第83話:御子と星読み
時は戻り、“星を渡る舟”から降下する途中にアニエスが意識を失くした直後のこと。
「――アニエス?」
ほんの一瞬前まで普通に会話をしていたアニエスが突然失神した事にフィーネは少なからず動揺したが、その理由について考察するよりも早く彼女は友を介抱した。ひとまず体の保護が済んでから、フィーネは魔法でアニエスの状態を検査する。
(外傷――無し。内部疾患――無し。外部からの概念干渉――無し。身体機能――平常通り)
だが、内外にそれらしい理由が見つからなかった。やむを得ずそのまま気絶したアニエスを抱え地上に降り立つと、そこにはこの星の住民である事象醒命らがいた。その数、三百名以上。この星に住まうほぼ全ての星の寵児が一堂に会している上に、限りなく神族に近い魔力を持った個体すら並び立つ。
来訪により彼らを刺激してしまったと考えたフィーネは、友を守るため、すぐさま本来の力を励起させられる状態となる。しかし、星の寵児の一人がそれを慌てて制した。
「お、お待ちください! 御身に敵対するつもりはございません!」
薄緑の髪の少女――のちにフローラと名乗った少女の懇願を受け、フィーネはやや険を薄れさせた。とはいえ、明らかに自分達の出現地点に待ち構えていた相手であるため、警戒そのものは解いていない。
それを察したのか、星の寵児の少女が先んじて恭しく礼を尽くす。
「私の名はフローラ。我々は大いなる秩序によってより良い運命を手繰るべく生み出された者どもでございます。あなた様の名を、お聞きしてもよろしいでしょうか」
問われたフィーネは、普段通りの回答を返す。
「はじめまして、ボクはフィーネ。こっちの寝ちゃってる子の方はアニエスだよ」
「……畏れながら。あなた様の御名、その全てをお聞かせいただきたいのです。我々ごときに名乗る筋合いが無いとおっしゃるならば、伏してお詫びいたします」
その言葉を受け、フィーネは星の寵児達が純粋に自分達を出迎えするために現れたのだと判断した。もっとも、フローラの最初の発言の時点で薄々察していた事だったが。彼女らの厚い敬意に少し辟易としつつ、フィーネは自らの名を告げる。
「そんなつもりじゃないから。ボクの名前はフィーネ=ノヴァ・コスモスだよ」
「……嗚呼。やはり、やはり」
その名を聞いた星の寵児らの感情表現は様々であったが、一様に噛み締めるかのようだった。
そうした反応を含め、幾つか生じた疑問をフィーネが尋ねる。
「聞く前からわかってたみたいだけど、どうして?」
「この星は秩序によって運用される運命観測のために在ります。つい先ほど、あなた様がご友人と共にこの星を訪れると予言が成されたのです」
フローラの回答にフィーネは納得する。
二人の旅先は一定条件を満たした星から偶然を頼りに選ぶものだが、秩序による未来測定であれば可能性を絞り込む事は出来るだろうし、直前であればほぼ正確な解答を出せるだろう。
フィーネとこの星の住民とは上下関係にあるわけではない。しかし、フローラを始めとする星の寵児らはみな当然の事として最上の敬意を払っている。
「お会いできて本当にうれしく思います。とても光栄です」
「って言っても、ボクはキミたちに何もしてないけど」
「いいえ、いいえ。御子よ、あなたのことは存じています。これからあなたが何を成すのかも」
フローラはそこで言葉を切り、動かないままフィーネに抱えられるアニエスへ視線を向ける。
「……ところで。差し出がましいことかもしれませんが、ご友人のかたはご無事なのですか?」
「無事なんだけど、しばらく起きれなさそうなんだ。どこかで休ませてあげられないかな?」
「でしたら寝所をご用意いたしますね。……なにぶん馴染みが無くこれから作成するものですので、フィーネ様からご意見を頂戴できればと存じます」
フローラに先導され、フィーネはアニエスをおぶって透き通る大地を進む。出迎えに現れた星の寵児達は全員がついてくるわけではないらしく、同道しているのはフローラと行動範囲が一致している者だけのようだ。
