鹿島村
高津賀の森を出て早三ヶ月。肩まで伸びた髪を鬱陶しげに払った白露は前を黙々と歩く鶺鴒の背を眺めた。がっしりとした男の体は未だ細身の白露の憧れである。と、同時に憎らしくもあった。
高津賀の森を旅立ってから様々なことがあった。最初白露は森を出てすぐ、鶺鴒は近隣の村にでも自分を置いて行くつもりなのだろうと思っていた。
イタチからの依頼は人間の世界に白露を戻すこと。一緒にいてやって欲しいとは言われていなかったからだ。最初に立ち寄った村に居座ろうとした白露を、鶺鴒は無理やり引き連れ旅を続けた。
三ヶ月経ち訪れた村の数が十に上ると、白露は漸く鶺鴒が自分のことを側に置いてくれるつもりなのだと理解した。そこからは単純だった。鶺鴒のように強くなりたいと、具に動きを観察し身につけようと努力する。そんな白露の姿をみても鶺鴒は自分から何かを教えることはなかった。
痺れを切らした白露が土下座をし、強くなりたいと指導をお願いするも玉砕。
ただ一言「そのうちな」とだけしか鶺鴒は言ってくれなかった。
白露と鶺鴒は今、東北の地を訪れている。夜な夜な現れる橋の幽霊を退治してほしいと依頼が来たのだ。鹿島と呼ばれるその村の道中、白露は不思議な火の玉を見かけた。
鶺鴒と旅をするようになって様々な妖怪達と出会った。その中には火の玉も存在するのだが、今まで見た火の玉とは少し違った色合いをソレはしていた。
赤くもなく青くもなく、様々な色へと変化する火の玉は虹色と言っても過言ではない。
虹の火は何個か固まりながら白露たちとすれ違っていった。その数は何百個となるだろう。
あまりの綺麗さに、宙を浮く火へと顔を近づけた白露に「火の中を覗き見るなよ」と鶺鴒が忠告した。
「なんで?」
きょとんと首を傾げる白露に、鶺鴒が呆れたように溜息をついた。
「死にたくなければ見るな。それは死んだ人間の記憶だ」
「人間の、記憶……」
「死人から出た記憶が、ああやって彷徨っている。夢中になってみていると、一緒にあの世へと連れてかれるぞ」
確かに揺れる火の玉の中には微かに人影がみえる。記憶の炎はまるで最後の輝きを楽しむかのように宙をくるりと回った。
「アレは退治しなくてもいいの? 人に危害を加えるんでしょ?」
「依頼されたら退治する。それだけだ」
鶺鴒は相変わらずその考えを変えるつもりはないらいし。今のところ退治の依頼は人間を殺したりする『悪い妖怪』だけだが、いつ『良い妖怪』が退治の標的になるか分からない。
その時、鶺鴒を止める力が白露は欲しかった。
人々の記憶をすり抜けた先に、目的の鹿島村はあった。村にしては規模が大きく、まるで都のようだと白露は目を丸くした。
整然と並ぶ家屋は光沢のある瓦屋根。夜にも関わらず戸口に暖簾の掛かった店がちらほら見られる。その店から洩れる光が通りの地面を照らしていた。照らされた地面は雨が降ったのか少し湿って暗い色をしている。
鶺鴒は店に微塵も目をくれずに歩き出した。
すれ違う人々は誰もが裕福そうな身なりをしている。紋付き袴を着た男や豪華な羽織を身に着けた女。一色だけの着流しを着た自分たちがみすぼらしく感じてしまうほどに、通りの人は色彩に溢れていた。
鶺鴒は迷うことなく村一番の屋敷の中へと踏み入った。門には屋敷の人間が二人立っていたが、鶺鴒を見ても何も言わず、まるで銅像のように身動きすらしなかった。
日本家屋は真新しいのか、木板を踏んでも音を立てることがない。
以前住んでいた件の作ってくれた家とは全く構造が違う。白露は物珍しげにきょろきょろと辺りを見渡した。
旅に出て分かったことは、人間も妖怪もそう変わらないということだ。見た目の違いは確かにあるが、中身にさして違いはない。しかし人間は妖怪に嫌悪を抱き、妖怪は人間に敵意を持っている。なぜいがみ合うのか、白露は理解に苦しんだ。
