第80話:精霊郷
「……ここは?」
アニエス・サンライトが目を覚ますと、そこは覚えの無い寝台の上だった。
枕元には日頃から愛用している帽子が置かれている。
すぐさま、彼女は状況の整理に努めた。辺りを見渡すとそこはテントのように仮設された部屋であり、その様式はアニエスにとって馴染みの無いものだ。室内にはアニエス以外は誰もおらず、二つの寝台以外はこれと言って備品も無い。続いて、アニエスは自身の状態を確認する。
(体に異常は無い。魔法の痕跡も無い。失神していた? たしか、私は……)
アニエスはこの状況になる以前の記憶が曖昧だった。
フィーネと共に“星を渡る舟”から旅先と定めた星へと向かったところまでは覚えていたのだが、それ以降が思い出せない。舟の中ではないためここは異星のはずだが、それ以上の情報は不明だった。
アニエスが外に出ようかと思案したところ、誰かが部屋を訪ねてきた。
「よかった。ちゃんと起きれたみたいだね」
入室してきたのはフィーネと、もう一人、薄緑の髪をした見知らぬ少女だった。
フィーネはアニエスにかいつまんで状況の説明をする。
「アニエスは舟からこの星に降りる途中で気絶しちゃったんだよ。たぶん、星のことを解析しようとして魂と頭がいっぱいいっぱいになったんだと思う」
フィーネの言葉にアニエスは納得する。なぜそれで意識を失ったかはともかく、星で活動した記憶が無いのはそもそも到達前に行動不能に陥っていたからだと理解が及んだ。
「で、地上に着いてどうしようかなって困ってたらこの子たちに助けられたんだよ」
アニエスは先ほどからフィーネの隣に控える少女を見る。その外見は美しいヒトの少女のようだったが、アニエスの異能はその在り様が人間とは全く異なるものだと判じていた。
その予感を過去の経験に照らし合わせ、少女に問いかける。
「あなたは……星の寵児ですか?」
「はい。フィーネ様がおっしゃっていた通りですね、すばらしい観察眼をお持ちです」
星の寵児とは、神族を筆頭とする事象醒命に該当する存在であり、超高位に位置する精霊種の生命体を指す。その体は物質ではなく魔法現象そのものから成る。近似の概念として神族の幼体である星の統児があるが、神族に成長する事が確定しているあちらに対し星の寵児は神族に至る事が確約されていない。また、神族、星の統児、星の寵児という呼び分けは位階の差であり存在の本質としてはいずれも事象醒命である。
三者で力の程度を比較した場合、基本的に星の寵児は最下位となるがそれでも大精霊と呼んで差し支えない魔力を持っており、事象醒命の中では相対的に下位の能力しか持たない星の寵児の力が人類の最上層に並ぶ。
アニエスの直感は目の前の薄緑の髪の少女の魔力量を、少なく見積もって自身と互角だと感じ取った。その場合、少女は星の寵児という枠においては中位程度の存在となる。
そこまでで思考を切り上げたアニエスは寝台から起き上がり、体をほぐす。
「私はどれくらい眠っていたの?」
「ボクたちの時間で一日半くらいかな」
「……そんなに。心配かけたわね」
「体、大丈夫そう?」
「ええ。むしろ調子が良いくらい」
フィーネと少女に先導され、アニエスはテントから踏み出す。
その先は、魔力に満ちた異世界だった。あるいは、途方もない規模の魔法そのものと言ってもいいだろう。地面は硝子のように透き通り、星の核から生じる光が昼夜を問わず地上を照らす。また、そもそもこの星の近くに光源となるような恒星は存在していないようだ。
周囲を見渡しても人工物はおろか、植物のような自然も存在しない。代わりに、結晶化した魔力があちこちに点在している。透き通る大地から樹木のように生えているもの、あるいは鉱物のような形状で浮遊しているもの。それらは星を巡る力を伝えるためのものだった。アニエスはその内の一つに触れ、星の脈動を知覚する。
「……すごいわね」
「前に行った透明な星の元気なやつって感じだよね」
「この星は大いなる秩序が用いる運命観測用の天体です。……もっとわかりやすく言うのなら、占い用のお星さまですね。私たち星の寵児はその観測を補佐するためにいます」
案内役の少女がアニエスに向けてこの星について解説した。
この星に在る生命は全てが精霊種――事象醒命であり、位階の高低に差はあるものの知性が高い個体も多く存在しているようだ。また、他に特徴的な点として、個体数に対して生命の系統が多様性に富んでいた。二人を案内する少女の姿形は人間と同じだが、見て取れる範囲ではそれ以外に人型の住民がいない。どうあれ、この星においてはかつて故郷の国で天才と称されたアニエスの魔力も矮小なものになる。
星についての説明を終えた薄緑の髪の少女が、自己紹介をしていなかったと思い出した。
「いけない、申し遅れましたが私のことはフローラとお呼びください。この星において数少ない人型の星の寵児なのでおふたりの案内を務めさせていただきます。あらためてお聞きしたいのですが、アニエスさんのお名前は? フルネームでお願いしますね」
「アニエス・サンライトです」
「ふむふむ。家名の由来は『陽光』、個人名の方は『純潔』ですか……素敵ですわね。あなたにとてもよく似合った名だと思います」
「……どうも」
両親から貰った名を褒められ、アニエスは少しこそばゆい思いをした。
一方、アニエスが眠っている間に知己となっていたフィーネが紹介を足す。
「フローラちゃん、占いが得意なんだよ。まずは星と繋がってそこからさらに“宙の書庫”とかにまで繋いで未来を予測できるんだって」
「あくまで私は観測起点に過ぎませんので、そう大したものでは……演算はぜんぶ星と秩序の機能任せですし、たまたまその役割を担当しているだけなのです」
二人の説明を受け、アニエスは占いに興味を持った。
アニエス自身、観測の異能を持っているが他者の観測能力から得られる情報もまた有益だ。
「ボクはもう視てもらったんだけど面白かったよ。アニエスも占ってもらえば?」
「ええ。フローラさん、ぜひお願いします」
「かしこまりました! では、今から占い場をささっと作っちゃいますね」
フローラの魔法によって即席の天幕が作られた。この星は建物が必要になったらその場で作るという方針らしい。その規模感と価値観に少し戸惑いつつ、アニエスはフローラの指示に従い彼女の占いを受けるため足を踏み入れた。




