第63話:旅人たちの語らい
アルケーは体の向きをアニエスの方へと動かし、柔らかい口調で問いかける。
「お名前をお聞きしても?」
「アニエス・サンライト。見てわかるかもしれないけど、魔法使いをしているわ」
「杖を忍ばせてお持ちですものね。この街の魔法使いもあなたと同じように大きな帽子を被っているかたが多いようですが、どこでも共通している風習なのですか?」
「……どうかしら。私の故郷ではむしろ少数派だったみたいだけど」
見ず知らずの相手、それも得体も知れない人物と二人きりという事でアニエスにはあまり好ましくない緊張があった。それを察してか気づかずか、アルケーの方から話題を振ってくる。
「これまでにどのような星を旅してきたのですか?」
アニエスは差し障りの無い範囲でこれまでに旅をした星について話した。寿命を迎えた“透明の星”、多くの陸が沈んだ“遺り物の星”、大いなる生命に満ちた“巨大な星”。そして、それ以前にも故郷の大地を巡り歩いたという経緯を、簡潔に。
その間、アルケーはアニエスの話を興味深そうに耳を傾けていた。
アニエスにとって思考を読めない相手との会話は珍しいものだ。とはいえ、親友のフィーネを始め機会が無いわけでもない。アニエスは話しながらそれとなくアルケーを観察する。
(体は間違いなく人間……か。逆にどうしてこれで思念と魔力を感じないのかしら)
アニエスにとって不可解ではあったが、互いの事情については詮索無用とやり取りをしたため、アルケーが辿った旅路について尋ねる。
「アルケーさんの方は今までどんな旅を?」
「わたくしは自分の足で訪れるのはこの星が初めてなんです」
アルケーはアニエスにとって意外な言葉を口にした。アニエスからすればアルケーは宙の旅について勝手を知っているという様子に見えたが、そうではないらしい。
「それならこの星に来る前はどうしていたの?」
「ふふ、どうしていたと思いますか?」
質問に答える気が無さそうな言葉に、アニエスは顔をしかめる。
それを受け、アルケーはすぐに謝罪した。
「すみません、意地悪のつもりではないんです。ただ、わたくしがどこにいて何をしていたかという話はなかなか言い表すのが難しくて。客観的に振り返ってみるとあまりよいところにはいなかったように思えますね。まあ、これも秘密ということで」
ただでさえアニエスからするとアルケーは不明点が多過ぎるのだが、それに加えて秘密主義によって謎を深めていた。
とはいえ、答えられないものは答えないと口にする辺りまだ多少の誠実さは見られたのと、結局は個人の事情の話になりそれを掘り下げるのはアニエスにとっても都合が悪くなる可能性があったため、追及はしなかった。
会話が途切れた頃。二人が座っているベンチのそばを菓子の販売をしている屋台が通った。アルケーはそれを視線で追っている。
「少し待っていてください」
そう言ったアルケーは席を立ち、屋台へ向かう。店主に二つ菓子を注文すると、財布を取り出すのにずいぶんと手間取ってから無事に購入した。
「お一ついかが?」
戻ったアルケーは邪気の無い顔でアニエスに菓子を勧めてくる。
たった今、目の前で購入されたもので見たところ特に危険は無いと判断したアニエスは受け取った。アルケーが先に口にするのを見てからアニエスも食べ始める。中にクリームが入ったケーキ生地の菓子で、甘いが少し喉が渇く一品だ。
甘党というほどではないが多少は甘味を嗜むアニエスはそれなりに美味だと感じていたが、横のアルケーはそれとは異なる感想を口にした。
「なんとも、不思議な感覚ですね」
「不思議かしら? 普通に甘いお菓子だと思うけど」
「ええ、そう思います。ですが、わたくしにとってはそれが不思議なんです」
アルケーはずいぶんゆっくりと菓子をかじり、時間をかけて食べる。
不思議と称した菓子について、彼女がそれ以上に語る事は無かった。
アルケーは菓子を食べ切った後、全く違う話題を向けてくる。
「ところで、アニエスさん。あちらにいる男性はあなたのお知り合いですか?」