イグサの香りがまだ色濃く残る畳の間に座った二人は、家主が来るのを待った。上座には掛け軸が飾ってあり、淡い色の小袖を着た綺麗な女性が描かれていた。
屋敷に入ってから誰一人見ていない。これだけ広い屋敷なら使用人が何人いてもおかしくないのに。黙って座る鶺鴒に倣って、白露もじっとしていたが、やがて耐え切れなくなり立ち上がった。
「ちょっと人を探してくる」
「その必要はない」
そう鶺鴒が断言すると同時に、障子が音もなく開いた。そして恰幅のいい男が顔を覗かせる。
「おお、来たか鶺鴒」
「ご無沙汰しております。大旦那」
大旦那と呼ばれた男は鶺鴒の姿をみると嬉しそうに鼻を鳴らし、上座へと腰かけた。そして立ったままの白露をみて片眉を上げる。
「その子供はどうした」
「弟子でございます」
「弟子? お前が弟子を取るとはどういう風の吹き回しだ」
「俺も歳を取ったということですよ。大旦那」
食えない笑みを浮かべた鶺鴒に「まあ、いい」と大旦那が話を切り上げた。元からそこまで興味があったわけではないのだろう。大人しく正座した白露を尻目に、大旦那は事の次第を話し始めた。
「あれは先々月のことだ。渡良瀬川で女の水死体が上がった」
「渡良瀬川ですか……。まあ、あそこは自殺の名所ですしね」
「わしも最初はそう思い気にも留めなかったんだが、数日たった晩、死んだ女の幽霊が出ると噂が立ち始めた。目撃したと騒ぐ連中が何人も出てな。騒動から二カ月経っても収まらない。そこでお前を呼んだのだ」
「幽霊を退治して悪い噂を止めてほしい。そういうことですか?」
「流石察しがいいな、鶺鴒」
大旦那は目を細め、黄ばんだ不揃いな歯をみせながら笑った。大旦那の薄気味悪さに、白露はもしかしたら人間じゃなく妖怪なのかもしてないと大旦那を疑う。そんな白露の考えも知らず、大旦那は懐から取り出した紙切れを鶺鴒へと投げ渡した。
「金はソレで足りるだろう」
そっと鶺鴒の持った紙きれを覗き見れば、壱と零が何個も並んでいた。数字にどんな意味があるか分からず、白露は疑問符を頭の上に浮かべた。
鶺鴒には意味が分かるのか、紙を懐にしまうと「大丈夫です」と頷いた。
「よろしく頼むぞ鶺鴒」
大旦那は緩慢な態度で起き上がり、部屋を後にした。居心地の悪さに呼吸が浅くなっていた白露は、解放感から盛大に息を吐く。鶺鴒はそんな白露を笑いながら「行くぞ」と立ちあがった。
「その紙ってなに?」
くいくいと前を歩く鶺鴒の袖を引っ張った白露は、疑問に思っていたことを口に出した。
「紙? なんのことだ?」
「さっき太っちょから貰ってただろ!」
「ああ、あれか。……お前、太っちょなんて大旦那の前で言うなよ。あの人はお得意様なんだ」
お得意様なんて白露の知ったこっちゃない。むっと頬を膨らます白露に、鶺鴒は取り出した紙を渡した。何度見ても意味が分からない。難しい顔をする白露に、鶺鴒は数字を指さし「金」だと告げた。
「金? こんな紙切れが?」
「正確には金になるだがな」
お金という存在を白露は森を出て初めて知った。人間の世界ではお金という石ころみたいな胴の板や銀の板を使って、食べ物や飲み物を買うらしい。森にいたころは自分のものは自分でとる。または作るのが基本だった。どうしても手に入らないものは、妖怪同士で交換し合ったりしていたのだ。
しかし今まで見てきたお金とはずいぶん違う。紙切れに数字が並んだだけなのにお金になるのだろうか。
それなら銀の板や銅の板のほうがよっぽどお金らしい。
理解に苦しむ様子をみせた白露に「まだ早かったか」と鶺鴒は頭をかき紙をしまった。
「この金は新街に行った時に使うからな。旧街にいるうちは知らなくても大丈夫だ」
「新街? 旧街?」
「お前の住んでいた高津賀の森も東西南北に分かれていただろ。アレのようなものだ」
曖昧な言い方をした鶺鴒はこれ以上追及されないように「行くぞ」と早足で歩き始めた。




