1.新たなる依頼者
庭に水やりをしていたカルマのもとに新たなる依頼者が現れた。
その奇妙な依頼とは…。
井戸から汲み上げた水を如雨露へ流し込み、家のそばにある畑で水遣りをする。カルマの朝の日課である。水を得た野菜や魔法薬草は心なしか一層青さを増す気がした。ヤマブキ山付近は雨量が少なく、空気が乾燥している。カルマはそんな乾いた空気の中で植物に水遣りをする時間が好きだった。
「おお、渡り竜」
顔を上げたカルマの視線の先には1匹の小さな竜がいた。空の遠く、山間を飛んでゆくのが見える。春に生まれた竜が自分の縄張りを求めて巣立つ時期なのだ。
「もうそんな季節か。……そして秋になったらああいうのの討伐依頼が来るわけか。ああ、嫌だ嫌だ」
カルマの言う通り、秋になると竜の討伐依頼が増える。寒い冬を越すために竜が人里を襲い、家畜や時には人を喰って栄養を蓄えようとするのだ。若い竜なら難なく魔法で倒すことが出来るが、場合によっては命懸けでの闘いを余儀なくされる危険な依頼である。
カルマが季節の移ろいに思いを馳せていると、ふと思いがけず見知らぬ人間の姿が視界飛び込んできた。山道の向こうから恰幅のいい一人の男がこちらに向かって大きく手を振っている。人里離れた何もないヤマブキ山で他人を見かけるのは珍しいことだ。
「ああー! いた! やっと見つけた!!」
男はでっぷりと肥えた腹を揺らし、滝のように流れる額の汗をハンカチで拭いながら息を切らしていた。近づいてくるにつれ哀れになるほどの疲労困憊ぶりが目に見えた。
「魔術屋さ〜ん!! ふぅ、ふぅ……ああ、ようやく着いた。はぁ……はぁ……ひぃ、い、依頼を……」
「大丈夫かあんた?」
「はぁ、ぜぇ……だいじょーぶ、です……ただ、運動不足が祟って………」
「……とりあえず家に入って座って話そう。立ち話は見てて辛い」
カルマは男を家に招き入れた。
男は汗をぬぐい、椅子に座って人心地着いたようだ。カルマは汲み置きの飲み水をグラスに注ぎ、杖の先で軽く小突いた。すると魔力が宿った水が微かにキラリと光った。みるみるうちにグラスの外側が結露による水滴が出来始める。水が魔法によって冷やされたのだ。カルマはその水を客人に差し出した。
「ああ、ありがとうございます」
男は冷えた水を一気に飲み干した。苦しそうだった表情も幾分和らいだように見える。
「道中だいぶ足場が悪かったろう。俺はいつも箒だし郵便も大抵魔法便だ。久しく人が歩いていない道だからな」
「ええ、なにやら大きな岩もゴロゴロとありまして……」
「無事にたどり着いてくれ何よりだ。しかし俺は手紙でも依頼を受けている。何故わざわざこんな所まで?」
「大事な依頼ですからな! どうしても魔術師のお顔を見て直接話をしたかったのです。いやはや良い運動になりましたよ。アハハハハッ!」
男は気前よく笑ってまた汗を拭いた。特段に身なりが良いというわけではないが、仕草や持ち物の品が良い。ハンカチもデザインは古めかしいが質の良いものだ。
仕事柄つい相手の素性を探ってしまうカルマは今も男の様子を伺っていた。あまり良い癖ではないという自覚はある。カルマは思考を切り替えるべく本題を切り出した。
「……で、俺に依頼というのは?」
「ええ、そうでしたそうでした。いやしかし何をどう説明すべきやら……順を追って話をするとしますと……」
「待ってくれ。まずは依頼の種類を聞きたい。」
「種類と言いますと?」
「魔術の依頼というのは雑多すぎるから勝手に俺が決めているだけなんだが、例えば……用心棒、護衛、討伐……あとは病気を治すとか、何かを運ぶ運搬だとか。そんな風に今回の依頼を一言で表すとなるとどれになる?」
男の話は長くなりそうだと感じたカルマは先に結論を求めた。どういう依頼なのかを知っていたほうが長話も聞きやすい。しかし、それを聞いた男はううんと首を捻ってしまった。
「そうですか。しかしその、それでいうと……そのどれにも当たらないのです」
「今挙げたどれも違うのか」
「ええ。簡単に申しますと、私の街で起きているとある事象を解決してほしいのですよ」
「とある事象?」
男は困惑気味にこう言った。
「……空から、音が降ってくるのです」