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第87話:ゆめのなか、ほのおのきおくⅠ

 『……ああ、またか』。

 眠りながら、そう思った。


 『忘れるな』と魂の底から浮かび上がってくる記憶。


 言われなくても、忘れるつもりはない。

 けれど、もう終わってしまった話でもある。


 過去の出来事に囚われ過ぎてはいけない。

 そう戒めながら……抵抗はせず、追憶に沈んだ。



          ***



「アニエス、ヨシュア。お父さんにご飯を持って行ってあげて」


 ある日のお昼過ぎ。一日の勉強の途中だった私と弟のヨシュアに、母がそう言った。


 私の説明を聞き流して寝そうだったヨシュアを揺り起こし、出かける準備をする。


「それと、そろそろ帰ってくるように伝えてね。毎日お風呂に入らない人とは離婚よって」


 母の名は、アイリーン・サンライト。ルーンヒルという小さな村に代々居を構える魔法使い一族サンライト家の現当主で、歴代で最も優れた魔法使いだと祖母がいつも誇らしげに語っていた。……もっとも、サンライトは村と同じで小さい家系だったから、その実力を正確に評するなら大きめな街で一番かもしれない、くらいのものだ。


 髪も顔立ちも、私の外見は母にとてもよく似ている。ただ、母は私とは内面が決定的に違っていて穏やかな人だった。夫にも子どもにも優しく、良き妻であり良き母。母はまだ二十代半ばだったはずで、いま思うとあまりにもよくできた人柄をしていた。


 家を出て、父が仕事のために使う小屋へヨシュアと一緒に歩いていく。私の家は魔法薬や魔法器を販売する商店でもあったため、父の仕事場は別に用意されていた。同じ村の中なのでそう離れていないが、子どもの足だとちょっとしたお使いくらいはかかる。


 その道中、ヨシュアが話しかけてきた。


「ねえさん。とうさんはなんで帰ってこないの? うわき?」


 私はヨシュアにどこでそんな言葉を覚えてきたのか問いただした。


「となりのおっちゃんがいってた」


 我が家の隣に住む夫婦の中年男の方が可愛い弟に余計な事を吹き込んだらしい。


 私はそれを激しく恨みに思いつつ、父が仕事場から帰ってこない日があるのは単に研究が忙しいからだと否定する。そもそも、父は娘の私から見て目に余るくらいの愛妻家だった。


「ねえさん、とうさんがなにしてるかわかるの? おれはぜんぜんわからないよ」


 私はヨシュアに『少しだけは』と返す。


 父が歴史の研究をしているのは知っていたし、話を聞かせてもらえば内容も理解は出来たが、それはそれとして父は研究成果がまとまるまではそれらの話を誰にも漏らさない。


 古い小屋を買い取って使っている父の仕事場へと辿り着く。普段、父は机に向かって書き物をしていたのだがこの日は少し疲れた様子で椅子に座ったまま、ぼうっとしていた。そんな事は気にもしないヨシュアが声をかける。


「おべんとう、もってきたよ」


「ああ……ありがとう。アニエス、ヨシュア」


 父の名は、リチャード・サンライト。サンライト家に婿入りした学者の青年。今は似合わない無精髭を生やしているが、これは単に身だしなみを整えていないせいだ。元はエスティンという近くの町で暮らす戦災孤児だったそうだが、帝都で学生をしていた時分に同じく学生だった母と出会い、そのまま恋愛結婚してルーンヒルに移り住んだという。各地に散逸する歴史の研究をしていて、とても正義感の強い人だった。


 ……そのせいで、彼は見てみぬフリをする事ができなかった。


 ヨシュアが父に母の言葉を伝える。


「かあさんがフロにはいれっておこってたよ」


「はは、悪いね。ここのところ母さんには迷惑をかけてしまった。僕も夕方には一度戻るから、二人は戻ったら母さんにそう言っておいてくれ」


 私は父に夕飯は一緒に食べられるのかと尋ねた。


「ああ、約束するよ。二人にも構ってあげられなくて悪かったね」


 父もまた、妻子に対して愛情深い人だった。心から申し訳なさそうにしながら、受け取った昼食を広げる。それを見届けてから、私とヨシュアは小屋を後にした。


 家に戻って、夕食の準備を手伝ったあと。ちゃんと約束通り、父が帰ってきた。帰宅してすぐに父は母に抱き着こうとしたが、それよりも先に体を洗うように命令されて素直にその通りにしていた。その後、父はさっぱりした姿になってリビングに戻る。そこでようやく、一緒に暮らしている祖母――父からは義理の母に当たる――がいない事に気づいたらしい。


「あれ、お義母さんは?」


「あなたがいない間にエスティンのお友だちのお見舞いに出かけたのよ。なんか具合を悪くしているんですって。今夜辺りには帰って来ると思うけど」


「そっか。そりゃあお戻りになったらまたお小言を聞かないといけなさそうだね」


 父と祖母はあまり仲が良くはなかった。母が祖母に強く釘を刺していたため、婿いびりには至らず険悪とまではいかなかったが、祖母はあまり父に良い印象を持っておらず父もまたそれを是正しない。お互いに価値観が合わないのだ。


 ……これが、私の家族だった。完璧ではなくとも基本的に穏やかで変わったところなんて無い、どこにでもありそうな魔法使いの家。


 私はサンライト家の魔法を継ぐつもりでいたし、魔法に興味が無いヨシュアはきっと他の道へ進み、父と母と祖母もそれを応援してくれるだろう……そう、思っていた。


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