3.リリアと婆や
依頼人ヴァレと共にマルクス家を訪れたカルマ。
屋敷の前で衛兵に止められるも、そこに現れたのは…
カルマとヴァレ少年はマルクス家の屋敷へと向かった。道中のベルガルの街は相変わらず平和そのもので、麗らかな天気と相まって眠気を誘うようだった。その道すがらリリアを取り巻く状況について出来る限り聞き取りを行った。
聞くところによると、ヴァレ含め子供たちが知る限りここしばらく街には魔術師が訪れていないらしい。今までは魔法使いが目撃されれば多少の噂話になっていたのだが、誰に聞いても最近はそんな姿を見たことがないのだという。そして子供たちがどれだけリリアを心配しても、街の大人はみな口をそろえて『何もしなくて大丈夫』と答えるのだそうだ。そんな話を聞いていると話題はそのままリリアとの思い出話に逸れていった。
「……それでね、屋敷の裏庭で遊んでることもあって、僕たちも遊びに行ったりするんだ。リリア様が庭の花を摘んで、花の冠をつくってくれたりしてね!僕こないだ貰ったんだよ! 他にも一緒に歌を歌ったり…」
ヴァレは楽しそうに目を輝かせてリリアについて話し続ける。どれも取るに足らない日常の話だが、きっとそれが掛けがえのない日々なのだということが分かる。ヴァレにとってだけでなく、先ほどまでカルマを取り囲んでいた少年少女達、ひいては街の皆にとっても同じことなのだろう。
(だったら尚のこと、他の魔術師を招かない理由が分からん)
これだけ愛され慕われている領主であれば考えられる全ての手段を用いて救おうとするはずである。子供らは単純にお金がないのが原因だと考えているようだが、カルマはそうは思えない。世の中には破格の金額で魔術を請け負う胡散臭い魔術屋や、着手金を取らずにまずは現状を見て見積だけ出す魔術屋だっている。何にせよ資金不足を理由に魔法に対してなんの対処もしないというのは違和感がある。
ヴァレの話を聞きながら歩みを進めているとやがてマルクス家の前までやってきた。正門を目指す彼らに気付いたのか、屋敷の裏口から一人の男が出てきて声を掛けてきた。
「魔法使いか? この街に何をしに来た」
警戒心と敵意が混じったその声にカルマ達は足を止めた。声を掛けてきたのは無精ひげを蓄えた身なりのいい衛兵である。恐らくマルクス家の家臣だろう。腰元に携えた短剣に手をかけ、カルマ達を睨みつけている。カルマは怯えているヴァレを庇いつつ敵意がないことを示すために杖をヴァレに手渡した。丸腰になったカルマは衛兵に向き直る。
「俺は見ての通りの魔術屋だ。この少年に雇われている。領主たるリリア嬢が魔法の病を患っていると聞いているのだが、お目通り願えるか?」
「……屋敷にはお抱えの魔術師がいる。よそ者の手など要らん。帰れ。」
予想通りの拒絶である。やはりカルマの見立て通り彼女を外部の魔術師に診せることを拒んでいることは明らかであった。どうしたものかとカルマが考えあぐねた、その時である。
「どなた様でしょうか?」
背後から若い女性に声を掛けられた。
「私がリリア=リーゼロッテ=マルクス現領主です。魔術師様、何か御用でしょうか?」
「!!」
「リリア様!!」
「姫様!」
凛とした声で名乗りを上げたのは探し人であるリリア本人だった。柔らかな絹糸のような金の髪と品のある彫刻のような顔立ち。まだあどけなさが残りつつも、領主としての器量も感じさせる堂々たる振る舞いをしている。彼女の周りには付き人や執事と、黒々としたローブを被った老婆が控えていた。
「リリア様、なぜここに……」
「見慣れない魔法使いが街に降りたと聞いて念のために様子を見に行っていたのです。まさか屋敷の前でお会いするとは思いませんでしたが……。」
