7.或る執事の後悔、懺悔。そして…
7年前のリリアの死。そこから始まるまやかしの日々。
執事は胸の内で、過ごした日々を語る。
7年前の忌まわしき日のことです。
あの日のことは忘れられません。生涯忘れることはできないでしょう。
前領主ご夫妻が1週間程前に流行り病でお亡くなりになってから、同じ病で臥せっていたリリア様はみるみる弱ってゆきました。まだ7歳のか弱い少女が親を亡くして、病に冒されながら涙ながらに「くるしい、くるしい、死にたくない」と喘ぐ様子を見ているのは、胸が張り裂けるような思いでした。
『リリア様……なんて御いたわしい』
『ひどい、なんて酷い……この世界に神などいないのか!』
「姫様、どうかお気を確かに……あぁ……』
『この老女めが替われるものなら替わりたいですじゃ! 不甲斐ない、不甲斐ないっ!』
彼女が生まれた時から目に入れても痛くないほど可愛がっていた婆や殿は、昼も夜もリリア様の御手を握り嘆かれておられました。
三日三晩苦しみ、ついに幼いリリア様は息を引き取りました。
葬儀の準備はしめやかに行われました。
棺に入れられ、天板が乗せられ、そのお姿が見えなくなったときに誰もが涙を流しました。
私たちの頭の中に浮かぶのは、今際の際で苦しそうになさるご様子ばかりでした。
その時です。婆や殿が皆の前で杖を掲げてこう言ったのです。
『最期に見たのがあのように苦しまれるお姿なのは、あまりにも、あまりにも辛い。せめて婆やが最後に一目、お元気だった頃のリリア様のお姿を…!』
皆が言葉を失いました。
そこには、お元気だったころと変わらぬリリア様がいたのです。
あどけない笑顔も、たどたどしい仕草も、何もかもが完璧でした。
誰もが、1秒でも長くお姿を見ていたいと婆や殿に縋りつきました。
せめてあとほんの少しだけ、
あと一晩だけ、
もう一日だけ、
もう数日だけ…
それを繰り返し、繰り返し、次第に我々の心に悪魔の様な考えが宿ります。
『リリア様は死んでなどいない』
単なる先延ばしでしかないことは誰もが分かっておりました。
何の解決にもなっていない残酷な慰めだと分かっておりました。
しかしそれでも、我々は耐えられなかったのです。
例え虚像でも縋りつくしかなかった!
それから幾年の月日が流れました。
婆や殿がお歳を召され、いつか来てしまうその日のために我々は奔走しました。
代わりの魔術師を探そうとしたのです。
ただでさえ公にできぬことです。秘密裏に、ベルガルから遠い地の口の堅そうな魔術師達を方々に打診しました。
しかし……しかし見つかりませんでした。
影武者の魔法を使えるものは何人かおりましたが、いずれも数刻、長くても数日程度で魔法が消えてしまうというのです。
我々はその時になって初めて、婆や殿がいかに偉大な魔術師だったのかを思い知ったのです。
命を賭して、命を削り、仮初の平穏を作り上げることに全てを注いで下さっていたのです。
それに、影武者の魔法は術師が虚像を操るもの。完璧にリリア様を理解していなければなりません。
リリア様が生まれる前からこの家に仕えわが子のように彼女を慈しんだ婆や殿だからこそ、完璧な虚像を作り出し、さらには少しずつ成長させるように変化させることができたのでしょう。
つまりは最初から誰にも婆や殿の代わりが務まるはずがなかったのです。
この世界のどこを探しても無駄でした。
そうしている間にも婆や殿の限界は近づき、リリア様のお身体が透け始めました。
……我々は覚悟を決めて、今度こそリリア様の死を受け入れることにしたのです。
婆や殿は死ぬ。リリア様は身体が消えてゆく謎の魔法によって消え去る。
世間一般から見て、そうなる、筈だったのです。
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屋敷はそれから騒然としていた。婆やの葬儀の準備や、リリアの墓の移設、そして彼女らの死の告知の手配。やることは山積みだった。悲しみに暮れても時間は待ってくれない。生きる限り日々は続くのだ。
カルマは泣き続けるヴァレを家まで送り届けることにした。我が子が見知らぬ魔術師に付き添われて帰宅したことにヴァレの両親は仰天したが、カルマが事情を説明するとヴァレをぎゅっと抱きしめた。街の大人はやはり皆リリアが幻影であることを知っていたのだろう。それでもベルガルの街以外の者や、生まれてきた子どもたちには頑なに秘密にしていたのだ。そんな日々も終わり、明日にはきっと7年前のリリアの死が改めて公になる。
こうしているうちにすっかり夜は暮れてしまった。ヴァレを送り届けたカルマはヤマブキ山へ帰るべく箒に魔力を込めた。
「魔術屋様!」
「あんたは……マルクス家の執事殿?」
「間に合って良かった。少しだけ、お話を宜しいですか?」
呼び止められたカルマは箒を下ろした。街中を探しまわっていたのか執事は肩で息をしている。
「魔術屋様。なぜ……最期にリリア様は再び現れることが出来たのでしょうか」
「さぁ。残念ながら分からんな。死の間際、婆や殿の魔力が最後の力をふり絞ったのか……あるいは……」
「あるいは?」
「彼女自身の魔法」
「……そのような事があるのでしょうか? 彼女は魔術師どころか、人でさえない幻覚なのでしょう?」
「ああそうだ。しかし、影武者の魔法を数年に渡って発動していることも、術者が倒れてもなお動くことも全ては奇跡としか言いようがない。だったら……もう一つくらい奇跡があってもなんらおかしく無いさ。」
「確かに、そうかもしれませんね。……呼び止めてしまい申し訳ございませんでした。では忘れぬうちにこれを。」
執事は懐からそっと封筒を取り出した。
「報酬です。子供たちからは貰えないでしょう」
カルマは例のごとく表情には出さずに驚いた。
「貰うわけにはいかん。俺は何も…」
「貴方様が来なければ、リリア様も虚像の彼女も、本当の意味で弔われることなく終わったことでしょう。私は魔法を使えませんが、思うのです。残された者を救う術があるとしたらそれは悼み祈る事だと。弔いだけが永遠の魔法なのです。……貴方がしたことは確実に、意味があるのです。」
「………では、有難く頂戴しよう。」
カルマは報酬を受け取ると執事に別れを告げ、今度こそ箒で飛び立った。
眼下のベルガルの街がみるみると小さくなっていく。明かりの灯った家々の窓が遠目にも美しく、まるで地上の星空のようだった。
(俺がしたことに、本当に意味はあるのだろうか…? なぁ、カルマよ)
カルマは夜空を飛びながら、胸の中で小さく呟いた。
※「消える公女編」は以上で完結となります。
次章から新たな物語が始まります。
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