第81話:あなたに贈る予言/蒼炎の魔女へ
天幕の中には椅子が二つと、その間に大きな机が一つだけ置かれている。
それを見たアニエスはかなり俗っぽい印象を受けた。魔法器でもないこれらの設備は未来測定の魔法を行うに当たって必要には見えないため、ただの雰囲気作りでフローラの性格が原因なのだろう。とはいえ、魔法において実行者がその気になれる環境は時に重要な因子となるので、アニエスも余計な口は挟まない。
「それでは、さっそくですが。あなたの運命を視させていただきます」
フローラは椅子の内の片方に腰掛け、同じように座ったアニエスを注視する。
そのまま一分ほど経過したのち、フローラは『やはり』と首を横に振った。
「アニエス・サンライト。あなたの未来は、この星にも見通せません」
「…………」
そのように告げられたアニエスはとても困惑した表情を浮かべる。
「それは、何か比喩的な意味があるのでしょうか?」
「いいえ。ただ純然たる事実として、この星の機能を以てしてもあなたの未来は読み切れないのです。運命がそれだけ不安定であるということでしょう。可能性に満ちていると言えば聞こえはいいですが、あなたの行く末は必ずしも歓喜に彩られたものとは限りません」
フローラはアニエスの未来について『少なくともこの時点までは生きている』といった最低限の見通しは立つものの、本来は把握出来るその時点での詳細な状態が全く読み取れないと話す。どうやらこの結果は彼女の運命観測においてとても異質なものであるらしい。
それを受け、アニエスはそうであろうと考えていた仮説を投げかける。
「……つまり、コスモスの力であれば普通は人間の生涯が予測出来ると?」
「はい。正確には混沌と秩序、いずれもですが。ヒトの一生は百年くらいであることが多いでしょう? 個体情報と環境情報を合わせれば概ねこうなるだろうと結論が出せます。一方、事象醒命は寿命が無いためその終点まで見通すことは難しくなりますね」
その回答を聞き、アニエスはある程度は納得できた。
今の時点でアニエスは通常の人類よりも長命となる能力を得てはいないが、その気になれば不老の魔法はいつでも覚えられる。また、環境情報についてもアニエスは現在固定されておらず、宇宙を転々としている状態だ。そのため、不確定な要素が多過ぎるのだろう。
フローラはこう続けた。
「予想はしていましたが、ほとんど筋すら読めないとは驚きです。本来、この星における運命観測は事象醒命の未来もある程度は測定出来ます。幾つかの運命の道筋を読み解くなど、その程度ではありますが。実際、フィーネ様の未来についてはかなり確度の高い情報が得られましたし」
「………………」
フローラの言葉に、アニエスはしばし黙す。
そして、努めて冷静であろうとしながら、それでも糺すような語気で返した。
「――それは、あなた達が。秩序と混沌が、あの子の運命を定めようとしているからでしょう」
「その言葉を否定する資格は私たちにはありません。ですが、フィーネ様は自らの意志でご自分の運命を選択されています。あの方は、我々の傀儡などではありません。断じて」
それぞれの主張と言わんとする事は折り合いがついていない。
アニエスはそれ以上は食い下がらず、フローラもまた別の話題を切り出した。
「未来測定とは少し主旨が変わってしまいますが、なにか知りたいことはありませんか? 我々に見通せる範囲も万能ではありませんが、お力にはなれるかもしれません」
アニエスの親友たるフィーネは本人の方針から“宙の書庫”を限定的にしか使用しない。だが、フローラはそうではないだろう。秩序に連なる者からその知識と知恵を借りる事が出来るというこれ以上ない機会であるため、アニエスはかねてからの疑問を解消する事にした。
「これまでに人間から事象醒命へ――神族の位階にまで辿り着いた者はいますか?」
「ええ、いらっしゃいます。比率としてはごく稀に、ではありますが」
「彼らはどうなりましたか?」
「各々の主義主張にもよりますが、基本的に秩序か混沌の神族として迎えられていますよ」
「……では、界層は?」
「ご想像の通りでしょうが、ほとんどが惑星界層に属しています」
界層とは神族やそれに相当する存在が持つ魔力量を示す尺度だ。
その中で惑星界層は最も下の序列となる。
長い時間をかけ、あるいは特殊な事象を経て、ヒトからカミへと至る。
