番外編1-3
店が開店して客が入るまでの間、月島からメニューと品物の置いてある場所、調理方法を簡単に教わった。持っていた大判のハンカチを三角巾代わりにするとまずは下ごしらえが出来そうなものを用意する。その間もナオとカズが厨房にやってきて簡単なものは自分たちで用意しながら教えてくれた。店が開くと2人はフロアでお客さんを案内したり笑顔で接客している。月島はカウンターにいるのがみえた。奥からそっと覗きながら不思議な気分だった。いつも陸が見ていた景色を自分が見ているのだ。しかし今日はグループ客が多いようでそんな事を考えている余裕もあっという間になくなった。教わりながらも何とか注文をこなし混雑の波が過ぎほっと一息ついた時には10時を過ぎていた。溜まっていたお皿を洗っていると携帯の鳴る音が小さく聞こえた。丁度、ナオが空いた皿を置きに来ていて気がついたようであった。
「美鈴さんの携帯?奥でとってきていいよ」
少しためらったが頷くと鞄を持って奥の休憩室に入り携帯を見る。画面の表示には『陸』の文字が表示されている。
「もしもし」
慌てて出ると陸の不機嫌そうな声が直ぐに聞こえた。
『今、どこにいんの?』
「え…」
美鈴の戸惑いに陸の声は更に不機嫌になる。
『俺、美鈴んとこにいるんだけど』
「あ…」
タイミングが悪い。
しかし、正直に言うしかない。
「今、『カノン』のお店にいて手伝いをしているんだ」
『はぁ? 何で?』
陸の反応は思った通りであった。理由を言っても納得する訳はなく更に輪をかけて機嫌が悪くなるであろう。
「ちょっと訳ありのホールケーキがあったからお裾分けしに行ったら、シュウくんがインフルエンザで困っていたから厨房ならお手伝い出来るかと思って」
『何やってんの。そんなのマスターに任せればいいだろう。すぐに帰って来いよ!』
「でも一度引き受けた事だからそんな事出来ないよ。…ごめんね」
美鈴の言葉を聞くと陸は冷たく言う。
『勝手にすれば』
そして電話は切れた。美鈴は携帯を鞄の中へとしまうと目元を拭い厨房に戻ろうとした所でこちらを見ていたナオと目が合う。
「陸だったの?」
バツが悪そうに美鈴は頷く。厨房の入り口に立っているナオの横を抜けて戻ろうとしたがナオが扉の枠の反対に手を置き通せん坊した。美鈴はナオの顔を見る。
「もうそんなに混まないから美鈴さんは帰った方がいいよ」
ナオはにこりと笑う。
「陸のヤツどうせ怒ってたんでしょう?もしかしたら美鈴さんのトコに来てたんじゃないの?」
返事はしなかったが美鈴の表情を見てナオは笑う。
「当たりだ」
美鈴は慌てて首を振った。
「ナオくん大丈夫。そんな陸の思い通りばかりにはならないよ」
ナオは一瞬目を丸くしてから笑った。
「そうだね。でもアイツ拗ねるよ」
「仕方ないよ」
ナオは通せん坊していた手を退けた。
「絶対、我慢できないで来るよ」
そう言うと笑って店の方へと戻って行った。
ナオは美鈴より年下であったのだが、落ち着いていて周りをよく見ていた。そして鋭かった。
「ピザお願いしまーす!」
カズの声に美鈴は返事を返すと前を向いた。
「よしっ!」
自分に喝を入れると鞄を置き注文の調理を始めた。
「枝豆とチーズの盛り合わせお願いしますっ!」
カズの声に返事はしたが目の前のコロッケが破裂しないか美鈴は目が離せなかった。どうもコロッケは苦手であった。それもクリームとなると失敗は許されない。何とか綺麗に揚がったコロッケを油からあげると皿に盛り付け銀紙の中にケチャップを入れレタスとコロッケの横に添える。
「3番お願いします!」
