第67話:殺戮の騎士
南門から街を出たアニエスとフィーネは飛行の魔法で辺境伯の居城を目指していた。
そして、その途中。昨夜住民を襲撃していた一団が休息を取っているところを発見する。
フィーネに抱えられたアニエスが目を細め、短く言葉を発した。
「降りる」
「了解」
リーダーを務めていると思しき長い槍を持った男は、既に二人の接近に気づいていた。
上空から降り立った二人を見て、槍使いは不敵に笑う。
「情熱的だねェ、わざわざ追ってきたのかい? そのツラからして仲間になりにきたってワケじゃあないよな? 正直、キミらとは戦いたくないんだが」
心にも無い軽口を叩く男に、アニエスもフィーネも答えない。
アニエスはただひたすらに冷めた表情を浮かべ、相手と言葉を交わすそぶりすら見せずに戦闘態勢に入った。そのつれない態度を見た槍使いは苦笑し、部下達に指示を出す。
「狼煙を上げたらお前らは引いて削りに専念しろよ。寄っても無駄死にするだけだからな」
男も魔力を武具と自らの体に纏わせた。戦気と呼ばれる技法であり、身体能力と物理的な攻防力を飛躍的に高める魔法現象だ。習得は容易ではなく、この技を使える時点で並大抵の魔法使いを遥かに凌駕した武力を持つと見做せる。
槍使いの配下達も武器に魔力を通し、援護の魔法をいつでも放てる状態となった。
双方の命を奪い合う争いが始まろうとしている。
フィーネが敵に応じ動こうとした瞬間、他ならぬアニエスに制された。
「下がっていて。フィーが相手をする価値なんてこの連中には無い。こいつらは」
フィーネは友に振り返る。
どこまでも冷たい声音。
故郷において魔女と恐れられた、冷徹な貌。
近頃は露わになる事が無かった暗い一面。
内に燃ゆる心火を瞳に表し、彼女はこう続けた。
「私が、殺す」
その宣言と同時にアニエスの周囲に蒼い炎が吹き荒れる。
彼女は初手から《蒼炎の魔女》と忌まれた所以を示した。
「―――“魔装・蒼炎陽光”」
蒼い炎が外套のようにその身を覆う。
戦気の派生――魔法を直接身に纏う戦気の鎧と呼ばれる技法であり、アニエスが全力で戦闘を行う際に用いる力だ。アニエスに敵意を向ける相手に対し半自動で攻撃を加える攻防兼ね備えた性能を持っており、並大抵の魔法使いでは魔法の自立行動を凌ぐ事も難しい。
監視している間にも二人の力量を計っていた槍使いは獰猛な笑みを浮かべた。
「なるほどなるほど、こいつぁ期待通り。いい魔法持ってるじゃないか」
男が手にした槍に妖しい魔力がゆらめく。
「一人で向かって来るってんなら好都合だ。負けたら輪される覚悟くらいはしとけよ?」
流れる水のような質感をした魔力で出来た刃が生じた。
「綺麗どころなんで傷モノにすんのは勿体ねぇが――ウラァ!!」
男は水流のような刃を纏った槍を激しく突き穿つ。
さらに、彼の部下達によって援護の魔力弾がアニエス目掛けて連射された。
アニエスはそれらを回避ではなく防御および迎撃する事でやり過ごし続ける。蒼炎による自動的な反撃は主に周囲の援護者に向けられ、アニエス本人の魔法が槍使いへの対応に割り振られている。戦況はほぼ五分と均衡した状態であり、悪く言えば互いに攻めあぐねていた。
一方。傍観を望まれたフィーネはやや遠巻きに友人の戦いぶりとその相手を眺めている。
「強いね。才能があってしっかり鍛え上げてる」
解析した敵対者達の魔力と実際の戦闘行動を見たフィーネはそう評した。
周囲からの援護があるものの、“魔装・蒼炎陽光”を使用したアニエスに一方的に焼き殺されず戦闘が成立する人間は非常に珍しい。しかも蒼炎による攻撃手段を的確に分析する事で、徐々に対策を詰めて攻略しつつあるようにすら見受けられた。
「だけど、やる気になったアニエスに人間が勝つのは難しいんじゃないかなぁ」
フィーネがそう他人事極まる感想を述べたところ、魔法の流れ弾が彼女の元へと飛来したがそれもアニエスが張った魔力障壁によって弾かれた。
無論、フィーネ自身が魔法を使えば事足りる状況だが、今はアニエスが目の前の敵を倒すと決め、その対処をしている。それを受け入れた以上、フィーネは友人の意志に任せるのみだ。
蒼炎と水流、魔力弾が爆ぜ散る激しい戦いが続く。