そう言いながらリリアはカルマを見据えた。彼女の瞳は透き通ったガラスのような美しい空色だった。
「俺は魔術屋のカルマ。ここで会えたのは好都合だ。リリア殿が『消える』のを解決するために雇われてきた。早速だが、症状について話を聞かせて…」
「なりませぬじゃ!!!!」
カルマの話を金切声で遮ったのはローブを纏った老婆だった。老人とは思えぬほどの声量である。老婆は皺くちゃの手で杖持ち、ぶるぶると震えた杖先をカルマに向けてさらに声を張り上げた。
「姫様の事はこの婆やめがすべて一任されておりますじゃ! 魔術師殿、お帰りくだされ! さもなくば…!! ゲホ、さ、さもなくば、ゲホ…ゴホッうぐぐ…」
「婆や!」
唾を飛ばす勢いで怒鳴りあげた老婆は突然咳き込んだ。リリアの執事が慌てて老婆の傍に屈みこみ、リリアもそれに倣って老婆の傍に寄り添って心配そうにその背をさすった。
「ぜぇー……ぜぇー………」
「婆や、大丈夫? 外に連れ出してごめんなさい」
「婆や殿、お身体に障りますからどうか屋敷に戻られてください」
「……なりませぬ、なりませぬ。この婆やはリリア様のお傍に居なくては……ゲ……ホ、ガフ、げほッ………っ」
老婆はその場で蹲りながらも、目だけはカルマをカッと睨む。魔法は使われていないがあまりのその剣幕にに思わず後ずさりしそうになってしまう。カルマの陰にいるヴァレがカルマのローブをきゅっと握るのが分かった。そんなヴァレが、リリアを見てはっとした。
「リ、リリア様! 左手が…!」
「姫様っ」
「ひめさま…!」
ヴァレが指さす先で、老婆の背を摩っていたリリアの左手が透けていた。リリアは自分の手が消えたのをちらっと見たが顔色一つ変えずにすっと立ち上がった。
「少し休めば良くなります。心配しないで」
「おお、姫様……おいたわしや、おいたわしや……婆やが不甲斐ないばかりに………ゴホッガホっ」
「婆や殿ッ! 無理に喋らないで下さいっ」
リリアの執事はうずくまる老婆を介抱しつつ青ざめた顔でリリアの消えた左手を見つめた。それでもリリアは毅然としている。
「……私は屋敷に戻ります。ごきげんよう、魔術師様。貴方もお帰りになられたほうが宜しいわ」
リリアがそう言うと、一行は正門を抜けて屋敷へと向かった。残されたカルマ達はそれを見送らざるを得なかった。
「……リリア様もああ言われている。もう帰ってくれ」
リリア達が立ち去った後、どこか気まずそうに衛兵はそう言った。彼は既に剣柄から手を放していた。もともと本気でカルマに切り掛かるつもりなど無く、威嚇だったのだろう。
「だけど、別の魔法使いにも見てもらったほうが良いって! お金なら大丈夫だよ? みんなでかき集めたからさ! それでこの人を呼んだんだ! だから……」
ヴァレはカルマの影に隠れつつも必死に食い下がった。衛兵は少し困ったような表情をして、ヴァレと視線を合わせるように屈んだ。
「お前たちが姫様の事を大事に思っているのは分かっている。けど、これは大人の問題なんだ。姫様は屋敷の医者や婆やに任せて大丈夫だからお前たちは何もするな」
「で、でもさ……」
「良いから言う事を聞け!!!」
「……っ!!」
怒鳴られたヴァレは消沈して俯いた。衛兵は物悲しげにその様子を見つめ、それからカルマへ視線を向けた。
「なぁアンタ、申し訳ないが帰ってくれ」
「検討はするが確約は出来んな」
「おいおい…」
「懐事情が寂しくてな。何もせずおめおめと帰れない」
「呆れたもんだ。子供の小遣いにたかるほど魔術屋ってのは儲からないもんなのか? 悪いことは言わんから手を引け。今回のはそう……子供のいたずらの様なものだ。許してやってほしい」
そう言うと衛兵は、深いため息をつきながら正門から屋敷へと戻っていった。