声をかけ注文票にチェックを入れる。
取りに来たナオはコロッケの入った皿を手にしたが、奥の方を見てから美鈴に指差す。訳分からずナオが指差した方を向くと陸が壁に寄り掛かって立っていた。
「ナオ、勝手口開けとくなよ」
陸がボソリと言う。ナオはニコリと笑った。
「それは失礼」
ナオはそう言うと皿を持って店の方へ行ってしまった。陸は上着を脱ぐと椅子の上に置き手を洗いアルコール消毒した。
「枝豆とチーズの盛り合わせ作るんだろう」
「あ…その前に焼うどんの注文が入ってるの」
美鈴の言葉に陸は頷く。
「じゃあ、俺が枝豆とチーズの盛り合わせ作るから、美鈴はうどん作って」
「うん、分かった」
美鈴は頷くとキャベツを冷蔵庫から取り出した。キャベツを手で千切りながら冷凍の枝豆を解凍している陸に言った。
「ありがとう、陸」
美鈴の言葉に陸の手が一瞬止まった。
「別に」
何ともないかのように言うと皿に枝豆を盛り付けた。
電話を切った後、腹を立て苛ついていたが結局帰ることも待っていることも出来ずに来てしまったのだ。いつも鍵が掛かっている裏口は開いており中へ入ると厨房で忙しく料理をしている美鈴の姿に何も言えなくなってしまったのだ。11時も近い時間であるのだが調理する注文も多いようであった。今まで自分が立っていた場所に美鈴がエプロンと三角巾を付けて立っているとまるで別の場所のようであった。ふと、2人でこうして店が出来たらと考えてしまった。思わず顔もほころんでいた。
「変態、何厨房でニヤけてんだ」
「はあ?」
陸は少し赤くなった顔をしかめて顔を上げると月島が陸を見てにやけていた。コンロの前で野菜を炒めていた美鈴が振り返る。
「よぅ。久しぶりだな」
「……ですね」
陸はそれだけ答えると冷蔵庫からチーズを出しカットして皿に盛り付ける。
「元気そうで何よりだ。お前も手伝ってくれてるみたいで、いや〜助かるなあ」
「今日だけだからな」
むっすりした表情で言うが、月島は楽しそうに言う。
「こっちへ来てるって事は、明日は休みなんだろう。だったらまた2人で来てくれてもいいんだぞ。将来の予行練習になるしね」
「せっかくの休みに何で仕事しなくちゃいけないんだよ」
「冷たいなぁ。こっちは困ってるのに」
「だから今日は手伝うってんだろう。カズ、6番」
陸はそう言うとカウンターに皿を置いた。通りかかったカズが厨房にいる陸を驚いたように見た。
「あれ?お前仕事だったんじゃねぇの?」
「終わってから来たんだよ」
カズはにやりと笑う。
「なぁーんだ、残念だな。来なければ美鈴さん連れ帰っちまおうと思ってたのにさ」
さすがにカズの挑発にはのらなかったが睨みながら皿をカズの方に向けた。
「バカなこと言ってないで早く持っていけよ」
「うわぁ怖ぇ」
カズは笑いながら皿を持つと行ってしまった。カズがいなくなると陸は焼うどんの味付けをしている美鈴の方へ行き皿を渡していた。月島はそんな2人に口元に笑みを浮かべ見ていた。
12時前に美鈴と陸は帰って行ったが、明日も来る約束を取り付けた月島は一安心の笑顔であった。明日は今日以上に混むことを予想していたからだ。
「みーんな、俺が声を掛けたお陰だよな。よかったよかった」
カズはケーキにフォークを差し込みながら美味しそうに食べている。ナオは持っていた炭酸水を飲みながら小さくため息をついた。
「まあ、そうだけどさ」
ナオの表情にも気づかずカズは嬉しそうに言う。
「厨房に女の子がいるだけであんなに明るく見えるんだな。店が明るいのは当たり前だけど、厨房が明るいって言うのも絶対必要だよ。マスター女の子入れたら?」