互角からやや劣勢に傾きつつある戦況にあっても、アニエスに動揺は無かった。
(……殺意は満たしている。私はこいつらを殺す。今さら、迷いなんて無い)
現状では敵を滅ぼすには戦力不足と判断したアニエスが、細い指で自身の首筋に触れる。
「励起せよ――“蒼炎殺戮機兵”」
その呼び声と共に、四つの蒼い鎧姿がアニエスの周囲に並び立つ。
それは滅すと決めた敵に対して《蒼炎の魔女》が差し向けるもの。
意のままに動く絡繰り人形らにより強く刻むべく、魔女は命ずる。
「槍使いの動きを止めろ。他は殺せ」
命令を終えたアニエスが強い魔力を込めた魔法を準備し始める。
槍使いは瞬時に戦技で以てアニエスを穿たんとするが、四体の騎士はアニエスを中心に陣を組み、敵対者の攻撃を阻んだ。
己の技をゴーレムに阻まれるのはそれだけで槍使いにとって信じ難い出来事だったが、一体ごとに秘められた魔力量を知覚した彼は戦慄する。蒼炎を纏う騎士達は、一体一体が恵まれた才覚を持った男と同等の魔力を持っていたのだ。
魔法の発動を止める事が出来ないと察した槍使いが舌打しながら後退する。
その瞬間、アニエスの魔法が完成した。
――現時点で、魔法使いアニエス・サンライトの力はあくまで人類が持ち得る範疇だ。もう少しで十七歳という年齢にしては魔力が些か強過ぎるが、それでも宇宙を見渡せば前例はあるだろう。まして、ヒトの域を遥かに超えたフィーネのような存在とは比べるべくもない。
だが、対峙する相手が人間であるのなら。
この魔女が負け得る相手など、一つの星に一握りいるかどうかだ。
彼女はそれだけ異常で不相応な成長を遂げてしまった。
膨大な魔力。事象への解析能力。それらを御する精神。
その力の一端を、蒼炎以外のカタチで見せつける。
「“圧壊波”」
その魔法が発動した瞬間、周囲の植物が、地面がひしゃげた。
攻撃を受けたと知覚した兵達は各々が魔法で重力に対し抵抗を試みたが、力の弱い者はそれすら叶わず圧死し、防御が出来た者もアニエスの強大な魔力に裏打ちされた重圧によって自由を奪われる。まるで昨夜の街の住民のような悲痛な呻きが響く。
そうして調理前の魚同然となった人間達に、物言わぬ機兵の内の三機が名を表すかのように淡々と主命を実行した。
一つ、二つ、三つと瞬きの間に命が消えゆく。
「おいおい、そりゃあないだろ……!」
辛うじて身動きを取る事の出来た槍使いがアニエスを狙うが、主の元に残った一機がそれを阻む。圧倒的不利な条件下でフィーネの戦闘方式を模した機兵に及ぶはずもない。打ち合う事もままならず、その隙にアニエスが強大な魔力を練り上げ、さらなる魔法を発動させた。
「―――“歪空黒星”」
槍使いを襲ったのは排す力、引く力、圧す力――三つの力を組み合わせた魔法だった。
黒い魔力の球体に押し込められた男は、全身を凄まじい力の波に晒される。魔力で特に重点的に保護された頭部や胴体への致命的な損傷は免れたが、手足は無残なほどに潰された。
彼はすぐさま治癒の魔法と魔法器を併用して立ち上がろうとするが、機兵により手足を断ち切られる。この場にいた辺境伯の手勢において最も強かった槍使いが戦闘不能となった。
やがて。アニエスが魔法を使用してから周囲に響き渡っていた苦悶の声は収まり、彼女と敵対した者達の中で生き残ったのはただ一人。その男も、もはや身じろぎする以外に出来る事は無い。冴えた槍捌きが再び披露される機会も失われた。
そんな虫の息の相手に、魔女は焦熱の魔力を込めた杖を向けて冷徹に問う。
「城門の識別術式は?」
「ハハッ……嬲れば口を割るとでも? ナメんなよ、小娘」
男は脅迫に屈せず、情報の提供を拒否する。
飄々とした態度と裏腹に、彼は戦士としての覚悟を決めそれを実行する強さを持っていた。
しかし、この魔女に対し意地を張った程度では秘密を守り通す事は出来ない。
「ふぅん、魔力波長式なの。この程度ならあんたの首でも括り付ければ用は足りるわね」
「……!? なぜ――」
「もう済んだ。殺せ」
疑問に応える事無く、魔女は踵を返す。
慈悲無き命令を受け、騎士が刃を振り下ろした。
滅ぼすべき相手がいなくなり、騎士達は主たる魔女の元へと戻る。
多くの兵士達の死体を残し、結果だけ見れば一方的だった鏖殺が終わった。




