第78話:無礼者たち
とある星の、とある小さな王国。
ここは長きに渡りある一族が大権を抱え続けるところ。
この国では礼儀が何より重んじられており、目上の者に対する非礼は重罪だった。特に王族に対する無礼は軽くて死罪、程度によっては一族郎党を巻き込んで苦痛の限りを刻まれたのちに滅ぼされる。口の利き方一つで一家が死に絶える、過去にはそのような事例が幾つもあった。
そんな国へ、二人の旅人がやってきた。
一人は蒼い髪の魔法使いらしき少女。一人は金の髪の道化姿をした少女。蒼い髪の少女は見目麗しく人目を惹き、金の髪の少女は奇妙な化粧ゆえに素顔が判然としなかったが、それでも容貌そのものは整っているだろうと察せられる不思議な風体だった。
ちょうどその日、他国との戦争において常勝する王家を讃える祭りが行われていた。二人の旅人に対し、警備の兵が身の上の説明を求める。
蒼い髪の少女は、こう応じた。
「私達は旅の魔法使いとその道連れです。彼女は訳あって今は言葉を発する事が出来ません。どうか我々の事はお気に留めず、祭典を行っていただきたく存じます」
あまり体調が芳しくなさそうな蒼い髪の少女の紹介を受け、金の髪の少女が丁寧かつそれこそ道化じみた滑稽な一礼をする。兵はその説明を受け、警備の責任者へと報告する。
そうしたやり取りが行われた後。そこから離れた儀礼場へ続く道を進む壮年の男が足を止めた。旅人が訪れたという報告を聞き、その二人を視野に収め、にたりと笑う。
そして、有無を言わさぬ調子で広くに響く言葉を発した。
「そこの娘ども、こちらへ寄れ」
この男こそ大権を握る一族の長、すなわちこの国の王だった。先祖が遺した強大な魔法器により小国ながら隣国との闘争において不敗のまま今日を迎え、圧政を敷きながらも同時に繁栄をもたらす暴君。この国において王の発言は絶対であり、旅人であろうが王命を退ける権利は無い。祝いを待っていた民達は、予定外の祭りが始まる予感に期待を抱いた。
一方、少女達は礼節を弁え、王の命令に従った。
二人は定められた道を通り、今日のために拵えられた祭壇で待つ王の元へ進む。
観衆が見守る中、王は下卑た笑みを浮かべながら宣った。
「なかなかの器量だ。喜べ、貴様ら根無し草に我が後宮で伽する栄誉を与えよう」
その命はすなわち、王に傅く下僕になれという意味だった。
蒼い髪の少女は肩を震わせていた。遠目の人々はそれが恐怖によるものだろうと考える。
一方、金の髪の少女は道連れたる蒼い髪の少女の様子を気にしていた。
王はそれを見咎め、声を荒立てる。
「――貴様。その化粧は戯れと許していれば、御前にて我以外へ意識を向けるとは何事か! 慈悲は取り止める! 貴様ら無礼者は極刑にて裁いてくれる!!」
無法どころか稚拙にも程がある裁定だったが、この国において王権は絶対のものだった。
すぐさま、近衛達は二人の少女を捕えようと動く。
妾として迎えるという待遇は立ち消え、二人の旅人は罪人として虐刑に処される事となった。
衆目は突発的な公開処刑という娯楽が催されると沸き立つ。残虐な王に率いられる民も感性はすっかり歪となっており、二人の美しい少女が地獄の如き責め苦を味わわされる様を余すことなく観劇したいと王を讃える歓声が上がった。
それと同時。ただ一人、この場において異なる烈しい感情を抱いたものが怒声を上げる。
「下手に出ていればいい気になって! 無礼なのはおまえたちの方だ!!」
蒼い少女の激昂が響いた。
これから凌辱されるただの小娘が泣き叫ぶだけであれば、王も兵も一顧だにしない。
しかし、その少女の怒りは破滅的なほどの魔力の波動を伴っていた。
近衛の内の一人が危機を察知し周囲に警鐘を鳴らす。
「誰かその女を止め――」
だが、兵が阻む前に蒼い炎の嵐が起こる。
生き物が消し炭となるには余剰なほどの熱量。
それは瞬く間に膨張し、小さな国土を覆う蒼い旭のように爆ぜた。
巨大な炎は全てを焼き尽くす。生命も、土地も、何もかも。
かくして、一国の歴史は魔女の心火により幕を下ろす――はずだった。
「――――回帰せよ。
“万象定める秩序の威光”」
誰かが、世界にそう命ずる声が響いた。
苦痛すら感じる間もなく、国ごと滅びを迎えた人々の意識は続いている。
人間だけではない。破壊され尽くされたばかりの建物や大地もなぜか健在だ。
しかし、人々はおろかこの地に在った全ての存在が炎に滅ぼされた記憶を持つ。
『確かに死んだ。だが、今は生きている』と。
何者かによって引き起こされた奇跡は、事象の改変。
魔法現象として最も基本的な働きであり、ヒトが扱うそれとは次元を異にするもの。
その結果、焼き尽くされたものがその瞬間に直前とほぼ同じ状態に復元されたのだ。
