙し、枝だけとなった体を休めた。
地面が揺れることも、空から林檎が降ってくることもなくなった穏やかな地に今度は騒音が乱入してくる。
「ほらシロ坊。ぼさっとしてねえでさっさと拾うぞ」
「う、うん!」
隔年樹の実落としの凄まじさに目を回しながら白露は急いで立ち上がる。この後に起こる喧騒を白露は経験済みだった。急いで背負った籠に林檎を入れていく。
丁度籠の中ほどまで実が入ったと同時に騒音の第一群が現れた。
「思ったよりも早いお出ましだな。シロ坊急げ」
イタチが焦ったように指示する中、白露は一心不乱に林檎を集める。なるべく乱入者達と目を合わせないように白露はちらりと軍勢を見た。
軍勢は言わずもがな隔年樹の実を狙った妖怪たちだ。実を狙う妖怪達は競い争い実を奪い合う。人間の白露が巻き込まれたらたまったものではない。狐や狸など、イタチと同じような動物型の妖怪から、ムカデや蜘蛛などの昆虫型まで。一斉に群れをなしやってくる姿は、普通の人なら卒倒ものだろう。
しかし動物型や昆虫型は妖怪の中では弱者のほうだ。天狗や牛鬼などの高等妖怪が来てしまったら、白露などひとたまりもない。目をつけられれば命はないと思えと、再三言い聞かせられた件の言葉に白露は冷や汗を垂らした。
そしてやっと林檎で籠がいっぱいになったことを確認すると、イタチの名前を呼び走り出す。途中、空を飛ぶムカデが籠の林檎を狙い白露に飛びかかってきたが、イタチの強靭な尻尾で起こす旋風で難なく逃れられた。
「やっぱりイタチって妖怪なんだね」
「前から言ってんだろ。俺は風を自在に操る鎌鼬。そこらの低級妖怪どもと一緒にしてくれちゃあ困る」
びゅんびゅんと吹く風は急かすように白露の背中を押す。これもきっとイタチが起こしてくれている風なのだろう。
白露とイタチは隔年樹の林を抜け高津賀の森へと帰ってきた。高津賀の森の南側に白露の育て親である件の住処はある。
この高津賀の森には縄張りというものが存在する。
隔年樹など植物系の妖怪が根を張るのは東側。件やイタチなど温厚な妖怪が暮らす南側。天狗や牛鬼など妖怪の中でも位の高い高等妖怪が住む北側。そして争いを好む野蛮な妖怪が縄張り争いを繰り広げる西側。
全ての区画が交わる中央には稚児喰みの井戸と森の長である山桜があった。
白露は件に育てられることになってから南側と東側の地区以外から出たことがない。争いが常に起きている西側は以ての外だが、北側に行くことを白露は禁止されていた。
北側に住む高等妖怪たちは人間のことをよく思ってはいないらしい。いつも人間を誑かし玩具のように遊びつくしたかと思えばあっさり捨ててしまう。西側に住む妖怪達よりも性質が悪く、力がある故に厄介なのだと件は愚痴をこぼしていた。
南地区の住人達に挨拶をしながら進めば、森には不相応な一軒家が現れる。白露のためにと件とイタチが建てた丸太の家は手狭だが暖かく、白露は気に入っていた。
「ただいま」
お決まりの挨拶をし、家の中へと入れば優しい声で返事が戻ってきた。
「お帰り、白露」
長い黒髪を簪で纏めた美女が鍋を火にかけながら白露へと振り向く。白露は背負った籠を投げ捨てると美女の腰に抱きついた。
「母様、見てください! 林檎です!」
「今回は林檎の実だったか。それなら白露の好きな林檎の菓子をたくさん作ろう」
件は白露の頭を優しく撫で、火を強くするために、枝をくべた。
「おいおい、俺に労わりの言葉はねーのかよ」
「ああ、お疲れ鎌鼬」
呆れたように溜息をつきながら二人の側に寄ったイタチはげしっと短い足で白露を蹴り「なにしてんだ?」と件を見上げた。
「粥占でもしようと思ってね」
白露が抱きかかえたことによって見えた鍋の中身にイタチは納得する。鍋の中では白い粥が煮立っており、ふんわりと優しい匂いが鼻を掠めた。
「そういえば私の占いはあたっていたかい?」
「寒気がするほどぴったりだったぞ」
「母様の占いは世界一です」
実を落とす隔年樹には法則性がない。隔年樹の林からその年に実をつけるたった一本の木を探し出すのは至難の業だ。そこで占術を得意とする件がどの木が実をつけるのかを占い、白露たちが占いで当てた木に向かい実を収穫するのだ。
今の所、件が占いを外したことは一度もない。
他の妖怪は隔年樹が実を落とした時に放つ濃厚な香りを頼りに木のありかを探し出す。誰よりも先に隔年樹を探し出せるのは件のおかげだった。
件は木の棒で粥をかき混ぜながら「ふふふ」と笑みを溢した。
「鎌鼬、白露。林檎を倉庫にしまっといてくれぬか? それが終わったら夕餉にしよう」
「分かりました母様!」
「げっ、まさか夕餉はその粥かよ」
「文句を言わないでさっさとやろうよイタチ」
「おいシロ坊! 腕の力を緩めろ! 潰される!」
じたばたと暴れるイタチを抱えながら去って行く白露。その背中を見つめながら、件は優しく微笑む。白露と出会って十年。腕に抱かれ笑う赤子だった白露がここまで成長したことを、件は嬉しく思いつつ寂しくもあった。白露が成人すれば産みの親の元へと返す約束だ。
自分に残された白露との時間は日に日に少なくなっていく。
目を伏せながら、件は棒を引き抜いた。棒にはたくさんの白い米粒がくっついている。
「明日も晴れるな」
件は占いの結果に満足気に頷き、火を消すと白露とイタチの背中へと歩を進めた。