第82話:星晶の世界で
予言という名の進路相談じみた対話を終え、アニエスとフローラは天幕から出る。
「おかえりー。どうだった?」
二人を迎えるフィーネは周辺に浮いている魔力結晶を手に取って麻袋に詰めていた。
その奇行を見て、アニエスが目を細める。
「色々と参考になって興味深かったわ。……それより、なにしてるの?」
「お土産にいいかなーって」
「…………」
「だ、大丈夫ですよ。沢山ありますし、少し減ったくらいなら補完は可能です」
「フィー、迷惑だから今すぐやめて」
「えー。さっきあっちのハチみたいな子に聞いたらいいよって言ってくれたのに」
フィーネが言及した大きい蜂と獣の中間のような姿の星の寵児は、一行を見て苦笑のようなものを浮かべた。アニエスはそれを受け、より一層強く親友を諫める。
「秩序の御子におかれましては、ご自身のお立場をよくお考えの上で立ち振る舞いいただきたく存じます。……この星の人達がフィーのお願いを断れるわけないでしょ。まったく」
「んもう、すぐイジワル言う。わかったよ」
親友から呆れられた事で、フィーネは身分に物を言わせた採取作業を中断した。
「んー、確かにもらうだけだとなんだし。ボクが創った結晶と交換ってことにしようか」
そう言ったフィーネは両の掌で物を抱えるように空間を挟む。
「よっ」
フィーネの手と手の間に、魔力の波動が断続的に発生した。
平時のフィーネが発揮する魔力量は自ら制限されていてアニエスとほぼ同値に収まる。しかし、それは瞬間的な出力を抑えているだけであって実際の総量は変わらないのだ。したがって、人間規模の魔法程度では幾ら使ってもフィーネにとって負担にはならない。
フィーネが現在行っている魔法は物質の創造魔法とは異なる純粋な魔力の結晶化だった。
途方も無い回数の魔力の放出、圧縮という作業が一瞬で行われ続ける。
十秒ほど過ぎた後、フィーネの手元にこぶし大の宝玉のような魔力結晶が生じた。
「これくらいでどう?」
「えっ!? こ、これを置いて行かれるつもりなんですか!?」
フィーネが用意した魔力結晶は大きさこそ常識的なサイズではあったものの、それに込められた魔力量は常軌を逸していた。魔法に通ずる者の間では別の呼称で言い表される性質を持ったそれを、フィーネはそのまま差し出す。
一方、アニエスは物々交換が提案された時点でつきかけていたため息を抑えられない。
「少しは加減ってものを……」
「別にこれくらいいいじゃない。フローラちゃん、代わりにもうちょっと詰めさせてね?」
「も、もちろんですっ。なんならこの星の核と交換でも構いません!」
他所の星であれば、世界の流れを変えてしまいかねない物品の譲渡だった。
しかし、幸いここは秩序が運用する観測所のようなもの。
アニエスは親友の浅慮としか言えない行いにも目を瞑る事にした。
一方、フィーネから受け取った宝玉を眺めるフローラが控えめな調子で尋ねてくる。
「あの~、フィーネ様。もし可能ならなのですが、この結晶をもういくつかいただけたりはしないでしょうか? すると、だいぶ運命観測がしやすくなるのですが……!」
「いいよー」
「いいわけないでしょ、やめなさい。……フローラさんも、さすがに弁えてください。星の運営に必要なら彼女に頼まずとも秩序や混沌から魔力が渡るでしょう?」
「うぅ、ごめんなさい……私、生まれて初めて物欲というものを知りました。……いいなぁ」
占い後の休憩も済み、アニエスとフィーネは星の副次的な機能と住民について紹介を受ける。この星には産業というものは存在しておらず、運命観測にまつわる活動も個々で行っている事が多いという。それぞれに役割とは別に趣味のようなものがありはするようだが、星の寵児達は基本的に活発とは言い難い生活を送っている。
彼ら独自の魔法体系を見学させてもらったのち、アニエスとフィーネの感覚としては食事時となったのだが、この星では食文化がほぼ存在しなかった。全ての住民が食事を必要としない事象醒命である事からアニエスも予想していたが、そうした行為は一部の者が娯楽として行うだけだ。また、人間が食しても問題が無さそうな食材は見つからなかったため、舟での生活のようにフィーネの魔法で創造してまかなう事となる。
適当に開けた場所に魔法で即席の調理場と食材を用意し、フィーネは料理を始める。
先ほどまでとは逆に二人の行動を見学するフローラが疑問から口を挟んだ。
「普段からフィーネ様が調理をされているのですか?」
「そうだよ。アニエスも料理は得意なのに面倒くさがるから。その代わりボクはほとんど働いてなくてアニエスからよくお金をもらってたんだよね。だからおあいこって感じかな」
「その言い方だとヒモ男同然ね。……まあ、生活だけ見ればほぼ同義かもしれないけれど」
「だって、ボクなりにお金を稼ごうとするとアニエスが怒るんだもん」
「フローラさん。例え話ですが、秩序の御子が自身の頭髪を魔法素材として売ってみたり、加減を知らない埒外な力で人間の生活に率先して影響を与える事についてどう思いますか?」
「大いなる秩序の化身がそのような安売りをするなど……とても由々しき事態かと思います。……え? まさか、やっていないですよね? フィーネ様?」
フローラの恐る恐るという確認を、フィーネは絶妙に下手な口笛を吹いて無視した。黙殺で話は打ち切られてしまったものの、調理はそのままつつがなく行われる。フィーネが配膳したのは二人がよく口にするパンに加え、香辛料を効かせた魚の焼きものと付け合わせだった。
「完成~! 今日のメニューはローストフィッシュだ!」
