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第65話:夜闇の閑話/白骸の少女

 アニエスとフィーネが夕食を楽しみながら談話していた頃。


 二人が滞在する宿からやや離れた集合住宅の一室で、一人の男が窓から外の景色を眺めていた。男の年齢はおおよそ二十代半ば。風貌として比較的細身だが身長は高く、よく見ればしなやかな筋肉がついた運動競技者のような体格をしている。


 彼こそは緊張状態の街に突然やって来た旅人の二人を監視するよう命を受けた密偵であり、昼間アニエスが図書館や魔法商店を巡るのを見張っていた人物だった。


 監視者の男が退屈そうに欠伸をした瞬間、机に雑に放置されていた魔法器が見計らったかのように発光する。通信が入った合図であり、男は億劫そうに手に取って応じた。


「ヘイ、毎度。こちらピザ屋。あいにく出前は受け付けておりません」


『そのような暗号は指定していない。もう一度投獄されたいのか?』


「おおっと、こいつは失礼。旦那でしたか。どうかしました?」


『旅人共の様子を話せ』


 上官からの命令に、男は使い魔越しに得ている情報を伝達する。


「隊で上げた報告書の通り、これと言って変わりなく。普通に観光して一日を終えたって感じでしたね。ちなみに今はメシ食って仲良く喋ってますよ。会話の内容は魔法でブロックされてるんで聴けないんスけど。まあ、これは自衛のためだと思えば特に違和感はないかと」


『……まだ二日ある。最後まで油断はするな。確実に殺せる隙があるのなら始末して構わん』


「隙ねェ……んなもんあったらオレらも苦労しないんスわ」


 上官からの物騒な注文に対し、男は包み隠さず難色を示す。


 戦闘に特化した人員として、彼は二人の少女を観察して得た所感を述べた。


「どうも、二人とも想像以上の手練みたいでね。天才っつーんですかね。魔獣の群れを爆破したっつー蒼髪の子も大概だが、金髪の子の方はお近づきになりたくもない。しょーじき、オレじゃあサシでやり合っても返り討ちに遭いそうだ」


『……なんのために貴様のような男を飼っていると思っている。役割は果たせ』


「善処はしますよ。なんかあった時、最低でも後手に回らんようにはね」


 密やかだがその実、監視対象に内容を把握されてしまっている交信は終了した。無論、通信に用いた魔法器は盗聴対策を施されていたのだが、使い手である男の思考についてはその限りではない。


  アニエスとフィーネを強者と認識しつつもそこまでは考えが及ぶはずもない見張り役の男は、二人が泊まる宿をどこか獰猛な表情で遠巻きに眺めながら独り言ちる。


「やっぱ見覚えはねーな。あの子らが閣下の駒ってことはないと思うがねェ……ま、事情を知らんお偉いさんが不安がるのはしゃーないんだが」


 誰にとって不幸と言うべきか。この時、アニエスは男の意識の詳細までは読み取れていなかった。アニエスは男の魔法に対する感覚が鋭敏であると判断しており、流れる思念以上の解析を行おうとすればその動きを気づかれてしまうだろうと考えたからだ。


 ゆえに、アニエスは自分達に関わり合いの無い情報は雑音であると捨て置いてしまった。


「しかし、あと二日か。いやぁ、実際のところお楽しみは明日の夜なんだが。どうも大人ってやつは残念な勘違いをしがちだよなァ……ん?」


 男の視界の端に、一人で歩く少女の後ろ姿が映る。


 彼女は男の監視対象である片方、すなわちアニエスと接触していた人物だった。少女は幾つかの状況証拠から街の住人と判じられているが身元が不確かで、監視者の間でも対処の意見が割れたもう一つの厄介事でもある。


 黒と白、割合としてはちょうど半々ほどに分かれた髪色をしている少女は、どうやら南門の方へと抜けていくつもりのようだ。


「……あの子、あんなに白髪多かったか? ま、一応まだ仕事中だし共有はしときますか」


 男は先ほどの通信の魔法器に向かうのではなく懐から取り出した紙に簡素な記述をし、それを窓から放る。すると、彼の現在の同僚が保管する鳥の使い魔がそれを回収して飛び去った。



          ***



 陽は没し、闇が広がってゆく。


 空には月があり、大きく欠けて見えるそれと星々の灯が夜にあっても地上を照らしていた。


 人の手の灯から遠ざかりつつある街道を、一人の少女が歩いている。


 修道にある事を示すかのような服装だが頭巾は被っておらず、ほとんどが白く染まりつつあってなお艶やかな髪に、血のような赤みを帯び始めている琥珀の瞳。


 美しいが、どこか妖しさと恐ろしさをも秘めた姿。


 少女は分かれ道に辿り着くと、立ち止まる。だが、自らの目的地はどちらかと思案している様子ではない。彼女は一呼吸置いてから誰にともなく問いかけた。


「こんばんは。わたくしに何かご用ですか?」


「……ずいぶんと勘がいいな」


 舌打ちと共に、姿を隠していた男達が少女を囲むように現れる。


 全員が魔法器で武装しており、和やかな挨拶と言うには些か無理があった。


 集団を代表し、一人の男が冷たく問う。


「貴様か、我らの傭兵を捕え魔獣どもまで焼き払った流れ者は」


「残念ながら人違いですね。あなたがたのお仲間は既に街に潜伏しているはずですが、内外では連絡を取り合っていないのですか? 慎重なことです」


 少女はにこやかに、男達の間違いを訂正する。


「みなさんのお仲間を捕えたのはわたくしではありませんし、街にけしかけられた魔獣たちを燃やしたのもわたくしではありません。なにせ、わたくしがあの街の外に出るのは今夜が初めてのことですので」


 不可解な少女の物言いに、男達は顔をしかめる。しかし、こんな時間に一人歩きをしている点も含め、些か常識外れな女の妄言だろうと切り捨てられた。


 少女は気にせず、再び男達に用向きを尋ねる。


「それで、あなたがたのご用件は?」


「貴様を城まで連れて行く。我らが辺境伯は反逆者への誅罰をお求めだ。まして、それが女なら殊更に惨たらしいものをな。最悪、先の件が()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「なんということでしょう。わたくしは誤解で大変な目に遭わされそうなのですか。そういえば、近頃は誘拐が横行していると耳にしたような。そんな折に夜歩きとは迂闊な行いでした」


 だが、少女は『誤解』と言いつつも、男達の提案に肯定的だった。


「ですが、奇しくもよいタイミングです。わたくしも辺境伯閣下には一度お目通りしたいと思っていたところですので。ご案内願えますか?」


 あくまで朗らかな態度を崩さない少女。


 だが、それに対し。

 男達はそれを踏み躙るかのように、略取のための魔法を発動させた。

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