第69話:魔女の主観
三度光翼の魔法を広げたフィーネと、彼女に運ばれるアニエスが空を飛んで移動する。途中、誰かとすれ違いにならないかとアニエスは微かに期待していたが、そもそも城があった場所以外からの思念は絶無だった。
二人は数分前まで城塞だった荒地へと降り立つ。すぐにアニエスは城の残骸が散らばる山へと足を踏み入れた。そしてある地点に至るなり、崩壊した瓦礫を魔法で弾いてどかす。
すると、その中から全身に火傷を負いながらもただ一人だけ、半死半生で生き延びた男が現れた。
「キ、サマァ……!!」
おぞましい殺意と、強大な魔力。
念話越しに己一人で十分と豪語していたのは伊達ではなく、死にかけてなお辺境伯の魔力量はアニエスの最大値を優に上回っていた。それを自身の感覚で把握しつつも、アニエスは冷淡なままだ。彼女は傍らのフィーネに尋ねる。
「フィー。こいつが呪虚ってモノの端末?」
「そうみたいだね。ボクが会ったのとは別人だけど」
一方、呪虚をその身に宿す男は眼前の少女二人に対する殺意を漲らせていた。
いかなる力の発露か、魔法によって生じた癒えにくい火傷が徐々に回復しつつある。
呪いに冒されたものが、狂乱たる魔力を圧縮した。
「シネェ!!」
迸る黒き呪いの奔流。
受ければ人の肉など即座に腐り落ちて死に至る猛毒。
だが、それはアニエスの元へと届く前に光刃の一閃で掻き消される。
「ガッ……!?」
そればかりか、辺境伯自身の体を両断されていた。
呪いの魔法ごと亡者を断ち切ったのはフィーネだった。
「――言ったよね。ボクたちの旅を邪魔するなら、ボクがキミたちを終わらせるって」
本来の姿に戻る事すらなく呪詛を滅したフィーネは、思い出したように発言を訂正する。
「ああ、ごめん。キミにはまだ言ってなかったっけ。まあ、そういうことだから」
呪虚なる病に冒された男の消滅を見届けたアニエスは、フィーネに苦言を呈した。
「……手を出さなくてもよかったのに」
「だろうね。けど、呪虚にはボクも警告してたから」
もうこの場に脅威は無い。アニエスは蒼い騎士を自身の魔法の燃料として使えるように待機させていたが、それを解除する。
その後、二人は地下牢の出入り口だったものを発見した。
アニエスの異能が感知した限り、百人近い人間が収容されている。独房の鍵は地下室に備えられており、のちに異変を察知した街の人間が訪れれば救助は容易だろうとアニエスは放置する事とした。代わりにフィーネに依頼し、六時間後に解除される障壁とその情報を掲げる看板を用意する。
こうして。一つの地方を牛耳る悪が、流浪する別の悪によって滅ぼされた。
その行いがどう思われたのかは、当事者にとって知る由もない。
用が済み、帰還の頃合いかと二人が考えた頃。
唐突に、フィーネが彼方へと振り返った。
「どうしたの?」
「今、誰かがボクたちを見てたね。アニエスはわからなかった?」
フィーネに問われ、アニエスは自身の異能に強く意識を向ける。探れる限りの意識に触れるも、未だ地下に囚われた人々ばかりでそれらしい人物は見つからない。
「……わからないわね」
「うーん、そっかぁ」
「探しに行くの?」
「ううん、ムダだと思う。ボクが気になった瞬間にはもう気配もなかったから。――どうしたの、アニエス?」
アニエスは口元を押さえ考え込んでいた。
すぐに、思い至ったその可能性を包み隠さずに伝える。
「……例の人。アルケーって女の子は私にも思念が読めなかった」
「そういえばそんなこと言ってたね。んー、その子だとしたらなんで隠れてるんだろ?」
「さあ……」
別れ際、アルケー自身はアニエスとまたどこかで会うと予感しているようだった。
それが一方的な覗き見という事なのかとアニエスは疑問に思ったが、結局のところ答えは出ない。
現状、アニエスから特に再会を望む理由は無いが、今回の事はもしも機会があればその時に尋ねればよいだろうと考えた。
同じく傍観者の正体究明を諦めたフィーネは自分達の旅の予定を友に尋ねる。
「どうする? 街に戻る?」
「戻っても面倒なのに目をつけられそうだし行かない。他の国まで向かうには時間もかかるし、もういいわ」
「それじゃあ舟に帰ろうか」
暴挙を果たすだけ果たし、二人はこの星を去る事に決めた。
“星を渡る舟”へと戻るための魔法を準備する中、再びフィーネが口を開いた。
「ところでさ、アニエス」
「なに?」
フィーネが口にしたのは、彼女が先ほど抱いた疑問だった。
「よかったの? 助けた人にしろ死なせた人にしろ、ボクたちのせいで人生が変わっちゃった人が多そうだけど」
フィーネからの問いかけに糾弾の含みは無い。
しかし、アニエスは帽子を目深に被る。
彼女は時間を要してから答えを返した。
「……いいわけない。さっきから吐き気が止まらないわ」
アニエス・サンライトの異能には他者の思念を読み取る力がある。
それは、これから死にゆく者が抱く苦痛であっても例外ではない。さらに言えば、その力は死後に残る残留思念すらも対象である。そんな彼女が他人の死に立ち会えばどうなるかなど、語るまでもない。
しかしフィーネが尋ねた問題はその点ではなく、アニエスの主義と感情にまつわるものだ。
魔法使いとして、多くの可能性を見届けるため時に積極的な選定を行うという結論。
一人の少女として、これ以上誰かの運命に介入したくないという忌避。
アニエスの中で折り合いのついていないそれらは、二律背反に近い状態となっている。
今回で言うのなら、辺境伯はわざわざ滅ぼす必要が無かった。彼がどのような圧政を敷こうが、その悲劇の先に種の進化が生じる可能性があったからだ。また、呪虚によって滅ぼされる人々も部外者によって救済されるのではなく、自力で克服すべきだったかもしれない。
自らが取った行動に対し、『不愉快である』というアニエスの自嘲じみた回答を受け取ったフィーネは友の行いについて評した。
「なにか見過ごせないことがあったんだね。頑張って助けてたあの男の子、どうかしたの?」
問われたアニエスは、答える事を躊躇した。
少しの間があって、アニエスは小さな声で思いを口にする。
「……弟に似ていたの。雰囲気と、名前だけ。だから」
「――そっか」
アニエスはフィーネと出会う以前に両親と弟を喪っている。
フィーネも、それ以上は追及しなかった。
「行こうか。もう心残りはないよね?」
「ええ。疲れたし二、三日は舟でゆっくりしたいわ」
僅か三日の滞在で一国に様々な爪痕を残した魔女と御子。
例えば二人が打倒した辺境伯は国を滅ぼしかねなかった。
例えば魔女が救った少年はのちに高名な冒険家となった。
例えば御子が見破った男は街の闇を掌握する怪人だった。
そうとは知らない彼女らは、二人にとっての“ありふれた星”を後にした。