アルケーが視線を向けた方向にはこの街の指導者が遣わした監視者の一人が潜んでいた。無論、アニエスも承知していた事だが。当人に気づかれないように注意しつつ、アニエスもそちらの様子を窺がう。
「知り合いじゃないけれど、私に用があるのは確かね。放っておいていいわ」
「そうなのですね。あなたのことを熱心に見つめてらしたので、てっきり良い仲の人なのかと」
「……冗談キツいわね」
アルケーの誤解に辟易としつつ、アニエスは流れてくる監視者の思念を読み取る。
監視者の意識はアニエスと会話するアルケーにも及んでいた。アニエスが呼び止められる場面も当然目撃していたためか、どういう状況なのか少なからず困惑しているようだ。つまり、よほど込み入った事情が無い限りアルケーがこの街の人間でないのは事実なのだろう。
(そもそも、私達が宙から来た事を感知出来る人間なんてそうはいないだろうしね……)
アニエスが思考する中、アルケーはさも偶然気づいたかのような振る舞いで監視者の男に微笑みながら軽く手を振っていた。アニエスは内心『余計な事はしないでほしい』と思ったものの、幸い相手が無視したため面倒事には至らなかった。
挨拶を無下にされても気にしていない様子のアルケーが監視者への印象を口にする。
「細身ながら運動が得意そうな男性でしたね。なにやら長物を隠していたのは物騒ですが、なかなか端正な顔立ちでした。ああいうかたはお好みですか?」
特に隠し立てする事でもなかったため、アニエスは率直な意見を述べた。
「興味が無いわね。修行中の身だもの、そんな事にかまけている余裕も無いわ」
「まあ、優等生なお言葉。心身の若さは大切にすべきと思いますが」
「なら、そっちは興味があるの?」
「はい。なにぶん恋愛経験が無いものですから」
初対面でする会話ではないと、アニエスは苦々しい表情を浮かべた。
「あなた、シスターじゃないの? 貞淑にしなくていいのかしら」
「わたくしの服装はただのお洒落なのでお気になさらず。特定の信仰は持っていません」
「……意外といい性格してそうね」
「そうですか? 自分で言うのもなんですが、わたくしはそれなりにひねくれた性根だと思うのですが」
皮肉も通じず、アニエスはため息をつく。長めの道草を食った事でそれなりに時間が経過していた。図書館の閉館はまだ先だが、アニエスはこの地の歴史には一通り目を通すつもりでいる。
それを察しアルケーも頃合いと見たのか、別れを切り出す。
「長くお付き合いいただきありがとうございました」
アニエスはベンチから立ち上がり、最後に何を言ってこの場を後にするか考える。
「……そうだ。最後に一つ、訂正しないと」
アニエスは、アルケーに最初に声をかけられた際、同意しかねていた事を打ち明けた。
「私は優しい人間なんかじゃないわ。さっきの子を送ったのも、自分の心のためだもの」
アルケーは少しだけ驚いたような顔をした。
しかし、すぐに真意の読めない微笑に戻る。
「ええ、そうだろうと思っていました。ですが、わたくしの感想は変わりません」
そう口にしたあと、アルケーは自分の手を合わせ、小さく息を吐く。
「ああ、けれど。勇気を出して話しかけてみてよかった。とても楽しい時間でした」
「…………」
アニエスにとっても意外な事に、今の一時は不愉快ではなかった。アルケーのように明確に楽しいとまでは思っていないが、居心地の悪さは感じていない。アニエスは何も言わなかったが、言外に同意が得られたと考えたのか、アルケーはくすりと笑う。
「わたくしたち、どこか似ているところでもあるのかもしれませんね?」
「……どうかしら。そんな気はしなかったけど」
「まあ、ざんねん」
広い宇宙を旅する者同士であれば、この先に再び出会う事はまず無いだろう。
しかし、アルケーはそれに反する別れの言葉を残す。
「それでは、またどこかで」
そう言って、アルケーはゆっくりとした歩みでその場を去ってゆく。
アニエスがそれを見送っても、途中で魔法を使って姿をくらますなどという事は無かった。