そうして案内されたのは、幾名かの星の寵児達が活動する観測拠点の一つだった。集落というよりは広い平地に茶を飲める程度の休憩所が用意されているだけの場だが、星の特殊性からその風景は神秘的ではあった。フローラは休憩所からやや離れた場所で立ち止まる。どうやらこの一画を二人のための住居用に提供するつもりらしい。
「寝台は柔らかい方がよろしいですよね?」
「そうだね。でもなんか違ったらボクが作り直すから大丈夫だよ」
「責任重大……! このフローラ、命に代えてもお二人の寝所づくりを成功させます!」
「うん、ごめんね。そんなつもりじゃないから、気安くね?」
フローラが魔力を充溢させ、両手をかざした先に物質が象られる。想像したモノを実体として作り出す創造魔法。フィーネが常用しているものと基本的な原理は同じが、人間の魔法使いからすればこの魔法も大概に常識外れな力と言える。
数秒後、魔法の発動地点に小さいが美麗な天幕が現れた。中に入ると寝台が二つあり、それ以外の家具の類は無い。魔法で内部の空間に干渉しているため、外から見たよりも広々としているので寝室としては快適に過ごせそうだった。
フィーネは用意された一人用のものとしては最上級の寝台にアニエスを寝かしつける。やはり容体は問題無さそうで、寝顔そのものは穏やかなように見受けられた。
ようやく落ち着ける状態となり、フィーネはフローラに謝意を伝える。
「ありがとう、色々と助かったよ」
「恐縮です。……寝心地は問題無さそうでしょうか?」
「大丈夫。ボクが作るよりもいい感じになってるんじゃないかな」
「め、滅相もございません。ですが、お褒めにあずかり光栄です」
まだ緊張は取れていない様子だが、フィーネ自身はそこまで肩肘張った人物ではないと理解したのか、フローラの態度から敬意と丁寧さはそのままに堅さが少しだけ薄れた。彼女はフィーネに対し、今回来訪した目的を尋ねる。
「お二人がこの星を訪れられた理由は観光ということでよろしかったでしょうか?」
「うん。秘密な場所とかある? あったらそういうところは行かないようにするけど」
「いえ、ありません。ご友人のかたも含めどこでもご随意に観覧いただければと。もしも必要であればご案内いたしますが、いかがなさいますか?」
「それならこの子が起きたらお願いしたいかな」
「かしこまりました。私はすぐ近くに控えておりますので、もしもなにかご入用になりましたらお申し付けくださいませ。それでは、席を外しますね」
フローラが退出し、フィーネは寝台で眠るアニエスを見守る。しかし、目覚めるにはしばらく時間がかかりそうだった。この状態がもう何日か続くようであれば、アニエスの体調管理についてフィーネが何かしら手を打つ必要も出てくる。とはいえ、今はまだアニエス自身が常用している魔法でどうにかなっている。今日明日の話ならば体を拭くなどの介護も不要だ。
そのため特にする事の無いフィーネは物思いに耽っていた。多趣味で活発な行動傾向を持ってはいるが、『友の目覚めを待つ』と決めたのならば何もせずにいる事を苦痛と感じない精神性でもある。彼女は運命観測というこの星の意義から連想し、自身の将来について取り留めのない、人間味のある想像をして時間を潰していた。
ふと。フィーネの耳に、寝息以外の音が響く。
「…………かみさま。どうか、おねがいです」
アニエスがうわ言で、そう口にした。
フィーネは友を見て、続きを待った。
その願いは、どこか悲痛で声にはならない。
唇を読んで内容を理解したフィーネは小さく笑みを浮かべる。
「違うよ、アニエス」
何かにうなされる友に対し、届かずとも諭すように言った。
「世界のために、じゃないんだ。ボクは、ボクが守りたいもののために戦うって決めたんだよ」
アニエスが目覚める気配は未だ無い。
見舞いもずっとしている必要は無い。
だが、フィーネは今しばらくアニエスの元に留まる事にした。