しかし、ヒトとしては最上であった力もカミの座においては最下のものとなる。
そこからさらに成長したとしても、結局は既存の神々と同じ道を辿っているのと同義だ。
アニエスが求めるのは、そうした既知の可能性ではない。
(事象醒命に成る程度じゃあ到底足りない。だけど――)
そんな内心を予測していたのか、フローラはくすりと笑う。
「なにか別の心当たりは見つけているようですね?」
「ええ、今までに二度。故郷で観たロクでもない英雄と、少し前の旅先で観た可哀想な子を」
「後者は知りませんでしたが、前者はそういえばそうでした。あなたはかの者と同じ大地で育ったのでしたね。思えばその時点で未来が不確定なのはやむなしという気もします。アニエスさんの気質であればあの境地を目指すのでしょう。……とても険しい道ではありますが」
フローラの言葉はアニエスの進もうとする先を予見したものだった。
彼女は未来測定ではなく、星の寵児としての知識からその進路について忠告を行う。
「ですが、くれぐれもお気をつけください。事象醒命へと至る道と、仙人へと至る道は全く別の方向への歩みとなります。仙道開花は神化覚醒以上に資質によって左右されるのではという見解もありますから無理はなさらぬよう。失敗すると、ぼーんですよ」
「ご忠告どうも。私もまだ明確な手法は得ていませんから、無茶はしません。……ぼーん?」
不穏な謎の擬音については追及せず、アニエスはもう一つの疑問について尋ねる。
それは自らが持つ異能についてであり、この力は突き詰めるとなんであるのか。
アニエスは自身が持つ異能について知るところを伝え、フローラに意見を求める。
「ほうほう、人の思念を読み取る……ひいては事象を解析する力ですか」
概要を聞いたフローラは、アニエスの持つ能力について客観的に評した。
「いくらか珍しくはありますが、人間にも発現し得る能力です。ただ、その位階についてはかなり高まってしまっているようですね。事象全般の解析能力であるのに限定的とはいえ未来視のような効果が発現している人間は他にいないのでは、と思います」
備えていた力そのものは希少であっても異常ではない。だが、成長が異端であるという。
フローラは少しの間、続きを告げるべきか迷った後に口を開いた。
「アニエスさん。あなたの力の成長、その理由についてですが」
「わかっています」
フローラの言葉を、アニエスは遮った。
アニエス自身、理解していた。特別なのは自分の力ではないのだと。
アニエス・サンライトはまだ十六歳の若さでありながら、人類の中でもほぼ最上位に位置する魔力の強さを持っている。しかし、それは本人の天稟だけが理由ではない。アニエスの力の成長はあまりにも歪であり、それは外的要因によって引き起こされたものだった。
「……あの子がそばにいるからでしょう? 子供の頃から気づいています」
アニエスの見解を、フローラも首肯した。
アニエスの成長が異質なのは、ひとえにフィーネ=ノヴァ・コスモスという存在規模が違い過ぎる事象醒命がそばにいるからだ。アニエスの異能は事象を解析すると副次的にその結果を学習し能力を向上させる。解析し切れないフィーネ以上の学習対象は存在しない。
また、フローラはそれとは別のもう一つの要因についても語った。
「フィーネ様はあなたの力の覚醒を促しています。それも、ご自身も意識しないまま。“万象定める秩序の威光”のような魔法を使っているわけではなく、太陽の光が命を育むかのように」
「……でしょうね」
どちらの理由も、アニエスは承知していた。
アニエスは自身の才覚がどの程度のものか、己の異能で解析が完了していたのだ。
本来ならば生涯をかけて今と同じ程度の魔力に辿り着けるかどうかだった。一つの国の歴史に、優秀な魔法使いとして名を残したかどうかだった。それが今や、少し無理をすれば一つの星の人類の頂点に手が届く領域にまで至ってしまっている。
微かに俯くアニエスに、フローラが哀願した。
「どうか疎まないで。フィーネ様は、友人として純粋にあなたを慕っているだけなのです」
「……疎んだりなんてしません。ただ」
アニエスは、視線を逸らす。
彼女にとって、この感情を抱く事自体がフィーネに対する深い負い目だ。
「私には過ぎたものだな……と。そう、思ってしまうだけです」
それが、アニエスがずっと抱え続ける煩悶だった。




