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さくら  作者: ゆきほ
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後編

 その後の私は、自分でも最低だったと思う。

 処置をしていても、ルーチンの仕事をしていても、赤ちゃんと遊んでいても、ふとした瞬間にあの無力感が蘇った。


 私は、ここで何をしているのだろう。

 あの子を目の前にして、何もできなかった、私。

 ご両親にろくな言葉も掛けられず、ただ泣くことしかできなかった、私。


 その涙の意味さえ、そのときの私にはもう解からなくなっていた。

 僅かな時間しか生きることのできなかった彼女が可哀想だったのか、ご両親の辛さを思ったのか、何もできなかったことが悔しかったのか―――――?


 目の前には、治療を必要とする赤ちゃんがいる。

 命の危険を乗り越えて、今元気に泣く赤ちゃんがいる。

 けれど、どうやっても助けることのできない赤ちゃんがいることも歴然とした事実なのだ。

 その事実が、私の目の前に大きく立ちはだかっていた。


 やめて、しまおうか。


 消えていく命を、冷静に見つめることのできない私は、きっと医者でいる資格がないのだ。

 それなら、やめてしまおう。

 また、あんな夜を過ごさなくてはならないなら、この無力感に苛まれ続けるくらいなら、やめてしまえばいいのだ―――――


 今思えば、それは明らかに“逃げ”だったのだろう。それでも、そのときの私には、もうそれしか道がないように思えた。



 

 そんな状態が10日ほど続いたある日、NICUに一通の手紙が届いた。

 外来を終えて、NICUへ戻った私に高橋さんが無言で差し出したそれは、彼女のお母さんからのものだった。

 淡い空色の便箋には、華奢な筆跡で初七日が済んだことが記されていた。


『………今日までの一週間は、私には夢の中のことのようでした。目が覚めれば、私のおなかを元気に蹴るあの子の胎動を感じることができるのではないか、と。でも、そう思うことはあの子の生きた時間を否定することになるのだと、やっと思えるようになりました。


 正直なところ、あの子を亡くした直後は、どうしてあの子を助けてくれなかったのかと、先生や看護婦さんに向かって泣き叫びたい気持ちで一杯でした。たぶん、あの子を守ってあげられなかった自分を責める気持ちを転嫁していたのだと思います。


 あの子を抱いて家に帰ったとき、入院前には蕾だった庭の桜が咲いていることに気付きました。この子は、この桜を見ることができなかったのだと思うと、その短い一生がとても哀れに思えました。ぼんやりとその桜を見ていたら、この子が生まれてからの半日が断片的に思い浮かんできました。


 出産のとき、ずっと私の手を握っていてくれた助産婦さん。

 大きな保育器の中にいたわが子をはじめて見た時の衝撃。

 私たち夫婦の目をまっすぐに見つめてお話をしてくれた小林先生。

 この子を看取る時に、最後まで側にいてくれたNICUの看護婦さん。

 そして、この子のためにたくさんの涙を流してくれた志方先生。


 私は今まで、お医者さんというのは患者のために泣いたりはしないものだと思っていました。医療というのはお医者さんにとってはお仕事で、常に冷静に一段上の立場から私たち患者を見ているのだと。


 なのに、志方先生はこの子のために泣いてくれた。こんなに短い時間しか生きられなかったこの子を、こんなにも愛してくれた。この子は、私たちのさくらは、きっと先生や看護婦さんや私たち家族や、たくさんの人に愛されるためだけに生まれてきたのだと、そう思ったら、なんだかとても救われたような気持ちになりました。


 NICUのみなさん、さくらを愛してくれてありがとうございました。残念ながらさくらはみなさんの応援には答えられませんでしたが、みなさんの愛情を受けて、幸せな気持ちで旅立っていけたのではないかと思っています。


 まだ、さくらの亡くなったNICUに直接ご挨拶に行く勇気がない私をお許しください―――――』



 そう、あの限られた時間の中で、私は確かに彼女を、さくらちゃんを愛していた。

 懸命に生きる命を理屈ぬきで愛しいと思った。

 だからこそ、目の前で消えていく命に対する恐怖が、何もできないまま失ってしまったことに対する無力感が私を立ち止まらせたのだ。そして、そうやって立ち止まってしまった自分自身を、私は医者として認めることができなかった。


 でも、さくらちゃんのお母さんは、彼女は幸せだったといってくれた。


 それは、残されたもののエゴかもしれない。

 彼女の一生は本当は苦痛に満ちたものだったかもしれない。

 それでも、自分自身を否定していたその時の私にとって、その言葉は一筋の光のように感じられたのだ。


「やめちゃ駄目だからね、先生」


 不意に高橋さんが言った。ストレートなその言葉に、私は驚いて顔を上げた。


「今やめちゃったら、先生はあの子から何一つ受け取らなかったことになる。解かるよね?」


 さくらちゃんの小さな手が、何かを掴むように握り締められた瞬間が脳裏に浮かんだ。

 あの時私の心に溢れたのは、初めて目の当たりにした小さな体に秘められた生命力に対する感動であり、まごうかたなき賛美だった。


 これからも、生まれたばかりの命に出会うたびに私はその子を愛しいと思うだろう。

 純粋に生きようとする子供たちの姿は、多分医者としての必要以上に私をひきつけるだろう。

 そして救うことのできない命を前に、何度でも苦しみ涙するだろう。

 きっとそれが、変えることのできない「私」という人間の根本なのだと思う。

 この根本を変えずに、今ある無力感を乗り越えていくことは、今の私にはとても無理なことのように感じられた。

 でも、そうやって前に進むだけの力を、私は得ることができるだろうか………?


「――――こんな泣き虫の私でも、やっていけるかな?」

「泣いちゃいけないときには、あたしが容赦なく叱るから大丈夫」


 冗談めかして言う高橋さんも、きっとこの無力感を乗り越えてきたのだろう。一緒に働くスタッフに励まされ、叱られ、そして出会ってきたたくさんの赤ちゃんに元気を貰いながら………


「今は? 今は泣いてもいい?」


 既に泣き笑いの状態で尋ねた私に、高橋さんは大きく頷いてデスクの端っこにあったティッシュを箱ごと渡してくれた。





 そして、今も私はNICUここにいる。


 一年という時間の中で、たくさんの赤ちゃんと出逢った。

 元気に退院していった子もいれば、亡くなってしまった子もいた。

 その度にやっぱり私は大泣きしたし、落ち込んだりもしたけれど、やめようという気持ちは二度と起きなかった。


 窓の外で、あの時と同じ桜が揺れていた。

 毎年桜を見るたびに、私は彼女とのことを、あの無力感を思い出すだろう。それは多分、私が医者として生きるための一つの大事な儀式なのだと思う。


「先生、翔くんにミルクあげちゃってもいいー?」


 看護師さんの声に、突然周囲の音が戻った。

 規則正しいモニターの音――――赤ちゃんの命を刻む、音。


「あ、待って! 今採血しちゃうから」


 慌てて私は準備を再開した。


 透明な箱の中で、限りない可能性をその小さな掌で握り締め、眠る赤ちゃん。

暖かく安心な母の胎内から出て初めて見るこの世界が、この子たちにとって少しでも優しいものであるように………そう心から願いながら、私は今日も呼びかけるのだ。


「おはよう」


 と。



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