異世界物の主人公が誰も難聴鈍感キャラとは限らない
「どうしたのよ? せっかくのお酒よ?」
「ん? ああ……いや、なんでもない」
「ニオちゃんは間違えて頼んだ強いのを飲んで潰れちゃったんだから、アンタに暗い顔されてるとお酒がまずくなるのよ」
バンシィを追いクラッドと戦った夜、今後のこともあり、一旦ヘルバムへと戻っていた。「一人だけ痛い思いさせたから」。アリスの提案で夜の酒場に繰り出していた。
いつもなら、久しぶりの酒と美味い料理に馬鹿騒ぎしているのだろうが、やはりクラッドのことを考えると気が滅入る。
シールのためなら――あの貧しくとも穏やかな生活を取り戻せるのなら、カイムは人でなしのろくでなしの嘘つきで十分だと自らを定義している。二年半、それだけを考えて生きてきたのだから。
しかしこれからの旅、アリスと共に行くのなら巻き込んでしまう。アリスへ降りかかる火の粉を気にして、過去を見続けてきたカイムの意思が揺らいでいる。
「はい、ラム酒」
「えっ、俺頼んでたか?」
「ボッーとしてるから、アタシが頼んどいたのよ。好きだったわよね、ラム酒」
「教えたこと、あったか?」
「里でわざわざサトウキビ育てたり、行商人相手に蒸留器を依頼してたりしたから推理したのよ」
「そんなことまで覚えていてくれたのか……」
「ほら暗い顔しない! 乾杯よ!」
ジョッキを手に乾杯して、半年以上金がなくて飲めなかったラム酒を喉に流し込む。この甘みと強さが癖になるのだが、素直に美味しいと思えなかった。
「アンタも変わらないわねぇ」
蜂蜜酒を舐めるアリスはほんのり赤くなった頬で笑いながら、「変わらない」と、今度は悲し気に言う。
「シールのことを考える時、いっつも今みたいに『らしくない』暗い顔してたことよ」
「……よく、俺のこと見てたんだな」
「そ、そりゃね! シールとは短い間だったけど友達だったし、アンタを里に連れていって面倒見てやったのもアタシなんだから!」
アリスは顔を赤くして、里で世話になってから一年が経った頃から聞き飽きた『言い訳』を口にする。
カイムは馬鹿でも鈍感ではない。少なからず、アリスが友ではなく男として好意を向けてくれていることには勘付いていた。その好意を、シールを愛しているというのに、いらないと跳ねのけられない自分にも戸惑っている。
だから、なかなか話を切り出せない。一緒に行くのは危険だと――割り切れない。
「そういえば、シールもラム酒が好きだったよね」
「……そうだな。シールと過ごしたあの頃は、よくラム酒と少しのツマミで騒いでた」
「アンタに甲斐性がないから、拾ってきた捨て子達のご飯を届けにアタシもよく邪魔してたわねぇ」
シールはハイランドの古いやり方が気に入らず国を出た。そして、ロスタインもハイランドも捨てた荒れ地にある傾いた家で捨て子十人を育てていた。
「あの頃は世話になったな」
「今もアタシの世話になってるでしょうが!」
アリスはほろ酔い気味に突っかかってくると、片肘をついて、遠くを見るように緑色の瞳を細めた。
「何度も通った。泊まることもあった。それでも、アタシの知らないアンタとシールの時間はたくさんある……気になってたんだけど、その、アンタたちはどこまでいってたの?」
どこまで。言いづらそうに口にしたアリスの頬がさらに赤くなったのは見間違いではないだろう。ラム酒を一口含んでから、「なんもねぇよ」と返す。
「俺がシールと過ごした日々は、なんもなかった。それまでもなんもなかった俺だったから、なにかを求めるっていうのを知らなかったんだろうな」
「そう……今のアンタは、どうなの? 求めているものはあるの?」
「だから、俺はシールを蘇らせるって……」
そこまで言葉にできたが、口を閉じてしまう。ふと視線を上げれば、アリスの顔も暗くなっていることに気づいた。
「二年半前――『あんな別れ方』をしたら、普通は諦める。なのにアンタは、ずっとシールの背中を追っている……普通はね、死んだらそこで終わりなのよ。『思い出』になるの。それを、アンタは――」
遠くからカイムへ視線を戻したアリスは、哀歓の籠る表情を向けた。
「まだ、諦められないの?」
諦める。もしもその選択肢を選んだら、アリスとニオと三人、新しい『道』を行けるのだろう。シールをアリスの言う通り思い出にして、クラッドにシールの意思を返して
そして――
――お父さん。
「……諦めるわけには、いかねぇな」
心が、『楽な道』を選ぼうとした。少し考えれば、競争相手は天使の血を引くクラッド率いるハイランド。ちょっと強いからって、どうこうできなくてもおかしくない。
だとしても、行かなくてはならない。血の石碑で、シールを蘇らせ、この力を得るために払った代償――罪を贖うため。
「俺は諦めねぇ。事はもう、シール一人の問題じゃねぇんだ。だから――危険な旅になるんだが、一緒に来てくれるか?」
アリスの支援なしでは、どこかで行き倒れてケチな盗人になってしまう。もうそんな生活は嫌で、巻き込むのを前提で話し出せば、「シール一人の問題じゃないんでしょ?」と、アリスは微笑んでいた。
「シールはアタシの友達でもあるの。人間で初めてできた友達。だから、アンタが断ってもついてくって、さっき決めたから」
顔を赤らめながらの声に、カイムまで笑ってしまった。
「はい! 旅に出るんならしばらくお酒飲めないから! 今日は飲むわよ!」
アリスの思いやりに感謝し、今度はラム酒を気持ちよく飲み込んだ。