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ワタリドリ  作者: 梔子依織
第三章
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川天狗

 目覚めた時に待っているのが果たして現実なのか夢なのか白露にはもうわからなくなっていた。昨日よりも遅く目覚めた体は酷い倦怠感を帯び、起きるのさえ億劫だった。

「目覚めたか」

 窓際に座り通りを眺めていた鶺鴒の頬を夕日が照らし出す。長いこと眠っていた白露は何度も瞬きを繰り返し、のそりと体を起こした。

「随分眠っていたな」

「あれ、僕……」

「昨日初めて言霊の修行をしたんだ。体に負担がかかるのは当然だ」

 ぼんやりした頭では鶺鴒の言葉が上手く飲み込めない。ふるふると頭を振ってみるがまるで靄がかかったような感覚が広がるばかりだった。

――何か大事なことを忘れている気がする。

 視界の端で高く結い上げられた黒髪が揺れた気がしたが、白露はそれ以上思い出すことができなかった。

「今日は夜から出かけるから準備しとけよ」

「どこにいくの?」

「最高の悲劇を鑑賞しにな」



 夜の帳が下り、通りが人で賑わいだした頃白露は鶺鴒に連れられて人形屋へ来ていた。その名の通り人形屋にはたくさんの人形が並んでいる。どれも真っ白な顔をしていて、虚ろな目で宙を眺めているものばかりだった。

「今日はどんな御用で?」

 人形と同じように青ざめた顔をした店主が入店した鶺鴒に決まり文句を告げる。生気のない虚ろな目は濁りきっていて、白露や鶺鴒の姿を映すことはない。あまりの薄気味の悪さに白露は鳥肌が立つのを感じた。

 店主は陶器のように白く冷たい指で人形たちを辿るように指さした。

「心中ものなんていかがでしょう? 男女の悲劇の味は格別でございます」

「悪いな。今日はお目当てのものがあってきた」

「なんなりとお申し付けくださいませ」

 店主は鶺鴒の言葉に一歩下がりお辞儀をすると動かなくなった。瞬きひとつしない店主はどの人形よりも人形らしかった。

 鶺鴒はぐるりと店内を見渡しやがて隣で静かに状況を見守っていた白露に「どれがいい?」と人形を選ばせた。人形の良し悪しの知識なんて白露にはない。仕方なく並んだ人形を一つ一つ検分した白露は一つの人形の前で立ち止まった。

「これ……」

「それがいいのか?」

 その人形はどこか見覚えがあった。黒髪を一つに高く結い上げ、杜若の着物を着た草履を履く少女。くりっとした大きな目は他の人形と違い光があるようにみえた。

「お目が高い。それは川天狗の物語でございます」

「川天狗?」

 さっきまでピクリとも動かず人形に紛れていた店主が無表情で手を叩き白露を褒め称えた。白露身じろぎし言葉を受け流した。

「川天狗ってなに?」

 白露が疑問に思ったことを鶺鴒に聞けば、答えたのは店主のほうだった。

「大切な者を待つ哀れな女の妖怪でございます」

「妖怪……」

「妖怪の悲劇はまことに面白いものでございます。そちらになさいますか?」

「ああ、これを観させてもらおう」

 まるで妖怪を下等のように扱う店主の物言いに腹を立てた白露だったが、鶺鴒が間髪入れずに注文したため文句を言う機会を逃してしまった。

「それではよい夢を」

 店主は鶺鴒から銀貨三枚を受け取ると選んだ人形を白露の腕に抱かせ、奥の扉へと案内した。扉の奥は暗闇が広がるばかり。奥行きも広さもわからない部屋で立ち尽くす二人に、店主は唯一の明かりである、扉から漏れる光を閉ざしてしまった。

 隣に立つ鶺鴒さえも見えない濃密な暗がりは初めての体験だった。バクバクと心臓が騒音を立てる。心臓の音と微かな鶺鴒の息使いだけが今は頼りだった。

 そのうち、ブンッと羽虫が耳を掠めるような音がし部屋に光が満ちる。

 暗がりの部屋から山中へと変わった風景に白露は瞠目した。いつの間にか腕のなかの人形がいなくなっている。隣に立つ鶺鴒は動じることなく腕を組み、前を見据えていた。

 何が起きたのかと目を凝らす白露の隣を一人の少女が駆け抜けて行った。

「旦那さま!」

 木に背を預け、本を読む男に飛びついた少女の纏められた黒髪が揺れた。少女は座ったままの男の首に腕を絡め甘えるように縋りつく。

「どうした小春?」

「旦那さまに会いに来たに決まっているじゃありませんか!」

 小春と呼ばれた少女は白露の選んだ人形と瓜二つの姿をしていた。二人は白露たちのことなど見えていないように振舞う。

「これって……」

と口を開こうとした白露を鶺鴒が自身の唇に指を当て制した。

「旦那さま。いつになったら一緒に暮らせるのですか?」

「お前がもう少し大きくなってからだな」

「私はもう十六です! 立派な女性の一員ですよ」

 少女はぷくりと頬を膨らましたが、男はそれを愛おしそうに眺めるだけで言葉を言い換えることはなかった。

「妖怪と人間じゃ流れる時が違いすぎる」

「そんなことはありません! 確かに私はいつか旦那さまを置いて死んでしまうかもしれませんが、それが一緒にいれない理由なんて私は納得いたしません!」

 少女の言葉に白露は思わず俯いた。妖怪と人間。もしこれが本当にあった出来事なら、二人未来は自分と件のようにはなって欲しくないと祈ってしまう。

 そんな白露の気持ちを知らず男は優しく少女を村へと帰した。別れ惜しげに何度も振り向きながら山を去っていく少女に男はいつまでも手を振った。やがて少女が見えなくなると背中から身長の倍程もありそうな黒い翼を出す。何度か羽を動かした男は飛び去ることはせず、また羽をしまい本へと目を通し始めた。

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