カズは壁に寄り掛かったまま黙っていた月島に声を掛ける。月島はカズに顔を向けると笑う。
「カズは客の女だけじゃあ飽きたらないみたいだな」
「そう言うんじゃないよ。俺は純粋に言ってんだぜ」
ふて腐れて文句を言う。
「んじゃあ、調理のおばちゃん入れてカズの教育も頼むかな」
「あ、いいね!カズはちょっと下品な発言が多いから直してもらいたいな」
「何だよ、2人して」
さすがにカズはムッとする。なだめるように月島はカズの肩に手を置く。
「ま、補充は考えておくよ。今回はアイツらにヘルプしてもらえたが、そうそうタイミングよくなんて事はないからな」
「そうだね。美鈴さんもかわいそうだったな…」
ナオの相槌の後の独り言に月島は直ぐに理解したようだった。
「タイミングが悪かったみたいだな」
「そっ。陸が家に来てたみたいで電話で責められてた」
「ヤダねぇ。アイツそんな独占欲が強いなんて思いもしなかった」
カズは再びケーキを頬張りながら言う。
「そりゃあ、ずっと想っていた人だからね。それに美鈴さんちょっと天然の所があるから心配なんだよ。カズみたいに抱きつくヤツもいるからさ」
ナオの言葉に月島は思わず笑ってしまった。
カズはちらりと月島を見たがつまらなそうに文句を言う。
「別にあれはスキンシップじゃん」
「カズは本当に好きになった子がいないから分からないんだよ。陸の前で美鈴さんにあんなことしたら俺は陸を止める自信ないからね」
「何だかなぁ」
2人の会話に月島は笑いながら肩をすくめた。
「まあでもアイツももう少し落ち着いて優しくなってくれないとねぇ。籍でも入れれば少しは変わるかねぇ」
「えっ!!えーーーーーーっ!!!何?何?なにっ?」
カズの叫びに2人は眉間にしわを寄せた。
「…ホントにうるさいなぁ」
ナオはため息をつき、カズが叫んだ時に飛ばしたケーキのかすを拭った。
「だってさ、陸20だろ? アイツ、そこまで考えてる訳?まじ?」
月島は笑う。
「遊びには見えないだろ」
「まあ…確かに見えないけど…何?20でもう一生の相手を見つけて決めたってヤツ?」
カズの言葉にナオも月島に尋ねる。
「2人はいつ出会ったの?」
月島はその時の光景を思い出しながら笑って話す。
「いやーー、ませガキだったから16で美鈴さんを店に引っ張って来たんだよね。あの頃はまあお姉さんと弟って感じだったけどね」
「じゃあそれからずっと片思いしてたの?」
「さぁね。そこまでは知らないが、気持ちはあったんじゃないかな」
ナオは興味深げに頷いた。
「でもさ、陸って男女関係なくホント自分が気に入った相手としか話さなかったね」
「同じ年齢くらいで気を許したのは彼女が初めてかもしれないな。あの頃は文句言いながらも自分を見て欲しくて必死に追っかけてて可愛かったんだけどね。すっかり可愛くなくなっちまったもんだ」
「自分が年下って事、気にしているみたいだから大人ぶってるんじゃないかな。いつも美鈴さんの手を引っ張って前を歩いて行く所もそうかもしれない」
カズは口を尖らせながら肩を竦めた。
「別に歳なんて関係ないじゃん。前歩いてるより並んで歩いた方がよっぽど楽しいのに無理してっからカッカすんじゃねぇの」
カズの言葉に月島とナオが見た。
「何だよ。俺、変なこと言ったかよ?」
「いんや。その通りなんだけどさ、カズ」
月島の言葉にカズとナオが見る。2人に眉を上げて笑って見せる月島。
「まあ何だ。アイツもいろんなもん背負ってて単純じゃないんだよ、あの二人は」
ナオは笑ったがカズは眉間にシワを寄せ納得いかない表情であった。