「身が真っ青だけど……なんの魚なの?」
「さあ。なんだろうね。前に行った大きい星にいたクマが採って食べてたやつだけど」
「……まあ、匂いは美味しそうだしこの際なんでもいいわ」
フィーネは正体不明の焼き魚と付け合わせを取り分け、食卓を整える。
そんな様子を、フローラを含めた幾名かの星の寵児が物珍しげに眺めていた。
「みんなも食べてみる? 作ったのは二人分だけど、コピーならあげるよ」
「よろしいのですか? でしたら、ご相伴に預からせていただきます」
了承したフィーネは料理を魔法で複製し、手近にいた星の寵児達に配って回る。受け取った住民達は丁寧に礼を述べた。
食事を始め、アニエスとフィーネが他愛もない話をしていると、フローラが受け取った魚料理を二人に倣った所作で食べながらやり取りを観察していた。フィーネが彼女に水を向ける。
「どうかした?」
「あっ、失礼しました。楽しそうにお食事されるのだなと思いまして」
「そう? だとしたら、それはアニエスのおかげだね」
「なるほど、ご友人と一緒だからこそなのですね」
「うーん、それもそうだけどそれ以前の話かな? ボク、昔は味とか判らなかったから」
フィーネの言葉に、フローラは動きを止めた。
当のフィーネは気にせず、話し続ける。
「ボクだけなのか判らないけど、最初は人間で言う五感みたいなものがちゃんとしてなかったんだよね。起きてすぐとかは人間の視界と違ってぼやーっと見えたり聞こえるような気がするだけで。だから、アニエスと会った時から色々足していったんだ」
食事に楽しみを見出したのは友と出会い過ごしたからと、フィーネは語る。
「アニエスには教えてもらってばかりだよ」
「そう思うなら人間社会での過ごし方も私を参考にしてほしかったわね」
「してるよ。アニエスよりも穏やかなくらいにね」
「私が学院の研究に協力していた時に子爵令息を取り巻きと護衛ごと殴ってボコボコにしたのは穏やかな心からの行動だったってこと? それはすごいわね」
「それはアニエスが先生に媚びてるってバカにしたアイツらが悪い。それにちゃんと加減はしたから死んでないでしょ。じゃなきゃ何度も殴れないよ」
「本気なら一発で骨も残らないから加減して何度も殴ったってこと? そういえばついこの前もふざけたネコだかネズミだかをぼこすかやってたわね。案外凶暴なんじゃない?」
「ほんのちょっと前に国一つ丸ごと燃やしちゃった人には言われたくないなー。フローラちゃん、どっちの方が乱暴だと思う?」
話を振られたフローラは一瞬だけ考えるそぶりを見せた後、苦笑いしながら答えた。
「僭越ながら申し上げますと……どっちもどっちです」
そうして食事を終えて。
宿泊用に提供された天幕へと戻り、アニエスとフィーネは就寝の準備を始める。既にアニエスはここで一日半ほど寝過ごしていたわけだが、就寝する部屋として見れば上等な宿屋よりも落ち着ける空間と言えた。強いて欠点を挙げるなら、調度品といった物が無いのが物寂しい。
「……シャワーは無いのよね」
「残念だけどね。お風呂文化、広めてみる?」
「余計なお世話でしょ。フィーには目障りだろうけど、部屋の隅を借りるわ」
「どうぞどうぞー。なんならボクも朝とかに使うかもー」
アニエスは魔法で空間が拡張された広い天幕内部の片隅を仕切り、仮設の洗い場を作る。フローラに申告すれば用意してくれそうではあったが、住民に無い習慣を行うならば自前で用意するというささやかなアニエスのこだわりだった。そうして身の回りの諸事を済ませたアニエスは、既に寝台に転がって退屈そうにしていたフィーネの元に戻った。
アニエスは魔法で髪を乾かしながら、ふと抱いた疑問をフィーネに尋ねる。
「そういえば、私が眠っている間はどう過ごしていたの? フローラさんから占ってもらったとは言っていたけど」
「んー? ボク一人で観光するのもなんだから、大人しくしてたよ。それこそ占いを聞いたくらいかなぁ。あと、大丈夫そうだったけどアニエスのことも心配だったしね」
「その件はごめん。まさか星に近づくだけで気絶するとは思わなかったわ」
「気にしないで。それより理由はわかった? 魔力含めて環境対策はしてたはずだけど」
「フィーが言った通り、解析の処理落ちね。こうして地上にいる分には大丈夫だけど星を俯瞰した時に全体像を読み込もうとしてしまったみたい」
「そっか。それじゃあ気をつけてれば平気だね」
遅まきながら、起きた事故への対処がまとまり、二人は星に滞在する間の予定を話す。既に二日ほど過ぎてしまっているが、あと数日は星を見学させてもらおうという事になった。
そろそろ眠るという頃合いに、アニエスが口を開いた。
「フィー、ありがとう」
「なにが?」
「待っててくれたこと」
昏倒していたアニエスだが、付きっきりの看護が必要なほど切迫した状況ではなかった。フィーネ自身、目覚めがいつになるか以外の容体は把握していただろう。それでも出かけなかったのは純粋に、フィーネは自分一人で星を見て回るのではなく、友と一緒に巡る事を望んだからだ。長い付き合いのアニエスはそれを解し、同じように思った事を親友に告げる。
「……明日からはいっぱい観光しましょう。私もこの星についてよく知りたいから」
「うん。明日からね」
魔力で点くランプが消え、天幕の内は薄闇に覆われる。
床に就いた二人はどことなく、夜空の下で眠るかのような心地だと感じた。
「それじゃ、おやすみー」
「うん。おやすみ」
そうして言葉は途切れ。やがて、小さな寝息だけが辺りに響いた。




