第68話:御子の傍観
アニエスは身に纏う魔法を解除し、フィーネの元に戻る。
複数の人間を殺めた彼女だが、表情をやや不快げにしている以外に変化は無い。
戦いに関与していなかったフィーネがアニエスに問う。
「このあとはどうするの?」
「まだ魔力は八割残ってる。このまま辺境伯も殺す」
そう言って、アニエスは兵達の亡骸の一部を回収し、待機させている二体の機兵に持たせた。
「増援が来る前に移動するわ。あの丘の上までお願い」
アニエスの要望を受け、フィーネは再び光翼の魔法を展開する。
指定された地点までは一分とかけずに到着した。
小高い丘からは辺境伯の居城を通常の人類が持つ視力でも見渡せる。
アニエスが機兵に新たな命令を刻む中、フィーネは一昨日の夕刻、別件でこの星の生命が保有する魔力量を計測した際の情報を伝えた。
「さっきの槍の人もかなり強かったけど、この辺りで一番強い魔力を持ってるのはあのお城にいる人だから。気をつけてね」
「わかってる。ありがとう」
アニエスはフィーネに小さく笑いかけてから、城に存在する多くの思念を手繰る。
由来は様々だったが、それらはほぼ一様に不安を孕んだ精神状態だった。
【明日になれば閣下がご出陣か。街は三日ともたないだろうな】【パパ、ママ……かえりたいよ……】【いつまでこんな生活をすればいいの……?】【はあ……何があったか知らんが、閣下はご機嫌ナナメか。面倒くさい】【あの方は本気で本国に叛逆するつもりか……あんな人じゃなかったのに】【クソ、あの白髪女どこに消えやがった……!?】【たすけて……だれか、たすけてよぉ……】【襲撃部隊の魔力反応が消えた? あの不快なキザ男が敗れたとでも?】【食料が届かなくなってきてる。この先どうするのかしら】【このままだとアタシたちも反逆者にされちゃう……逃げたいけど、どうやって……】【最悪の時代が始まるのか……】
これら全員が辺境伯の配下というわけではなく、一部には囚われてきた人間もいるようだ。
城内で活動する人々とは別に、地下に囚われていると見られる思念も多々ある。
そして、人々とは別に、一つだけ呪詛にのみ染まり切った黒い思念があった。
得られた情報を分析し、アニエスは二機の騎士の調整を終える。
そうしてその二体を魔法で転移させたのち、城へ向け声明を発した。
***
辺境伯が居とする城にて。
街から離れたこの城は要塞としての側面があり、物理的な備えはもちろん魔法的な観点においても重厚な防衛拠点として存在していた。その本来の用途は侵攻してくる他国から領土を守る事にあり、決して領民を支配するためではない。
そんな城の大広間、玉座に似た大仰な椅子にその男はいた。
齢は五十になったかどうかというところだが、大柄な体躯に老け込んでいる様子は無い。眉間には深いしわを刻んでおり、その眼は凶悪な敵意に染まっている。
何らかの魔法を用いていた辺境伯は忌々しげに口を開いた。
「……宝槍を与えた若造が死んだ」
重々しく発された辺境伯の言葉に、広間にいた面々に衝撃が走る。
死んだという男は辺境伯から宝物たる魔槍と街に対する破壊工作を担った部隊を任されており、その戦闘力と獰猛さはこの国においても随一と誰もが認めるところだった。少なくとも、彼を倒せるような人員がこの地方にいるとは思えない。一同の脳裏に報告のあった旅人の情報がよぎったが、それを遮るかのように異変が生じる。
【――城塞に在る者に告げる】
魔法による声が届いたのだ。まだ年若いと思しき女のものだった。
【死にたくなければ今すぐに城から離れなさい。それが不可能ならば、最低でも地下に逃れなさい。これより、城主を抹殺します】
行われたのはあまりにも一方的な宣告だった。
状況的に、どうやら槍使いを倒した者が襲撃に来るらしい。
