第61話:呪虚■■
周囲の客の動きが途絶える。
人だけではなく、少女と男を除く全ての事象が止まっていた。
結界、あるいは異界と呼ばれる魔法現象。
少女と男が存在する空間は地続きなようで、他と隔絶された領域となったのだ。
その事象を引き起こしたのは、今も背を向けた男を見据える金色の少女だった。
暴かれた男は振り返らず、逆に問い返した。
「――なぜわかった? ここに在る私は端末に過ぎない。こうして明かす以前であれば因果の糸すら見えなかったはずだ。私自身、オマエに指摘されるまで忘却していたのに」
「ボクに大概の虚飾は通じないよ。見ればわかるから」
「そうか。宙の希望などと囃される贄の如き秩序の御子よ。私にその自覚は無かったが、侮っていた非礼は詫びよう。そして、先ほどの質問にあえて答えを出すならば」
そう話しながら再び正面を向いたものは、先ほどまでの冷笑的でくたびれた男とは違う。
表情が無い。生気が無い。
ヒトという生命体。
そのカタチがただ存在しているだけだ。
そんな異物が言葉を発す。
「どちらでもない。我々は、世界を呪う意志から生まれた」
その言葉は虚無的に聞こえる。
しかし、一つだけ明確な意志を秘めていた。
憎しみという、純然たる敵意を。
「不要とされた汚濁から生まれ、この宙を呪うもの。我々は自己を《呪虚》と定義した」
『呪い』を意味する単語を名乗ったそれは自らを複数形で語る。
少女もそれに合わせ、男を複数の存在からなる群体と見做し応じた。
「キミたちの目的は?」
「秩序を破壊し、混沌を消滅させる。こんな世界は存続するに値しない」
「そうなんだ。難しそうな目標だね」
男が示した目的は金色の少女の存在そのものを否定している。
だが、少女はそれに動じていないばかりか関心を持ってもいない。
少女の態度に、男は微かに不快さを滲ませた。
「余裕だな。我々ではオマエ達を揺るがすには足りぬと?」
「さあ。知らないよ、そんなこと」
少女は《呪虚》と名乗るものを軽視しているわけではない。
彼女が関心を抱かない理由は、極めて端的だった。
「キミがボクの使命の対象なのかと思って声をかけたけど、違ったみたい。だからボクはキミたちには何もしない。やりたいことがあるなら頑張っていいと思うよ」
その存在が世界にとっていかなる害悪であれ、自らが関与すべきものではない。
少女が果たすべき使命は己の宿命のみ。
悪と呼ばれるものなど、この宇宙において幾らでもある。
「ただし」
続く機械的なほどに澄んだ少女の声が、彼女が抱く明確な意志を示した。
「汝ら、我らの旅を妨げるのならば。終焉の名を以て応報を下す」
その言葉に威圧の意図は無い。
ただ事実を告げているだけだ。
ゆえに、事がそのように流れれば必ず実現する宣告でもある。
「成程。覚えておこう」
男はその警告を深く理解した。
その上で、虚ろな嘲笑と憎悪は納めない。
「もっとも、この私は既に役割を果たし、間もなく自壊する。今の忠告が我々という総体に共有される事も無いだろう。もしも君の前に再び我々が現れる事があったなら、その都度伝えてやってくれ給え。我々は数多の星々に在るからな」
嘲りには取り合わず、少女は先ほど男がした不穏な発言について触れる。
「さっきも役目は終わったって言ってたよね。何をしたの?」
「さて。私にも意味は解らない。しかし、私は私としての使命を果たした。同胞と共に街を乱し、この地に呪いを溢れさせ、こうして我々の存在を知らしめ、オマエという仇敵を観測し、それを――それを……?」
そこまで口にして、男は頭を抱える。
豹変する以前から見られたように、何かの均衡が乱れ崩れていた。
「だが……ああ――確かに、思い返してみれば。こんなつまらん事が、果たして本当に宙の秩序と混沌を貶める事に繋がるのか……?」
男がそう疑問を口にすると、少女が感じていた《呪虚》という異物の気配が消えた。
それを受け、独自の秩序を築いた魔法が解かれ、止まっていた世界が動き出す。
男は少しふらついた後、店外へ向けゆっくりと歩き出した。
それを見ながら、金色の少女はもう一度だけ男に声をかける。
「どこへ行くの?」
「さあ……疲れたし、家族のところへ帰ろうかな」
「そっか。お疲れさま」
それきり。少女は再び男を呼び止める事はせず、虚ろな後ろ姿を見送った。