事態に理解の追いつかない人々は今の状況が夢か何かかと疑う。
しかし、その思考も瞬時に途切れ、誰も言葉を発する事は無い。
奇跡と同じくして突如顕れた秩序を目にし、他に意識を向ける事など不可能だった。
壇上に浮かぶ、透き通る光を纏う神星が、無機質に言葉を紡ぐ。
「此身への非礼は不問である。ゆえに、汝らに下される裁定は無い」
それは、つい先ほどまで道化衣装を着ていた少女に他ならない。
だが、装いが変わり、身に纏う力を異にするものを軽んじれる者はいない。
輝けるものは言葉を続けた。
「しかし、我が友の怒りが齎した痛みは――その身に、その心に、その魂に刻め。汝らは死の感触を抱いたまま生き続け、やがて朽ちよ」
宙の秩序の代行者はそう告げて、蒼い残火を帯びる少女と共に去って行った。
あとに残されたのは事態に戸惑う人々だけだった。
時が過ぎ、誰かが呟いた。
もはや、王を讃える祭典も何もあったものではないと。
***
“星を渡る舟”のリビングルームにて。
旅先の星を後にし服以外は元の姿のフィーネが、泣きつくアニエスをなだめていた。
「あいつら! あいつら、フィーが犯されて死ねばいいと本気で思ってた!」
「大丈夫だよ。みんながそう思ってもボクはそうなってないでしょ」
「けどみんながそう望んでた! あんな汚い最低なやつらこそ死ねばいいんだ!」
日頃の怜悧な態度など面影も無く、アニエスは子供のように泣き続ける。
幼稚とも言える行動だが、その理由を理解しているフィーネは友の感情を否定はしない。先ほどまでフィーネが道化の仮装をしていたのも彼女が人間相手に遜った態度を取る事を拒絶したアニエスの要望からだった。結局はそれと無関係なところで怒りを爆発させてしまったが。
「いくらなんでもやり過ぎだよ。ボクが直さなかったら何万人も死んでたよ」
フィーネが対処しなければあの小さな国は文字通り焼失していた。怒りのままに放たれたアニエスの魔法は日頃の制御された状態とは異なり本人の魔力の大半が注がれており、その破壊力は小さな王国を滅亡させるには十分だ。
アニエスがあれほどまでに取り乱した理由は、彼女が持つ他者の思念を読み取ってしまう異能と、人々の狂騒にあった。
あの国に近づいたアニエスはすぐさま自身の不調を感じた。そこに暮らす人々の思念の荒み様が彼女にとって大きな不快感となったためだ。フィーネは別の国に向かう事も提案したが、そこで避けて通るようではアニエス自身の成長には繋がらない。その点は二人に共通する見解ではあったため、結局はかの地へと足を運んだ。
そして。王の決定を受けて人々が熱狂の内に共通して抱いた幻想はアニエスの魂に酸鼻な光景として深く刻まれる。決してそうはならないと理性で理解出来ても、その心が耐えられる限界を超えた思念の怒涛によって現実よりも濃い景色として植え付けられたのだ。
それが先ほどの憤怒を招いた。それが未熟ゆえであると、アニエス自身もわかっていた。
だが。
「……ゆるせないの。あんなやつらにフィーをよごされるのは」
「そっか」
それきり、会話は途切れ。星を去ってから一時間ほどが過ぎた。
アニエスはまだすすり泣いていたが、大きな声を上げるような事は無くなった。
親友が落ち着くのを待っていたフィーネは、普段と変わらぬ調子で語り始める。
「まあ、ボクもあんまりアニエスのこと叱れないかなぁ」
アニエスは顔を上げてフィーネを見る。
フィーネはそのまま、自身の行いを振り返った。
「だってさ。ボクもアニエスが怒ってるのを見てイヤな気分になって、あの人たちが死ぬ前に助けてあげなかったし。そのせいで一度アニエスにあの人たちを殺させちゃった」
フィーネは蒼炎に滅ぼされた人々を死から掬い上げた。だが、実のところ本人が述べたようにその気になっていればそもそも死ぬ以前にアニエスを止める事は出来たのだ。ヒトを滅ぼす魔女の焔も、秩序の力であれば指先一つで掻き消せる。
そうしなかった理由もまた、当人が語った通りだった。
「前の旅とか今の旅で少しは成長した気でいたけど、ボクたちはまだまだ子どもだね」
フィーネは先ほどまで滞在した星での自分達の振る舞いをそう統括した。
彼女の言葉通り、片や人並み外れた力を、片や人智を超えた力を持ってはいるがまだ二人とも十六歳の少女であり、そもそもこの旅も多くを知るために余白の時間を使っているのだ。
「ボクはもっと強くならないといけないし、アニエスももっとすごくならないといけないでしょ。だから、これからも頑張ろう。焦らず、旅を楽しみながらさ」
「…………うん」
フィーネの言葉を聞き、アニエスは目を拭う。
互いに未だ、己の理想には届かず。
歩む速さも進む先も違えど、それでも、目指す事は諦めないと。