殺害予告を受けた辺境伯は恐れず、烈しい憎しみを見せた。
「――キサマか。私の邪魔をするクズは」
辺境伯の恨み言に、女の声は応じた。
使われたのは一方的な念話の魔法ではないようだ。
【ええ、私がおまえを殺す逆賊よ。命乞いも人質も顧みるつもりは無いわ。仮に逃げ遅れた者がいたとしても、私の傀儡が一切を滅ぼすでしょう】
辺境伯が自身の魔法で城周辺の探知を行うと、城門にある識別の結界の内側に声の主である魔法使いが用意したと思しきゴーレムが二機だけ存在していた。
辺境伯は不愉快そうに舌打ちをしたが、焦りを抱いている様子は無い。
彼にとってこの程度の状況は恐れるに値しないからだ。
「ゴミ溜めの魔法使い風情が。手勢を少々倒したくらいで図に乗るな」
辺境伯の言葉は侮蔑に満ちていた。
「兵など手間の削減に過ぎない。猿共を根絶やしにする程度、私一人で十分だ」
初老の男から、不吉な魔力が生じる。
「この地にあるモノは全て我が所有物である。私はこの地の全てを用いて覇道を成す」
周囲の配下達は恐怖に身を竦ませる。
そればかりか、辺境伯に嘆願する者もいた。
だが、その願いが受け入れられる事は無く。
禍々しい、瘴気に似た魔力が城内を駆け抜け、人間達を包み込んでいった。
「キサマが寄越したのはたかが二体程度の木偶のようだが。我がしもべたる千の獣を破れると言うのなら、やってみせろ。すぐにキサマの居所も暴き、その身を八つ裂きにしてやろう」
黒い霧に包まれた人々の姿が異形に変じる。変形が終わると、人々は甲殻を持った熊のような魔獣へと生まれ変わった。
獣達は咆哮を上げる。
それは雄叫びというよりも、嘆きの絶叫に似た響きだった。
***
アニエスとフィーネは城を視認出来る丘にいた。二人のそばには“蒼炎殺戮機兵”が二機だけ待機している。アニエスは遣わした機兵を通じて城にいる人間達に語りかけていたが、たった今ほど城内の地上階層にいた者は全て魔獣に変じさせられていた。
元より辺境伯にかける慈悲は無かったが、もはや城内の人間に配慮する必要も無くなった。
(ああ――この星に来てから、何人殺したんだろう)
アニエスは魔力を込めた杖を地に打ちつける。
それが離れた場所に在る騎士達への命令の合図だった。
「―――“機兵廃棄・蒼旭”」
アニエスがそう魔法の名を口にすると同時、城門――すなわち“蒼炎殺戮機兵”の二機の元から蒼く巨大な爆炎が巻き起こった。
爆発は城全体を巻き込み、瞬時に破砕してゆく。
突然の破壊に際し、辺境伯は即座に反応して魔法で防御をしていた。だが、蒼い炎はそれらも全て打ち砕いて燃やし尽くす。
数舜の後、凄まじい衝撃波が過ぎた後に城があった場所に残ったものは残骸だけだ。
昨夜街に向けて辺境伯の手勢が行ったよりも数倍惨たらしい攻撃が行われた。
様変わりした風景を見ながら、フィーネが言う。
「いいの? お城が消し飛んじゃったけど」
「……別に構わないわ。無事だった人間が残っているのは地下牢だけだもの」
アニエスは先日、辺境伯が操る魔獣の群れを焼き払っている。
もはや今さらの罪科だと開き直っているようでもあった。
その答えを受け、フィーネには別の疑問が生じたが、まずは起きた出来事について尋ねる。
「じゃあ“機兵”は? 頑張って作ってたのに」
「どうでもいい。フィーに手伝ってもらった動作術式は別で保管してあるし、舟に予備の部品がある。まあ、しばらくは半分足りない状態になるけど……そもそも今回は全部使い潰す気でいたから」
アニエスは深く息を吐く。魔力の消費は大部分を“蒼炎殺戮機兵”が担ったためさほどではないが、用いた魔法や状況のためにそれなりの疲労があった。
しかし、まだアニエスが定めた目的は果たされていない。
「あとひと仕事だけお願い。城があった場所まで運んで」
「わかったよ」




