5.こわれない魔法
倒れたお抱え魔術師の老女の元に駆け付けたカルマ達。
そこでこの街の真実が語られる。
リリアは静かにベッドに横たわっていた。
聡明そうな瞳は光を失い、その身体越しにシーツの皺がはっきりと見えるほど透けていた。そして下半身があるべき場所はぺたんと凹んでいる。恐らくつま先から腰までは完全に消えているのだろう。
「…………」
ほんの僅かな呼吸さえ感じられない。彼女は静かな寝室でひとり、人形の様に臥していた。
「………………」
同時刻、屋敷の病室に老婆が運び込まれていた。こちらは医者や執事やメイドなどの使用人が集まってパニック状態だった。
「婆や様、しっかり!」
「お目を開けてください! 後生ですから…っ」
「誰か!! 冷えたお水を!」
「町医者は!? 気付薬か何かあればきっと…!!」
「ああ、婆や様ッ!」
荒い呼吸を繰り返す老婆と、その命を1秒でも長く繋ごうとする人々の怒涛の喧騒。しかし誰もが、その寿命が残り幾許もないことを感じていた。そしてこの混乱に乗じてあっさりと侵入を果たしたカルマ達がようやくこの部屋にたどり着いた。
「……やはり。リリア殿ではなく、婆や殿の方に集まっていたか」
「な、魔術屋!? アンタ帰ったんじゃなかったのか!?」
「おめおめとは帰れない。知ってしまった以上、それを知る権利を持つ者に知らしめねばならん」
「な、何を……言っている……?」
部外者の侵入に気付いたのか、病室は次第にどよめきが巻き起こる。
カルマは静かに語り始めた。
「……魔法というのは、火を起こし、風を吹かせ、人を浮かせ、更にはこの世に無いものを生み出すことも出来る。が、案外と『存在するものを消し去る』という魔法はなかなか見当たらないものだ。」
「み、見当たらないって……それは公になってないってだけだろ!?」
「否定はしない。魔女を始め、代々続く魔術師の家系等では門外不出の特殊な魔法が在ることは事実だからな。」
「じゃあもうこの話は良いだろう! 実際にリリア様はその魔法とやらで消えていってるんだ!!」
「そうだそうだ! アンタはどうせ何も出来ないんだろう!?!!」
次々にカルマに怒号が向けられた。
が、それに全く怯むことなくカルマはこう呟いた。
「……『影武者の魔法』」
その言葉を聞いた途端、屋敷の人間達の誰もがさっと青ざめた。ある者は口に手を当て、ある者はじっと俯く。先程までの怒号や喧騒が嘘のように、水を打ったように静まり返った。カルマは尚も言葉を続ける。
「はっきり言おう。俺は既にリリア殿が何者であるか分かっている。故に、何も出来んのだ」
「カルマさん? あの、それってどういう……。それに、今はリリア様の様子を見に行った方が良いんじゃ……?」
ことの展開についていくことのできないヴァレは困惑してカルマにそう問うた。カルマはヴァレと目を合わせずに、ベッドの老婆から視線を外さずに言葉を返した。
「リリア=リーゼロッテ=マルクスはもう死んでいる。7歳の頃、流行り病で死んだ両親とともにな」
「……!!」
少年の表情がみるみる変わる。じわじわと目尻に涙が浮かび、唇を震わせた。
「……な、なにを言ってるの……? そんな、そんなわけ、無いよ……」
カルマが発した衝撃的な言葉を必死で否定しようとするヴァレとは対照的に、屋敷の者たちは重い綿を被せられたように一言も話さない。それは肯定に他ならなかった。
「彼女の死後、リリアのように見えていたものは婆や殿が魔法で生んだ実体を持つ幻影だ。本物のリリアは裏庭の墓に埋葬されているのだろう。」
ヴァレは先程までいた裏庭の墓を思い出した。今まで幾度となくリリアや友人達と遊んで過ごした庭。その傍にぽつんと在って、普段意識さえしていなかった誰かの墓。誰が眠っているのかなど想像したことさえなかった。
「婆や殿の体力の限界が近づいて魔法が保てなくなり、虚像が徐々に薄れてきた。それが『リリアが消えていく現象』の正体……。いや俄には信じがたい。あれは一時的に影武者を作るような魔法だ。それを7年間も途切れることなくしかも生きた人間のように振る舞わせることができるなど……」
「う……嘘だ…嘘だっ! だってそれじゃ、僕たちがずっと見ていたリリア様は……そんな、そんなわけないよっ!!」
取り乱したヴァレが叫ぶ。誰もが居た堪れない気持ちで彼を見つめるが、誰も彼を救うことが出来ないでいた。敬愛していた領主は彼が物心つく前に既にこの世を去っていた。
崩れ落ちて大声を上げてヴァレが泣き出した。まさにその時。
「………婆や」
そこに現れたのは、寝室で横たわっている筈のリリアの幻影だった。